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母と音楽
母が先月亡くなった。
やりたいことをやりきった85年間の人生だったと思う。
歯に衣着せぬ物言いに驚かされることも多々あり、自由奔放な母は、子供の私から見ても恰好が良かった。
外務省勤務で霞が関の街を闊歩していたし、幼い私を連れて美容院は広尾、飲みに行くには麻布など非常にこだわりの強い人だった。
父は川崎市の中学校の教員。後に高校の校長にまでなるのだが、きっと母に尻を叩かれていたのだと思う。しかし、あのジャジャ馬を操れるのは父しかいないと思う。父は穏やかな人である。
母は喧嘩っ早い。そして立場を凄く気にする。だから、よく「あなたにはまだそれを言う資格が無い!」と叱られたことが良くあった。私が中学生のころなど口答えなどしようものなら何倍ものパワーで返って来る。時には感情的にぶっ飛ばされる。さすがに親に手をあげたことは無いが、その度に大喧嘩になり何度も堪えた。
厳しいイメージの反面、文化的なことには非常に寛容だった。
絵、音楽、舞台観劇、コンサート鑑賞など友人と良く出かけていた。
コンサートに至っては何度か一緒に行ったこともある。
「ユーミンが観たいなぁ。あなた、音楽好きなんだからチケットなんとかしなさいよ」
こんな会話が高校の頃から日常的。チケットぴあも無い時代に母親のコンサートチケットを買い求める為に平日の朝からプレイガイドに並んでいる私。健全な高校生の平日をどう思っていたのだろうか。
泉谷しげるや吉田拓郎など私の好きなミュージシャンも「一緒に行く!」と言い出す。
そして「私は背が低いから、あなた、台を持っていきなさい」などと宣う。
たまたま家に合った木の箱(箱馬)を持って神奈川県民ホールに行ったこともある。
係員が「カメラ、テープレコーダーのチェックをしていまーす」とチケットの半券をちぎりながら叫ぶ。そこに母はニコリとチケットを出す。私もその後に続くと係員から「なんですか?その箱?」と呼び止められる。「あーこれ?木の箱。えーっとみんなが立った時、お袋が乗るの。舞台が見えないってうるさいから。大丈夫大丈夫、怪我しないから」なんて言って入場していた。
母は情操教育といって私が小学校2年の頃、エレクトーンを習わせ始めた。外で野球がしたい年ごろであったが、毎週木曜日はグランドに行けなかった。
両手と足を同時に動かす難しさよりも譜面を読み取ることと、講師からの暴力指導が私の気を滅入らせた。レッスンを終え、家に帰ると母がレッスンのことを尋ねてくる。
そこで再度演奏。間違えると母からも強烈な指導が始まる。母はエレクトーンは弾けないが、曲が成立しているかどうかはわかるのだろう。的確に指示してくる。
エレクトーンの習い始めの頃は講師からの蹴りと母から太ももをひっぱたかれた思い出しかない。しかし、そのおかげで楽譜は読めるようになったし、音楽が好きになったのだから良しとしよう。
私が中学生になると母が部屋に入ってきて一言。
「壁いっぱいに榊原郁恵~。色気づいちゃって・・・あなた、中学生なんだから英語始まったんでしょ。ロック聴きなさいよ。ホイ」
と渡されたフリーの『ファイアー・アンド・ウォーター』(1970)。
いきなりツェッペリンを聴かせるよりもフリーあたりで、なんて言ってた。
※「母がくれたレコード」に詳しい
英語の勉強はNHK教育ラジオの「基礎英語」を聴くことが当時の定番だったが、父親が思い出したように言った。
「そういえば、昔、学校の教材で英会話のカセットテープの教材があったぞ。それをやってみたらどうだ」
父親は書斎から専用のカセットレコーダーと教材用のカセットテープ12本。教科書などが一式となった包みをもってきた。
私はあまり気が進まなかった。リーダーズ・ダイジェストと書かれた教科書を見ながら勉強かぁ、などと思っていた。
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リーダーズ・ダイジェストはアメリカのファミリー向けの雑誌で、ホーム教材としてカセット英会話という商品が大ヒットしていた。
テープレコーダーの電源を入れる。カセットテープをセットし、教科書を見ながら、
「レッスンワーン!」なんて言葉が小さいスピーカーから出てくると思っていたら、ゴソゴソゴソという音。
「うっうーん(咳払い)。
アズアーイ・ウォーカロン・アイ・ワンダー(As I walk along I wonder)
ア・ワト・ウェン・ロン・ウィザ・アワー・ラブ(A-what went wrong with our love)」
無伴奏の歌が聞こえてきた。良く聴いてみると母の声だった。歌はデル・シャノンの「悲しき街角」だ。
テープを進めるとボビー・ダーリンの「マック・ザ・ナイフ」とかコニー・フランシスとか、続けざまに録音されている。
テープを替えると荒井由実の「晩夏(ひとりの季節)」なんて入っている。全部無伴奏。
私は驚き、テープを抱え、母の元に行くと、
「あー。あの教材つまんなかったのよ。私が歌を入れちゃった。マイクがあったからついつい歌っちゃったの。恥ずかしいから聴くのやめなさいよ」なんて言い出す始末。
そういえば再録音ができるように丁寧にカセットテープの爪が折られた後にセロハンテープで修繕の跡も。
これを聞いていた父も苦笑い。
11月10日(日)。
私のスケジュールの都合で四十九日がその日になったが、その日は父の87歳の誕生日。
精進落としの酒宴では、母の遺影を見ながら親父の誕生日会となった。
母も母だが、父もなかなかだね。
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2024年11月11日
花形