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晴読雨読

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晴レノ日モ雨ノ日モ、私ハ本ヲ読ム
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#ライフスタイル

あたまの中の栞 -文月-

 どうやら7月は旧暦の名の通り、手紙を認めたくなる月らしい。以前イースター島で出会ったアンドレイという青年と気がつけば文通を交わすようになり、久しぶりに彼に宛てて手紙を書いた。心を鎮めてゆっくり丁寧に文字を綴っていく。不思議と気持ちが落ち着く。誰かに読んでもらうというだけで手が震える。  ようやく1年の折り返し地点。でもなんだかあっという間だった気もする。どこか遥か彼方で起こっている出来事のように感じても、今まさに私が住んでいる家の近くで各国がしのぎを削っている。そしてきら

世の中の先入観なんて吹っ飛ばせ!

いつになったら、私たちはタイムリミットから解放されて手を取り合うことが出来るんだろう。世界中にある時計を一つ一つ、金槌で壊して歩けたらどんなにいいだろう。(p.116)  今年の4連休は意外とあっさり終わってしまったことになんとも言えないモヤモヤとした気持ちを抱いている。ニュースを見る限りだと結構日本勢金メダル取っている感がある。でもなんか遠い世界の出来事を見ている感じが否めなくて、うーんどうしたものかと一人で勝手に頭を抱えている。  さて、ちょっと疾走感のあるタイトルに

狭間でゆらゆら揺られる

 最近、自分の中で何かが足りない。これがなぜなのか何とも表現するのがもどかしいところだけど、少し前まであった物事に対する高揚感だとか新しいことに挑戦する意欲だとか、そういったものがだんだん削がれていっている気がしてしまう。  その原因って、思い巡らすと頭に浮かんでくることがいくつもある。年齢を重ねて落ち着いたということも言えるかと思うし、コロナのせいで行動に制限がかかってうまく立ち回ることができないということもあるかもしれない。  きっとね、こういうのは積み重ねだと思う。

ものを書くことについて

 今日はギリギリの曇り模様。ここずっと毎週のように雨だったのでなんだか外に出るのが億劫で大体家に引きこもっていた。ようやく外に出かけられそうだったのでいそいそと玄関から出てみる。どこからかミンミンと忙しない蝉の鳴き声がする。気だるい暑さの中で自転車を漕ぐと、風が気持ちよかった。  さてここ1週間ほど会社の新人さん向けにずっと研修をしていたお陰できちんと本が読めていなかったので、ここぞとばかりに本を読んだ。その中で今日読み終わったのが、松岡圭祐さんの『小説家になって億を稼ごう

ムクドリの逆襲

【前書き】 特に実のある話でもなく、私の周りで起きた出来事を振り返る回です。  駅への道を歩くたびに、「キイキイキイキイ」と声がする。何だかめっちゃ近くに鳥がいる!と思っていたら、続いてその声に呼応するかのようにそこから少し離れたところから「キイキイキイキイ」と声がするではないか。  こんな至近距離で愛の囁きを交わしているのか、それならば近づいて一緒に行動すれば良いのに。と若干呆れた。すると次の日も同じ場所から同じような声がするではないか。  変だなと思って調べてみたら

あたまの中の栞 -水無月-

 早いもので新しい年を迎えてから半年が過ぎようとしている。「光陰矢の如し」とはきっとこんな時に使うんだろうな。6月に入ってからは毎日のように雨が降っていて、正直な話気が滅入った。もう地面が陥没してしまいそうなくらい雨が降り続けて不安が胸を掠める。  ここ一ヶ月長い物語を書いているうちに気がつけば1日が終わっている、という日々が続いた。物語を書くのは全然私にとっては苦ではなくて、あー私生きてるって思ってしまった。なんて単純なんだろう。自分が紡ぎ出す物語の世界に没頭することによ

私が、きっと息をしている理由。

 昨日の昼間あたりから急にお腹が鈍い痛みを訴えるようになった。それは今日までぼんやり続いており、仕方がなしにコロンと丸くて黒い小さな球を3つほど飲むハメになった。どうしても見た目が良くないので、飲むときに躊躇する。なんで私はこんな目に遭ってるんだろうな、と頭を回らしたときに思い至ったのが昨日食べた西瓜だった。一玉の半分も食べてしまったから胃袋がきっとびっくりしてしまったのだろう。無理矢理そう思うことにした。 *  正直、お腹がチクチクと痛む時、仕事をするのはどうにもしんど

