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私が、きっと息をしている理由。

 昨日の昼間あたりから急にお腹が鈍い痛みを訴えるようになった。それは今日までぼんやり続いており、仕方がなしにコロンと丸くて黒い小さな球を3つほど飲むハメになった。どうしても見た目が良くないので、飲むときに躊躇する。なんで私はこんな目に遭ってるんだろうな、と頭を回らしたときに思い至ったのが昨日食べた西瓜だった。一玉の半分も食べてしまったから胃袋がきっとびっくりしてしまったのだろう。無理矢理そう思うことにした。

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 正直、お腹がチクチクと痛む時、仕事をするのはどうにもしんどい。こんな時私は無宗教なのに、どうしようもないご都合主義で、「神様、仏様」と心の中でつぶやくのだ。そうすると不思議なことに心が安らいだ。こんな時ばかりずるいと思うけど、どこか人非ざる者の半ば超人的な力を借りたくなる。

 私はいつだって、単純だ。

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 つい先日、本屋大賞にノミネートおよび芥川賞を受賞した宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』を読んだ。内容的にはそれほど文量としては多くない。そしてたぶんこの本は、とても読み手を選ぶ。文体はどこか軽い羽根のように、読みやすい。流麗と表現はできない。どこかエンターテイメントと言ってもいいような雰囲気を醸し出している。このニュアンス、伝わるかな。

 一人のアイドルを追いかける女の子が主人公だ。彼女自身、なかなかこの世界でうまく呼吸することができずに、もがいている。それにも原因はあるのだけど、一旦置いておいて。冒頭、そのアイドルがスキャンダルを起こして、炎上するところから始まる。そのアイドルを「推し」ている主人公にとっては一大事だ。

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彼だけがあたしを動かし、あたしに呼び掛け、あたしを許してくれる。(p.36)

 私自身は学生時代誰か「推し」の人がいたかというと、どうだろう。同じCDを、一瞬の瞬間のために何枚も何枚も買う……なんてことは残念ながらなかった。もともと飽きっぽい性格だったこともあり、そこまで何かに打ち込むくらいなら他の新しいことに手をかけるタイプだったように思う。

 それでもおそらく人並みに好きなアーティストがいたし、彼らがライブを行うと聞いた時には必死になってチケットを買い求めたこともあった。当時はインターネットという便利な文明の利器が一般的に普及する前だったので、チケット開始時間になると子機にかじりついてひたすら電話をかけ続けたことを思い出す。今ではなかなか稀有な経験だ。

 だからただ一人の「推し」を応援し続ける心理はわかる。完全に理解することはできないけど、「わかる」。いつだったか、自分が応援していた人がどんどん人気者になっていくのを見るのが楽しいんだ、と言っていた友人のことを思い出す。その人にとったら、まだ見ぬ我が子を育てている心境だったのだろう。

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 アイドルとは、語源を辿れば "ideal"からきていて、「理想」だとか「偶像」といったところから派生しているそうだ。自分の子どものように見る姿もそうだし、どこか自分のふがいなさを胸の奥底に閉じ込めて、まるで自分の写身のように捉える見方もある。

 それ以上に私の中では「偶像」、というところに近いような気がする。自分の手では決して届かないもの。どこか神様のように近い存在。毎日仏様にありがたく手を合わせて祈る人たちと、ライブ会場で必死にペンライトを振りながら「推し」を応援する人たちにはもしかしたら共通点があるのかもしれない。

 本作の主人公にしてみれば、きっと「推し」とは神様に近いところがあったのではないだろうか。どうにもならない不合理でしんどい世界を支え続けてくれるもの。辛いことがあっても、心の支えになってくれるような。

 真摯な願望、その存在が自分にとって絶対無二の存在。

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 でも、それって神様や熱心に追いかけるアイドルに限らないと思う。

 私自身は常に自分が楽しくなれることを追いかけている。仕事はしんどいけれど、美しい景色を見たら疲れなんて吹っ飛ぶし、美味しいものを食べることができただけで人前気にせず口元が緩んでしまう。きっと、人は知らず知らずのうちに自分の中に思い描く小さな「神様」がいる。

 手が届くように思えて、なかなか完全に触れることができない存在。いつかの某アイドルの、キャッチフレーズみたいだ。

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 「憧れ」、「理想郷」、「自分にとって支えとなるもの」。手が絶対の届かないからこそ、自分から遠くにいる人たちに祈りを込めるのだろう。病める時も健やかなる時も、日々の出来事に感謝と救いを求めて。 

 ただひたすら、現実世界と結びつけてくれるものの存在を追いかけて。

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だいふくだるま
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