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批評について/エアリプについて


批評について

批評と鑑賞

ぼくはよく自分の文章を「文章芸」とか言うのだけど、病気になる前のブログは限りなく「芸」を目指して、芸になりきれないただの「感想」に過ぎなかったと思う。

毎日コツコツと書いてはいた。しかし公平性とか(たとえば一章から四首引いたら二章も四首みたいなこと)形式のようなことばかりに気をとらわれていて、自分の言いたいことがまったく言えなかったからだ。

最近は歌を掲出したら、必ず意味を取って解釈してなんていう手順を踏むことはまったくなくなったけど、その当時は「意味をいって鑑賞をしてそれから批評」だと思っていた。

駄目だ、これでは駄目だと思っていた。そういう基本的なところより、一首一首の背後にあるこころに自分がどう「感応」したかを書くのが批評なのだから、変な形式主義を捨てられてよかったと思う。世阿弥が言う「守破離」の「破」がようやくできたのだ。

批評というのは小林秀雄以来、日本の文芸で伝統的に使われてきたジャンルだ。批評は、日本の旗艦(フラッグシップ)ジャンルである、小説の批評から始まった。小林秀雄のあとを継いだ江藤淳や柄谷行人によって、いつのまにか日本の「考える芸術」の代表形式の一つみたいになってしまって、それが何かをうまく説明できるひとはほとんどいない。歌集評や短歌評という言い方で、短歌の世界にも評なんて言葉があるけど、あきらかにそれは「批評へのあこがれ」からきていると思う。

さっきもちょっと書いたけど、批評というのは「作品に自分がどう感応したか、何に触発されたか」を書くものだ。わたしがこれをこう読みました、という鑑賞とも違うし、評価とか、価値を云々するものとも性質が違っている。人間的な、内的な動機づけが批評には必要で、小林の批評と柄谷の批評ではその文体がまったく異なっている。

柄谷行人の文章を読む

たとえば柄谷行人の文章を読んでみよう。

漱石が「吾輩は猫である」を書きはじめた明治三十八年(一九〇五)には、まだ「自然主義」 は登場していなかったが、すでに「近代小説」の話法は成立していた。これは、明治二十年代 初期に、坪内逍遙や二葉亭四迷が、さらに森編外らが悪戦苦闘していた時期を思えば、信じが たい事態であっただろう。彼らが苦心惨憎しまたその後長く筆を折らざるをえなかったような 仕事が、十年余り後には自明になってしまっていたのだ。「言文一致」運動は言(口語)で書 くことではなく、言を新たな文語(文学言語)とすることである。ところが、日露戦後には、 漢文も載文も書けず、「言文一致」という新たな文語でしか書けない作家が普通になっていたのである。

こういうドラスティックな変化を想像するのは難しい。たとえば、それは戦後の仮名遣いの改革において、新仮名遣いに慣れたというよりも、それでしか読み書きできなくなった世代が出てきたことになぞらえられるかもしれない。ある種の文筆家は今も旧仮名遣いに固執している。仮名遣いのわずかの変化でさえ、われわれの意識に大きな(しかしまだはっきりしない) 効果(結果)をもたらす。そこから見れば、明治二十年代から三十年代にかけて生じた変化がどれほどのものかが推測しうるだろう。

しかも、この類推が恣意的でないのは、仮名遣いの改革が「言文一致」と同じ思想でなされたからであり、より口語に近い文語を志向するものだったからである。新仮名遣いには多くの 矛盾がある。たとえば、助詞としての「わ」や「え」は「は」や「へ」と表記される。のみならず、標準語以外の日本語を話す者にとっては、表音主義は大した意味をもっていない。それ は新たな音声の習得にほかならないからだ。が、そうだとしても、この種の改革は、意識=音声がそのまま文字によって表記されるかのような錯覚を与える。それは文字の外部性を neu- tralize(中性化=消去)する。むろん、こうした変化は明治二十年代に生じた変化に比べればものの数ではない。たとえば、現在旧仮名遣いに固執する者も、明治三十年代において自明化したものの上でしか考えていないし、それを疑おうとさえしない。彼らは妙に「文章」にこだわりたがるが、それは私がここでいう「文」の問題とは無縁であって、たんなるフェティシズムでしかない。

