ブルースにみる音楽の変遷
日本人に理解しづらい洋楽にブルースというジャンルがある。昭和の人はブルースというと淡谷のり子の「別れのブルース」とか内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」を思い出す人が多い。洋楽としてのブルースを知らない日本人は、「ブルース」は哀しく憂う歌というニュアンスで理解したのだと思う。
例えば、淡谷のり子の「別れのブルース」は戦前に服部良一が作った。服部は西洋音楽のブルースはもちろん知っていて、黒人の労働歌であるブルースがジャズの基礎となったという認識もあったという。但し、日本語にそのままブルーノートスケールを持ってきても違和感しか残らない、などいろいろ試行錯誤した結果、情念の演歌とは違う和製ブルースを作り上げた。
淡谷のり子はクラシック教育を受けた本格派のソプラノ歌手だったので、低音を効かせるこの歌を拒否したそうだが、マイクの前で呟くように歌うことを、指導されいやいや録音されたようだ。
新しい歌である和製ブルースが出来たと喜んだコロンビアレコードだったが、戦争中の日本としては曲の雰囲気や歌詞が退廃的で当初は話題にもならなかった。しかし、満州国・大連の外地でヒットを記録していることから、国内でも火が点いたように売れ始めた。
ここから淡谷のり子は「雨のブルース」などヒット曲を連発し、ブルースの女王へと昇り詰める。この「ブルースの女王」というキャッチコピーが我々を悩ませた。
私は中学生の頃からギターを弾いているが、当初はフォークソングの弾き語りを見よう見まねで行なっていた。ギターを上手く引くためには上手い演奏家のプレイを聞くことが近道と考える。
そしてエリック・クラプトン、ジェフ・ベックなどギターの大先生たちのインタビューから「ブルース」という言葉を聞く。
「ブルースに影響を受けて、ギターを始めた」などと宣うクラプトン先生。
ここで言う「ブルース」に反応する中学生の私。まさかクラプトン先生が淡谷先生に影響を受けているとは思えない。もちろん、洋楽のブルースと和製ブルースは別物ということは後々知るわけだが、当時の子供たちは悩む。そんなもんだった。
私はエレキギターを弾き始めた頃、「エリック・クラプトン奏法」(監修・Char)とか「エレキギター入門」(監修・土屋昌巳)といった教則本でフレーズを覚えていたが、ふとクラプトン先生や土屋昌巳先生が子供の頃はこんな教則本があったのかどうかなどという疑問が浮かんだ。
文献を調べると彼らは影響を受けたミュージシャンのレコードを聞きこみ、耳コピーしたようなことが書かれていた。
そうなのだ。土屋昌巳先生はわからないが、Charを代表とする多くの日本人プロギタリストが憧れた海外のミュージシャン達。ブルースギタリストたち。日本人の洋楽ブルースはここから始まったと私は理解した。
ヤードバーズ3兄弟(クラプトン、ベック、ペイジ)やジミヘンなど洋楽が日本にジャンジャン流入してきた1960年代後半から1970年代にかけて、ギタリストやハードロックバンドは殆どと言っていいほどブルースバンドだったのだ。
もしくはブルースを基調としたクラプトンやベックに憧れたミュージシャンが作ったバンドだから根が一緒だったのだ。もちろん、「プログレは違う」とか「カントリーはどうだ」、という声はあるが、日本で当時流行したバンドの大半はブルースを基調としたツェッペリンやパープルやオールマンだった。あのザ・ローリング・ストーンズだってバンド名はマディ・ウォーターズの「ローリング・ストーン」から取ったと言うし。
洋楽ブルースは洋楽ロックを聴き始めた日本人にすんなりと入ってきた背景はここにあるのではないだろうか。
日本のヒットチャートでアメリカの黒人のブルースの曲がヒットしたことがあるだろうか。あるわけが無い。あんなダミ声で唸ったり叫んだり、歌詞の内容だって生きるか死ぬかというようなものばかりのブルースがヒットするわけがない。
ポップスの「V・A・C・A・ティアイオーエヌ!」と明るい洋楽はヒットしても、綿花を血だらけになりながら摘む黒人たちの労働歌が日本のポップス番組に出るわけがない。
同じカラードであるにも関わらず、だ。
その昔、アメリカには全米トップ40とは違う「レイスチャート」なるチャートがあった。黒人専用のチャートである。流れるラジオも黒人用であり、はっきりと白と黒が明確に分かれていた。
50年代~60年代のイギリスの若者はアメリカ音楽に敏感だった。船員がアメリカから運んでくるレコードを貪るように聴いた。そこで、黒人音楽を経験していく。
