狭間でゆらゆら揺られる

 最近、自分の中で何かが足りない。これがなぜなのか何とも表現するのがもどかしいところだけど、少し前まであった物事に対する高揚感だとか新しいことに挑戦する意欲だとか、そういったものがだんだん削がれていっている気がしてしまう。

 その原因って、思い巡らすと頭に浮かんでくることがいくつもある。年齢を重ねて落ち着いたということも言えるかと思うし、コロナのせいで行動に制限がかかってうまく立ち回ることができないということもあるかもしれない。

 きっとね、こういうのは積み重ねだと思う。何もかも。日々を過ごしていく中で自分は大丈夫だと思っていたはずなのに、少しずつ1日1日がすぎていく中で何かが気づかないくらいのスピードで失われていってしまう。人との関わりだとか物事に対する興味だとか。短期間だと気が付かないもの。長い期間をかけて初めて「あれはどこいったのか?」とようやく認識するもの。

 思えば人の信頼だって同じかもしれない。付き合い始めた恋人たちは絶対にその時はお互いのことを大切にしてあげたいという気持ちがあったはずなんだ。それが少しずつお互いのことを知って違和感を所々感じる。それが折り重なって「塵も積れば山となる」状態になる。

 最近再び家に篭るようになったおかげで、これまで写真を撮ることで培ってきたこの世界を見る視点みたいなものがうまく捉えられなくなっている。気がする。

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 そういえば昔読んだ小川洋子さんの『密やかな結晶』という小説がいまだに忘れられず胸の中にぎゅっとしまわれている。記憶狩りによってゆっくりと大切なものを失われていく人たち。人は気がつけば何をなくしてしまったかもわからない。確かに大切なものだったはずなのに、思い出せなくなる。

 小説は私の世界を確実に広げてくれた。新たな視点やものの見方を教えてくれた。それまで興味なかったものに対しても、こんな考えもあるんだよということを教えてくれた。飽きっぽい私がほぼ唯一続けているのが写真を撮ることと本を読むこと。これは今でも続けてきてよかったなと思ってる。

  学生時代に読んだ本の中で今も忘れることができない物語の一つに、ナサニエル・ホーソーンという人が書いた『緋文字』という本がある。1850年にアメリカで出版されたゴシックロマン小説だ。

 17世紀のニューイングランド(今のアメリカのこと)において夫以外の別の人と浮気をし、その父親の名を明かすことを拒み、悔恨と尊厳の内に新しい人生を打ち建てようと努力する女性ヘスター・プリンの物語を描いている。

 彼女は牧師のディムズデールという男と不倫をした結果、パールという女の子を生む。彼女は浮気をしたことにより重い罪を背負い、浮気してしまった女性のことを表すadulteressという言葉の頭文字であるAという文字をその身に宿し、一生その言葉とともに生きていくことになる。

 女性であったら許される線引きと、男性であったら許される線引き。

 男女平等と言われて久しいけれど、不思議と性別が異なることによって許される領域ってそこかしこで渾然と残っている気がする。。別の性別に生まれたらもっと楽に生きられただろうなと思う場面はいくつもあるけれど、その逆も然りでこの性別に生まれてよかった、と思う瞬間もたくさんある。

 男性が浮気をすることによってもちろん世間からの冷たいバッシングを浴びることになるけれど、女性が不倫をした方がより大きな非難を受ける形のニュースのほうが多い気がする。「不倫は文化だ」と公衆の場で言うのはどうかと思うけれど、別の国では一夫多妻制が合法化されているところもあって、掘り下げていくと何とも難しい世界。

 逆に女性は女性で、男性が奢るのが必然ではないかという空気がある。旅行をする時には、女性の方が自分の身をきちんと守らなければならない。男性は青系統の色を好み、女性は赤系統の色を好む。

 なんとなく世間が作ったイメージに従って私たちは生きていて、その価値観を違うのではないかと心の中で思いながらもなかなか抗うことは難しい。

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 何が正しいかって考えていくとよくわからなくなる。いろんな人のものの見方があって、それが大多数の意見になると場合によっては針の筵になる可能性だってある。みんながみんな、顔の見えない誰かに対しても何を考えているのか想像することができたらいいのにな、と思う。

 どうも自分の中でモヤモヤすることが割と最近あって、うまく整理できていない。損得抜きで誰かに対して手を差し伸べられる人間でいられたらなと思う今日この頃。

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だいふくだるま
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