「漱石と文」『柄谷行人 漱石論集成』

ぼくは柄谷行人の考え方が「直撃」した大学生活を送っていた。文学研究をしている人間が柄谷の先鋭的な漱石論や文学論を無視することは難しい。これらの文章は、隅々までほぼ覚えるようにして読んだ。愛する、というより偏愛していたあの頃が懐かしい。いま考えてみると、柄谷行人という批評家が、どういう思いで文章を書いていたのか、むしろ知らない読者に語る必要があるように思う。

柄谷の文体はとにかくどの文章を読んでも「一貫」して、「ない」「ない」、「ない」の繰り返しである。そして、彼が初期から主張しているのは一つのことだけだ。たとえば、この文章では何について語っているのかを、詳しく見ようとするとなんとなくわかる。

しかも、この類推が恣意的でないのは、仮名遣いの改革が「言文一致」と同じ思想でなされたからであり、より口語に近い文語を志向するものだったからである。新仮名遣いには多くの 矛盾がある。たとえば、助詞としての「わ」や「え」は「は」や「へ」と表記される。のみならず、標準語以外の日本語を話す者にとっては、表音主義は大した意味をもっていない。それ は新たな音声の習得にほかならないからだ。が、そうだとしても、この種の改革は、意識=音声がそのまま文字によって表記されるかのような錯覚を与える。それは文字の外部性を neu- tralize(中性化=消去)する。むろん、こうした変化は明治二十年代に生じた変化に比べれば ものの数ではない。たとえば、現在旧仮名遣いに固執する者も、明治三十年代において自明化したものの上でしか考えていないし、それを疑おうとさえしない。彼らは妙に「文章」にこだわりたがるが、それは私がここでいう「文」の問題とは無縁であって、たんなるフェティシズムでしかない。

わたしたちが口語で書くときの「仮名遣い」がいつ定着したかを語っている文章だ。しかし、柄谷は新仮名遣いの矛盾が「新たな音声の習得」を意味し、その痕跡が消されるまでを書いている。

柄谷の文章はいつもそうだ。「わたしたちが『当たり前だ・自明だ』と考えていることは、大昔に誰かが考えた結果であって、その『過程』はわたしたちにはまったく痕跡が残らない」みたいなことがいいたいのだ。

いつも首尾一貫それなんだけど、柄谷はそれを大きな政治的なアジテーションの文体でやるから「否定」「否定」「否定」になり、謎の高揚感がある。考える人間のドラッグのようなものだ。内容の素晴らしさ、他の作家の発言を引用する(引っ張ってくる)手つきも天才的なのだけど、全共闘時代を生きた批評家の「ない」には、彼の「怒り」の感情がまざまざと刻印されていると思う。

この光景には見覚えがある。(これは柄谷の慣用語)

柄谷行人を知らない人が、はじめて柄谷行人のアジテーションを聴いたときに感じた、謎の高揚感を記録した映像がYouTubeに残っている。

以前大森靖子がアイドルのフェスに初登場したとき、「謎の感動」みたいな称号でニコニコで呼ばれていたけど、柄谷行人もそんな感じ。まったく柄谷なんて読んだことのないはずの運動家たちが、このスピーチでおおおっとなった瞬間だ。

私はデモに行くようになってから、デモに関していろいろ質問を受けるようになりました。それらはほとんど否定的な疑問です。たとえば、「デモをして社会を変えられるのか」というような質問です。それに対して、私はこのように答えます。デモをすることによって社会を変えることは、確実にできる。なぜなら、デモをすることによって、日本の社会は、人がデモをする社会に変わるからです。
            
「9・11原発やめろデモ」でのスピーチ 柄谷行人

http://associations.jp/archives/437


柄谷の文章は、まさに同語反復というか、その言い換えの冴えと、ほぼキレ散らかしに近い否定の繰り返しが特徴だ。まさに彼は自身の怒りを否定の力に込めて、それをだんだん新たな概念で克服していくことによって、知の高揚感を演出する。柄谷の文章がいまでも輝きを放つとすれば、その批評の文体の「芸」によるものだろう。