あたまの中の栞 -皐月-

 そろそろ春の暖かい季節も通り過ぎて、ジメジメとした季節に突入しようとしている。5月は個人的にはとても好きな季節。都会ではあまり見かけなくなったけど、私が住んでいる田舎町ではところどころで鯉のぼりを見ることができる。柏餅も食べることができるし、黄金色に輝く休みだってある。  なかなか贅沢かつ楽しみが詰まった月だと思う。例年であれば、だいたい休みを数珠のように繋げて、海外へ特に目的地を定めるでもなくプラッと飛ぶ。残念ながら依然として「名前を言ってはいけないあいつら」が猛威を振

ナッツとクラッカー

人の小説や文章を読んでいるときに、なんとなく爽快というか形容しがたい滑らかな風がスッと目の前を吹いているときがある。そんなときには自分の世界がより広がったな、と思って嬉しくなる。 *  言葉をひとつひとつ丁寧に追いかけていったときに、果たして「良い本」の条件ってなんだろうと、一時期ぐるぐると自分の頭の中を掻き乱していたときがある。最近は少し見えたような、そうでもないような。それはきっと、読んだ人がその文章に対して、何か新しい宝物を発見したような気持ちになる文章。  ああ

歌えど騒げど

「目的地なんて堅苦しいことは抜きにして、さあ歌って騒ごうじゃないか」  と友人Aは口にした。思えば、あれは社会人になってから初めての夏休みのことである。その日は月が出ない宵闇で、点々と並ぶ盆灯篭や提灯だけが薄ぼんやりと存在感を主張するのだった。 *  同期同士で何かの拍子に四国を旅しようということになった。初めて訪れた徳島では、たまたまお盆休みということもあり、大仰な祭りが催されていた。もう全国各地で知られることになった「阿波踊り」を、その元祖ともいうべき場所でついに実

とろけるものには毒がある

 今では遠い遥か彼方の記憶だが、よく休みの日になると親の車に乗せられて、植物に囲まれたシンプルながらも清潔さに満ちた家にお邪魔したことを思い出す。その時々によって違ったが、行くとその家に住む仕立ての良い貴婦人が近くの子供達を集めて、神秘的でワクワクするいくつかの物語を語って聞かせてくれるのだった。  驚くべきことにそれなりの長さにもかかわらず、彼女は全ての物語を暗誦していた。おまけに頭の中にある物語をそれはそれは情感たっぷりに語って聞かせてくれるのである。私はその時間を迎え

ストーリーの作り方(備忘録)

 気がつけばnoteを始めてから1年が経ったことに驚きを隠せないでいる。年々時が過ぎていくのが早くなっていく。思えば書き初めの頃は自分が一体何を表現したいのかがよくわかっていなくて、そして残念ながらいまだによくわかっていない(情けない……)。少しずつ小説的な何かを書くようになって、登場人物たちが思うように動いてくれずヤキモキしてしまう。  本当はどこかできちんと脚本術を習いたいな、と思いつつも一体どこで何を学べば良いのかと生まれたての子鹿のように暗中模索で手探りをしている。

愛すべきモナカアイス

 昨日の天気とは打って変わって、今日は本当に穏やかな1日だった。もうだんだん世は夏の季節へと移行して行っているらしい。ゴールデンウィーク2日目、今日はただひたすら本を読む日にしようと決めていた。とりあえず溜まっていた服をクリーニングに出して、今日までに支払わなければならない税金関連を処理し(すっかり忘れてた)、そのついでにコンビニでアイスを買った。  じわじわくる暑さに耐えきれなくなったのである。コンビニのショーウィンドウの中には様々なタイプのアイスが売られているが、なぜか

今夜は心地よい炭酸の上で

 ようやく明日からゴールデンウィークとなるわけだが、毎年やっときたー!というような異様なハイテンションにはなることができないでいる。それもこれも突如降って湧いた”やつ”のせいであるが、もうみんなが同じ状況なので四の五の言うことはできない。  まだまだしばらく海外へ行けなさそうなので、どうにも魂だけでもどこか浮遊したい気分になってくる。(そういえば昔ゲゲゲの鬼太郎のアニメ版において、鬼太郎が魂だけ飛ばして地上階を見下ろす回があったような気がする。私も魂だけでもこの状況から抜け