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とろけるものには毒がある

 今では遠い遥か彼方の記憶だが、よく休みの日になると親の車に乗せられて、植物に囲まれたシンプルながらも清潔さに満ちた家にお邪魔したことを思い出す。その時々によって違ったが、行くとその家に住む仕立ての良い貴婦人が近くの子供達を集めて、神秘的でワクワクするいくつかの物語を語って聞かせてくれるのだった。

 驚くべきことにそれなりの長さにもかかわらず、彼女は全ての物語を暗誦していた。おまけに頭の中にある物語をそれはそれは情感たっぷりに語って聞かせてくれるのである。私はその時間を迎えるのがいつも楽しみで仕方なかった。

 もともと私はひどく落ち着きのない子だった。親曰く、話を聞いている時だけなぜそれほどまでに集中力があるのか、不思議でならないと思っていたらしい。

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 貴婦人が語って聞かせてくれた話の中に、『ちびくろ・さんぼ』という本がある。虎が追っかけあって、最後はそれが溶けてバターになってしまうという話である。本自体は、人種差別的だという批判を受けて私がこの世に生を受ける前に絶版になってしまったらしい(今では再び購入できるようになっている)。その貴婦人の家にはさまざまな絵本が置いてあり、確か実際手に取ってその本を読んだ気がする。

 先日の記事でもちらりと紹介した柚木麻子さんの『BUTTER』の中にもこの『ちびくろ・さんぼ』が出てくる。本の中に出てくる食材や料理はいずれも生き生きとした描写で文章が描かれており、ついつい食べたい気持ちに駆られるから不思議だ。

 この本はただ食に関する紀行文とは異なる。食は単なる物語を構成するひとつの要素に過ぎない。改めて本作品を全て最後まで読み終わった時には、主人公たちの姿を通じて現代に生きる人々の「生きづらさ」が巧みに描かれていると感じた。

<あらすじ>
 記者として順調にキャリアを重ねる町田里佳。彼女はそれまであまり不自由なく、人生のレールを歩んできた。それが過去に結婚詐欺の末に男性三人を殺したとされ、収監されている梶井真奈子(通称「カジマナ」)との出会いにより、これまでの価値観含めて周囲の人たちとの関わりを通して新たに自分の人生を見つめ直していく。

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ふとした拍子に感じる生きづらさ

どんな女だって自分を許していいし、大切にされることを要求して構わないはずなのに、たったそれだけのことが、本当に難しい世の中だ。(p.22)

 気がつけばある時を境に、私も含めて人は他の誰かが勝手に決めた価値判断に従って判断せざるを得ない状況が生まれてしまったように思う。使い古された大衆商業広告に意図的かつ周到に埋め込まれた価値観。女性は痩せていなければならない、謙虚でしおらしくいなければならない、家で愛情たっぷり込めた料理をもって夫を優しく出迎えなければならない。

 主人公である町田里佳もかつてはそうした価値基準に従って生きる女性の1人でだった。それが体格もふくよかで、半ば自分の欲望に従って生きるカジマナと直に関わることによって、彼女が自然と刷り込まれていた価値観が本当に正しいのか疑念を持ち始める。

人にどう見えるか、と考えながら、答え合わせをするように生活することに辟易している。(p.102)

 まさにこの言葉を読んだ時、私がいつも心の中で燻っていたモヤモヤを解消してくれたような気がした。私たちは集団の中で生きていく以上、いつのときだって誰か周囲の目を気にして生きていく必要がある。もちろん一部の人たちはいい意味で神経図太く周囲を気にしない人もいると思うが、それはほんのひと握りだと思う。

 当初自分とはあまりにも異なる生き方をするカジマナに対して里佳は心惹かれていくのだが、後半交流が密になるにつれてカジマナ自身もまた世間のイメージに従った価値観を持っていることに気づく。里佳が会いにいくと、カジマナは他の女性と同じようにいつかは家庭に入り、大切な人のために料理を作りたいと言う。

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 誰かが築き上げてくれた価値観に従って生きることはそれはそれで楽な道だと思う。できるだけそのイメージに沿って生きれば良いのだから。その道から逸れた瞬間ともすると暗闇に溺れ、手探りで先を進んでいくことになる。一度レールを外れた人に対して、周りもどう接して良いか分からないからその扱いに窮する。人はなんとか「普通」であろうと模索する。

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とろけるバターと溶けない意志

 最近思うのは、だからこそその度に自分自身に問いかけていくことが大切になってくるのではないかということ。相手が望んでいるものに対して自分が合わせることによって、何が生まれてくるのか。

 それが仮に満ち足りた幸せであれば、それはそれで進むべき方向は間違ってないと思う。でももしそうでないのであれば、自分自身は本当に何がしたいのかを自問自答する必要がある。それには自分の中で確固たる「正しさ」や基準を持ち合わせていること。

 確かに昔はインターネットもない至極閉じられた世界だったために、人と違うことをすればそれだけで目立つし、コミュニティからも阻害されるという背景もあっただろう。だが今は幸運にもネットが普及し、誰しもがこれまでの固定概念とは異なる様々な価値観を取り込めることができる。

 とろけるものの中で自分が一緒に溶けてしまう前に、自分という確固たる意思、そんなものを持てる人間になりたい。それが今の私の密かな理想だ。

 それはバターのように滑らかでありながらもその場で消えて無くなってしまうものとは、もしかしたら正反対の道なのかもしれない。

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だいふくだるま
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