エアリプについて

小説家と批評家(枡野さんのリポスト)


いきなり話は卑近なところになる。ぼくの文章が「~にすぎない」とか「~ではない」みたいな否定が繰り返されていることを、ちょっと気になる人がいるよ、ということを教えてくれたのが枡野浩一さんのこのコメントだと思う。実は最近、枡野愛が炸裂してしまって、noteのメンバーシップにはいって話すようになったら、さらに枡野浩一愛が深まってしまった。

最初、「枡野さんはnoteをどう使ってるのかな」と思って加入してみたのだけど、今は枡野さんと話すのが楽しくなってしまった。ご自身も相当短歌を読まれている一流の鑑賞家であり、その知識を嫌がらずに教えてくれるというか、きちんと自分なりの目線で伝えてくれる方だ。枡野さんときちんと話ができたので、ぼくはもう歌人としての喜びの半分は得られたかな、とおもった。

短歌ブームに関しては、西巻さんとかなり同じ認識を持っています。でも口語短歌のフォルムが似てしまうことに関しては、枡野のほうが諦めが深いと思う。批判的に挙げられている短歌、私は好きです。

「〜にすぎない」という言い方は、保坂和志さんに指摘されてから、私はつかわないようになりました。

自分が柄谷のような文芸批評家になれたなんてまったく思っていないけど、なりたいなあとは思っている。芥川賞作家の保坂和志さんは、一体どうして「ない」がいけないって教えたのだろう⋯。なにかここには小説家と批評家の違い、少なくとも柄谷行人とは違う倫理が現代の小説家にはあるような気がする。

エアリプについて

おたよりコーナーみたいになっちゃうのだけど、吉田恭大さんからエアリプをもらったので、一応答えておきたい。

ぼく自身、エアリプがあまり好きではない。と言うか、トラウマ級のエアリプを貰ったことがあるので、ぼくのTwitter恐怖症を形成する要因のひとつになっている。

2021年の夏、いままで病気がちだった自分も、こんなだめだめっぷりにもかかわらずようやく歌集が出せたので、なるべく広くみなさまに読んでもらおうと短歌界の各所に寄贈(よく書いてある「謹呈」というやつだ)をした。

いままで歌集を送ってくれた方や、年配の方、クラファンしてくれた方以外にも広くお送りしたのだけど、若い人がどう考えているかわからない。一度も本のやり取りがない。

そこで、昔から認識のある「若い人」に少し送ってみたのだけど、さて次はもっと本格的に若い人に送ろうかなあという段階で恐ろしいエアリプをくらってしまう。

ある歌人から

「せっかく買おうと思っていたのに謹呈なんて迷惑だ」

みたいなつぶやきが流れてきたのである。

え、これぼくのこと? どういうこと?というわけのわからない混乱があった。

その方にはもう送ってしまっている。これ言われてもすいませんとしかこちらは言えないし、その時たくさん歌集がでていたので、「ぼくの歌集」について言ったのかも確認できない。なんか第二次謹呈で若手の人にたくさん送ろうと思っていたぼくは「きょ、許諾が必要なのかな若い人には」と思い、なんか不気味な感じがした。

一応何人かは許諾をとって送ったけど、さすがに怖くなったり疲れてしまって、一々許可を取るのを辞めて送るのも辞めにしてしまった。年配の方は丁寧に御礼を書いてくれて、短歌界ってあったかいなと思うんだけど、若いならこういうことはOKなのだろうか。

こういうことがあると、「あ、もう若手には謹呈するのやめよう」となる。御礼状とか送ってくれる人もいるし、十把一絡げに言うのは難しいのだけど、こういう機微に触れるところでこういうツイートをされるとメンタルが削れる。

それも引き受けて謹呈してるんだろ、と言われたらそれでおしまいだけど。とにかくエアリプは対応が難しい。

これ答えればいいのか、無視すればいいのか、どっちでもいいみたいな部分もある。「こういうのちらつかせるのは困るなあ」と思うんだけど、それを無視するのも芸だし、引き受けるのも芸だと思った。

