歌えど騒げど
「目的地なんて堅苦しいことは抜きにして、さあ歌って騒ごうじゃないか」
と友人Aは口にした。思えば、あれは社会人になってから初めての夏休みのことである。その日は月が出ない宵闇で、点々と並ぶ盆灯篭や提灯だけが薄ぼんやりと存在感を主張するのだった。
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同期同士で何かの拍子に四国を旅しようということになった。初めて訪れた徳島では、たまたまお盆休みということもあり、大仰な祭りが催されていた。もう全国各地で知られることになった「阿波踊り」を、その元祖ともいうべき場所でついに実体験をしたのである。
さまざまな学生から企業サークルに至るまで、実にさまざまな人たちがお祭りに参加していた。
いつになってもお祭りというのは自分の中で血湧き肉躍る催し物であるのだが、ここ最近のコロナ事情や赤字化に伴い「阿波踊り」自体が縮小傾向にあることは誠に残念。今でも見知らぬ人たちと、同じ言葉を発しながら、道路を練り歩いた時の記憶はしっかりと頭の中に刻み込まれている。
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確か何かの記事がきっかけで、手に取った会田誠さんの『げいさい』。芸術家としても一定の地位を築いた筆者が描く、多摩美芸術祭で起きた一日の出来事について書かれている。最初正直とっつきにくい感じだな、と思っていたのだが読んでいくうちにずぶずぶと言葉の波に飲み込まれ、一気読みしてしまった。
<あらすじ>
主人公である語り手僕こと「二郎」を通して、多摩美芸術祭で起きた一日の出来事と自身の芸大受験における葛藤を描いた自叙伝。
私自身もう一度大学受験をやり直す機会があれば、次は芸術の道に進みたいと密かに思っていた時期がある。もちろん芸術の道に進むことは生半可な才能だけでは埋もれるし、それ相応の努力も必要だということはわかっている。それでもどうしてもビジネスみたいなお金に雁字搦めになる人生ではなく、自分の感性に従っていつか生きていけたらと思っていた。
残念ながらそれを実現できるような高い志もなく、夢半ばで敗れてしまった。今回本を読んだことによって、美大と芸大の違いがわかったし、芸術にまつわる考え方も少しは本作品を通して少しは理解できた。
唯一私が芸術と名のつけられるものに浸っているとするならば写真なのだけど、結局は下手の横好きだし何かを極めるのは難しい。
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自由は、それを追い求められている時にだけ現れる逃げ水———蜃気楼みたいなものかもしれないなあ。到達できない永遠の理想というか。だからと言って、虚しくて無意味というわけでもない。(p.186)
私自身、大学生活一体どんなことをしていたかなと思い巡らすたびに、何故か砂の上を一陣の風が舞って全て持ち去ってしまうかのように朧げな記憶になりつつある(歳をとるって怖い)。
時には真面目に授業を聞いていた気もするし、時にはひどく自堕落な生活をしていたこともあったような気がする。あまりにも学問に理想を抱きすぎていたのかもしれない。
同じ学科の人たちが全然文学を読んだこともなく、半ば惰性的に学科を選んだということを聞いて、ああそれほどみんな真剣じゃないんだなあと思うようになり、途中から彼らに混じって楽しく煌びやかで消費的な、何も後に残らない生活を送るようになっていた。
今思い出すと、あれは自由かと言われるとそうではなかった。結局自分自身の意思が弱くて、周りに溶け込んでしまったんだと思う。あれは人生に必要な時間だったと言えるかもしれないし、そうでなかったかもしれない。みぞれのように、手のひらの上に落ちた瞬間消え去ってしまった儚い思い出。
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自由という言葉の定義は難しいよな、とつくづく思う。大学最後の年に書いた論文の題材は、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』という本だった。自由奔放に振る舞うホリー。彼女の人生は果たして最良だったのだろうか。
時々胸がどうしようもなく、キュッと縮まる思いに駆られてしまう。昔どこかに置き忘れてしまった、感受性の澱のようなもの。初めて訪れた東京の街は狂気を感じたし、それから同時に何か可能性を秘めた街だと思った。
それが東京で仕事をするようになって、慣れたせいもあってか、今では何も感じなくなってしまった。もしかしたらそれが生活に順応することへの代償なのかもしれないけど。
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近頃はポツポツと絵を描きたい欲が高まってる。目下の目標は陶芸なので、それを無事達成したらきちんと誰かに絵の書き方を教わろう。いつか一晩中騒いで踊り狂った時のような、あのどうしようもなく阿呆で甘美的な夜の出来事を思い出しながら。