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「恋をしているみたい」を英語にしたら
日本語と英語のあいだを行ったり来たりしている。家族とは日本語。外に出たら英語。ニュース、映画、絵本、メール、etcは日本語と英語どちらも。
二つの言語を使う生活で、さらに文章を書いていると「日本語も英語も中途半端だなぁ」と思い悩んだりもする。しかし外国語を通すからこそ得られる日本語の解釈があると気付かされて、ようやく両立が楽しくなってきたのがここ最近のこと。
先日、仕事で記事をチェックしていたら「恋をしているみたい」という一文に出会った。今まで意識したことなかったが、ものすごく日本語っぽいなぁと思った。恋をしているみたい、と声に出して呟いてみる。かわいい。
まず英語の場合は「恋」という感情を的確に表すのにぴったりな表現がないように思う。妥当な案としては「love」なのだろうけど、ちょっと守備範囲が広い。言い方やトーンによって雰囲気が変わるような。真剣な眼差しを添えて言えば愛っぽいし、顔を赤らめて照れながら言えば恋っぽい。というかこれ自体が全て私の主観だから心許なさすぎる。
調べていたら「crush」という単語に出会う。動詞としてはおなじみ「押しつぶす、砕く」であり、その時点でやや可能性を感じる。名詞として使われるときに「(一時的な)心のときめき、恋、片思い」という意味を持つらしい。(一時的な)を強調している点がプラスポイント。いいぞ、なんだか刹那的な感じが出てきた。
もう少し狂おしいほどの気持ちを表すとしたら「addicted」はどうだ。その昔、宇多田ヒカルが「Addicted to you」をリリースしたとき、わざわざ辞書で単語を調べたことを思い出す。addictedが中毒の意味を持つと知って震えた。あなたに中毒、つまりは夢中。それにも関わらず「別に会う必要なんて無い」と始まる歌い出し。ひょええ、もう推測できるよ中毒感。紛れもなく恋だ。
これらを踏まえると、恋ってやつはその人とその相手次第で幾通りにも感情があるってことがわかる。甘酸っぱくてふわふわな気持ちかもしれないし、痛みを伴うほどの狂おしい気持ちかもしれない。
「恋」の言葉も概念も一括りにはできないんだと、英語という他言語を経由することで日本語の奥深さに気付く。
さらに言えば「恋をしているみたい」の「みたい」ってなんだ。可能性なのか比喩なのか照れなのか報告なのか。
総じて、曖昧かつ多面的な意味合いを含むところが「日本語っぽいなぁ」と思ったゆえんなのだった。
そして、英訳を探す作業の中でふと思ったのは、これって小説やエッセイの描写と同じなのかもしれないということ。いかに「恋をしている」と直接的に書かずにそれを伝えるか、に苦心するわけなので。
ところで、今週とある言語学者のセミナーを聴いていたとき、終盤に川端康成の小説「雪国」の話が出てきた。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
みなさんがこの文章を英訳するとしたら何を主語にします?との問いかけがあった。日本語と違い、英語には必ず主語が必要だ。
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・(シンキングタイム)
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Edward G. Seidenstickerさんの英訳「Snow County」の冒頭はこう始まるという。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
ほわあああああ。
個人的にはものすごい衝撃だった。日本語には出てきていない「列車」という単語を持ってきたこと。そして、英訳により頭の中で思い描く光景がガラリと変わったこと。
雪国の冒頭を初めて日本語で読んだとき、私は「列車に乗っていて、まさにトンネルの出口を抜ける瞬間、その先に雪景色がある」主人公目線の絵を思い浮かべた。
しかし英語で読むと全く違う。「長いトンネルの中から出てくる列車と雪景色を遠くから見ている」第三者目線の絵が思い浮かぶ。
原文には明確な主語がないから、英訳ではそれを補う必要がある。主語を何にするかによって変わる物語のイメージ。
日本語の「曖昧さ」がもたらす景色もあれば、英語の「明確さ」がもたらす景色もある。これがまた他の言語だと別の景色が生まれるのだろう。どちらも正しいのだから、言葉って尊い。
(早速アメリカのAmazonで買った)
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