とりあえず引き受ける方向で今回芸を展開するけど、次回どうするかはわからない。

埋め込んでいいかわからないのでとりあえずスクリーンショット

これは吉田恭大さんの裏アカウントのタイムラインに書いてあった。あきらかにぼくの文章へのリプライだと思う。吉田さんの裏のアカウントはいまなんて読むかわからないけど、それはまあいいや。

そっかあ、若い人は「芸」という言葉がサービスに置き換わるのか、という「ほう」という気づきがあった。しかし、これを言うんだという違和感もある。

「お客さんにサービス」というのはとても西洋社会的な考え方だ。対価があってサービスがあるみたいな考え方に、僕たちは慣れきってしまっている。しかし日本の伝統芸能は、能にしたって初学の頃はたとえばひたすら型を学ぶだけで、「お客さんを意識」するにせよけしてサービスをするという意識はない。この感覚は現代の日本人にはないものなのだろうか。

別に客にサービスする必要はなく、自分の芸を貫徹するだけだ。東浩紀みたいに変な意見にブロックかますのも立派な芸。

お客さんにどう伝えたいとかはなくて、ただ自分の文芸を守る。それだけでよい。吉田さん風に言い換えると、ぼくもおそらく同じプレイヤーにむけて書いているのだけど、結果として伝われば良いし、別に他の人に「誤読されても怒らないよ」っていうことだと思う。ふつうの読者、ましてや短歌に関係のないジャンルの読者が読んでもらっても、ヒントになればいいなみたいなのが僕の理想だ。

それはサービスをする提供する前の、日本で大事にされている「礼節」の部分だと思う。相手が自分の文章を読んでくれたことにまず感謝する、そういうサービス提供前のお辞儀とか挨拶の部分だと思う。それがある人は、「誤読されて高圧的な『言ってない』をかます」なんてことはないと思うけど⋯。

まずぼくはリプライなんて貰ったことがない。だから多くの方の前で、ぼくがどういう心構えで文章を書いているのか、あきらかになんてしたこともない。だから今はエアリプでも嬉しい。お読みいただいてありがとうございます。

さすがに「謹呈は迷惑」みたいな精神的にダメージを食らわせてくるエアリプは勘弁してほしいけど。                

ジャン・ジュネの話(うろ覚え)


ジャン・ジュネは、パレスチナやブラックパンサー党などの政治活動にも参加したフランスの文学者だった。彼は誤読とか曲解に寛容だったというエピソードをどこかで聞いたことがある。

彼はぼそぼそと群衆の前で、独特な詩的な言語をフランス語で言うのだけど、それがパレスチナの民衆の前で「まるでアジテーションのように翻訳された」という経験があるという。

慌ててアラブ語のわかる彼の仲間がジュネに注意した。「いいんですか、ジュネさんだいぶ違うふうに訳されてまっせ」

「いいんだ、いいんだ、言葉ってそういうもんだ」

それがジュネの答えだったそうだ。

彼は1982年にパレスチナに赴いて回想録を残した。

そこでのエピソードだったか、本を売ってしまったいまでははっきりしない。

「わたしがブラックパンサーとパレスチナ人から学んだのは、反乱の何たるかをもっとも理解させることができるのは詩的表現だということだ。その表現が曲解されてしまうこともあるだろうし、一種の美学として見られる可能性もある。注意が必要だ。簡単なことじゃない」

タハール・ベン・ジェルーン/『嘘つきジュネ』

誤解されないために最新の注意を払うのも大事だけど、誤解されても諦念を持って受け入れることも文芸は重要だと思う。

今日から鑑賞を頑張りたい。

本日の参考文献

柄谷行人の漱石論集成。ぼくの卒論は漱石でした。

ジャン・ジュネのパレスチナへの旅。今持ってないんです。

モロッコの作家、タハール・ベン・ジェルーンの回想録。フランス文学は昔良く読んでたけど、いまは手放しちゃいました。

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西巻 真
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