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また読み返したいnoteを集めた私のブックマーク的マガジン
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#ひとりごと

「書く」という、心の調律

「書く」という、心の調律

以前、仕事で声楽の先生にインタビューした経験がある。地域で開いている体験レッスンを実際に受けて、その様子をレポートする内容だった。時間は60分程度。

発声練習に半分以上の時間を使った後、実際に一曲歌ってみる。ポイントを指摘していただく。課題曲は「ハナミズキ」だったと思う。

あらゆる方法で発声練習は行われた。中でも印象的だったのは、鼻の付け根を少し摘みながらガマガエルみたいな声を出す方法と、お腹

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空虚はロックを鳴らせなくても

空虚はロックを鳴らせなくても

幼少の頃から感情を表に出さないタイプだと言われ続けて、文字を扱う仕事をしてもそれは情報の切り貼りであって、noteを始めたのは「自分の言葉や文章を探す旅に出る」名分で、それはつまり私が物事や現象に対してどのように感じるかを知る目的だった。

マイペースにやっているから3年続けても約160記事。多いのか少ないのかはわからないけど、何も持っていなかった私にしてはがんばったほうだと思う。

でも、書いて

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だから、この夏は日記を書いた

だから、この夏は日記を書いた

温かいコーヒーが似合う朝になりつつある。子どもたちを幼稚園へ送る時間は午前7時半過ぎ。太陽はまだ登りきれていない。月の数字が8から9になっただけで、季節は律儀にコマを進め、空色は濃度を変えたようだ。

私は長袖をまとい、子どもたちにパーカーを着せる。秋が深まっていく。初めて雪国で過ごす冬の、序章が始まった気がする。

と、最初の数行ぐらい書いたところで息子がどしんと膝の上に乗ってきた。

「ぼくも

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きっと私は解放されたのだと思う

きっと私は解放されたのだと思う

母の四十九日の法要と開眼供養、納骨を終えた。

納骨の予約の際に「開眼供養(かいげんくよう)が必要なのでワンカップのお酒と一握りの塩と研いだお米を持ってきてください」と墓地の担当者より言われ「開眼供養」が一体なんなのかわからずに確認したところ「その墓地に初めて遺骨が納められる際に行う供養のことです」と言われ納得した。両親は自身のお墓を予め準備していたが、母が亡くなり今回始めてそのお墓を本当の意味で

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10年、節目の片道切符

10年、節目の片道切符

アメリカに行く。大それた野望も、勝算も、企みも、あったわけじゃない。無鉄砲だった。ただ「何かを変えなければ」と焦りだけがあった。駆け抜けた20代の終わり。住み慣れた地元の街。積み重ねてきたものをすべて投げ出そうとするぐらいには追い立てられていた。

何から?それがうまく言えたらよかった。秘密を抱えた家族との会話とか、景色に染み付いた失恋の記憶とか、何を得ても褪せない飢餓感とか。私にしか、いや私にす

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明日はもっと優しくなりたい

明日はもっと優しくなりたい

同じ地域に9年、同じ家に4年住んでいると、毎年恒例の光景が増えていく。

一つは、小庭に一株だけある季節の花。いつも4月半ばに満開を迎える。薔薇のような、椿のような、花に詳しくないからわからない。絶妙なピンクで、きれい。
もう一つが、玄関先に作られる鳥の巣。花と同じ時期に作られる。燕じゃない、雀じゃない、これまた鳥に詳しくないからわからない。高い音域で鳴いて、かわいい。

一本、また一本と親鳥が小

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ヨーグルトに救われた2週間のこと

ヨーグルトに救われた2週間のこと

人は失って気付くと言うけれど、私は失うより先に気付いたとしても、すぐに忘れてしまう。

繰り返し、繰り返し。

思い出したくないような、でも絶対に覚えておかなければならない、我が家に起こった出来事の記録です。

風邪の症状がない恐怖ある日、突然のことだった。

いつものようにデイケア(保育園)へ迎えに行くと、先生に連れられ、うつむいて歩く長男がいた。普段は満面の笑みで飛びついてくる。なのに目も合

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初夏のカナディアンロッキーに呼ばれて

初夏のカナディアンロッキーに呼ばれて

久しぶりに旅行に出ていた。アメリカは7月4日が独立記念日。その州なら夫が連休を取れるというので、思い切って計画。

最近の私はわかりやすく煮詰まっていて、Twitterがみるみるサボりがちになり、noteも一記事書くのに何日もかかっていた。

だいたい、こういうときは他人の言動が自分の心を占領している。誰かに投げつけられた発言に落ち込んでいたり、羨望や嫉妬を抱えきれずひとり相撲していたり。

日常

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米津玄師、 刹那に宿る光を見つめて

米津玄師、 刹那に宿る光を見つめて

一つずつ集まったピースがいつのまにか新しいパズルの絵を描くみたいに。バラバラに散らばる人生の断片を、音楽が結び目となって引き寄せるときがある。
過去、現在、未来は地続きであり、ひっくるめて人生と呼ぶが、時折それらが交差する瞬間に出会う。

米津玄師の歌声を聴いていると、何かに似た胸の痛みを伴うと気付いた。その感覚を追いかけてみたら、夏終わりの空気だった。
冷たい夜風がふと腕肌に触れたときに、遠い過

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手作りの勲章

手作りの勲章

「この曲って先輩のお仕事みたいですよね」

大学時代から付き合いがある後輩友人が言ってくれたセリフ。彼女にとっては何気ない一言だったに違いないが、私はその言葉を10年以上経ってもお守りのように持ち続けている。

"この曲" のタイトルは「彩り」という。ミスチルの13枚目アルバム『HOME』に収録されているリード曲だ。

僕のした単純作業が
この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の
笑い声を

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正義がひとりを揺らす。

正義がひとりを揺らす。

自分の人生が映画化したら、主題歌はYUKIの「誰でもロンリー」にする。

弾けるメロディとYUKIの伸びやかな歌声は僕のギアを上げてくれる。何といっても歌詞がすきで、YUKIの口から発せられるからこそ意味をもつ詞が綴られている。

楽しそうに笑って 誰でもロンリー

悲しいかな、誰にでも孤独の波は打ち寄せる。

無我夢中で追いかけた夢。過度に応えようとした期待。改札口で別れた直後に死ぬ表情筋。家族

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BUMP OF CHICKENが歌う「強さ」と「強がり」の境界線

BUMP OF CHICKENが歌う「強さ」と「強がり」の境界線

人の強さってなんだろう?

頭の隅にずっとありながら答えが出なかった問いだ。誰かの言葉で簡単に傷ついたり、誰かをむやみに傷つけたりしない強さを持った人間になりたかった。
なのに、そうあろうとすればするほど本当の自分を置き去りにしているように思えた。強さの意味を履き違えていた。

BUMP OF CHICKENの音楽と出会ったのは、そんな自分を持て余していた10代と20代の狭間だった。

うだる暑さ

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「恋をしているみたい」を英語にしたら

「恋をしているみたい」を英語にしたら

日本語と英語のあいだを行ったり来たりしている。家族とは日本語。外に出たら英語。ニュース、映画、絵本、メール、etcは日本語と英語どちらも。

二つの言語を使う生活で、さらに文章を書いていると「日本語も英語も中途半端だなぁ」と思い悩んだりもする。しかし外国語を通すからこそ得られる日本語の解釈があると気付かされて、ようやく両立が楽しくなってきたのがここ最近のこと。  

先日、仕事で記事をチェックして

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