ザ・ビートルズのジョンやポールはチャック・ベリーやリトル・リチャードを。ストーンズのミックやキースはマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフ。クラプトンはBBキングやフレディ・キング、エルモア・ジェームスなどを聴いて音楽の腕を磨いていった。
そして、そのブルースにビートを効かせたブリティッシュロックが完成されていく。
その中で例外はビートルズ。ブルースというよりロックンロールからマージ―ビート、サイケデリックロックへと形を変えていき、果てはビートルズというジャンルを作ってしまった、は言い過ぎか。彼らにはブルースの色が感じられない。
しかしブルースに影響を受けたクリームやザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンは大成功を収めていくのでロックのマジョリティとなっていく。それらのバンドがアメリカ公演を大成功させた時、こぞってインタビュアーたちは「どうすればこういう音楽が出来るのか」を聴いてきたそうだ。
そこで、クラプトンもミックもペイジも口を揃えて
「アメリカのブルースマン達だよ。彼らに影響を受けたのさ」と答えたという。
アメリカの白人は自国のブルースを知らなかった。そんな曲をラジオで聞いたことが無いし、レコードを買うはずもない。
アメリカの白人たちは急いでカラードのラジオを聴き、レコード屋に走りブルースのアルバムをかき集めたそうだ。
日本はそれよりもさらに遅れる。
ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズがようやく聴く事はできても、黒人ブルースマンのアルバムが潤沢に入手できるわけがない。なぜなら、そこにマーケットが無いから。
そりゃそうだ。オリコンチャートにBBキングの「The Thrill Is Gone」がヒットしたなんて聞いたことが無いから。
だから、レコード会社も「ザ・ビートルズが影響を受けたチャック・ベリー」とか「ストーンズが影響を受けたマディ・ウォーターズ」なんて売り方だった。
私がレコードを大量に購入していた高校時代。中古盤屋にあったレコードの帯にはしっかりと有名バンドのネームバリューを活かしたキャッチコピーが書かれていたものだった。
『サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅡ&ザ・ヤードバーズ』(1966)なんてレコード帯の宣伝文句の文字はエリック・クラプトンの文字の方が本人より大きかったしな。
ま、方法はどうであれ、聴くことが大切。
クラプトンやジミヘンのルーツはこんなところにあるのか、と思いを馳せながら聴く毎日。
しかし、これ、長年経って思ったことだけど、その時はわりと我慢して聴いていた気がする。クラプトンやジミヘンに近づきたいからそのルーツを聴いているのだが、古臭いブルースは埃っぽいだけ。好きになればいいが、我慢して聴くもんじゃない。
クラプトンが影響を受けたロバート・ジョンソンだってデルタブルースはアコースティックギターでポロポロと弾いて唸っているだけだから、3曲も聴いていたら飽きてしまった。
クラプトンやベック、ペイジ。ミックのようにブルースを自分の音楽として昇華する才能に溢れたミュージシャンが60年代~70年代ミュージシャンの特徴であるとすれば、現代はAIやコンピューターで音楽を作る時代だから、何が出てくるかわからない世界。
ブルースがブルースロックになり、ハードロックになり、ヘビーメタルになるなんて進化は“かったるい”んだろう。
最近の打ち込みで作った歌は人間の技術では再現できない音楽となってきている。
では、ヴォ―カロイドの歌が次に何に進化するのか。60年代や70年代の歌が心地良い私が気にするものでもないが、結果は知りたいと思う。
ギターをポロポロと爪弾きながら楽しみに待っていよう、ブルースは得意じゃないけど。
しかし、60年代~70年代の名ギタリストってイギリスの人が多いよね。当時のアメリカのギタリストってジミヘン、マイク・ブルームフィールド、デュアン・オールマン、レスリー・ウエスト、テリー・キャスくらいでしょ。
イギリスは鬼のようにいる。アメリカは人種差別なんかしているから、灯台下暗し。
ま、繰り返すけど英米ともにその祖は黒人ブルースマンなんだけどね。
2024/10/21
花形