#35【劇評・絶賛】中村鶴松「野崎村」お光(猿若祭二月大歌舞伎)(前編)
猿若祭良かった
春まだき。
いやいや、ここ数日はすでに初夏というくらいの暖かさですが。
少し前、まだまだ寒いころ、高校時代からの親友おーちゃんが、LINEのやり取りの中でふと「ぽかぽか陽気じゃないいまだからこそ、はる、なのかも」という言葉をくれました。ほっこり。
『春一番』(もうすぐ春ですね)、『春よ来い』(まだ見ぬ春)……ほんとだね。今ここにないときこそ盛り、春とはそういう存在だったのか。
さて、歌舞伎座の猿若祭二月大歌舞伎、昼の部観てきました。
ちょう良かった……めちゃくちゃ良かったです!!
迷っている方ぜひ行ってください、あと6日あります。
今日は、歌舞伎という古典の世界に、現代人がコミットできるように媒介するのが歌舞伎俳優なんだと気づかせてくれたのが中村鶴松「野崎村(のざきむら)」お光だったという話をします。
わたしが死んだらわたしと一緒に消えてなくなる言葉
今年の猿若祭・昼の部、くらたは断然「野崎村」でした。
ご見物の多くは勘九郎・七之助の『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』がめあてだと思うし、もちろんそちらもよかったのですが。
私淑する内田樹さんによると、みんなと同意見ばかり言うことは「私はいなくなってもいい人間」という呪いを自分にかけ生命を削るそうです。
逆に言えば「私がいなくなったら、誰もそれを言う人がいなくなるようなこと」を言うと生命力が賦活されるということ。
「それくらいに特異な言葉のわけですから、そのままストレートに口にしても、まず他人には理解されません。だから、なんとか理解していただくべく、情理を尽くす。」
なるほどね。
だからわたしはここにくだくだと文章を書くのか。
ご興味持たれた方は『困難な成熟』(内田樹/出版:株式会社夜間飛行)をどうぞ。これについてもまたそのうち書きたいです(そんなのばっかりだな)。
中村鶴松さんについて
一般家庭から部屋子となった歌舞伎俳優
中村鶴松さんは1995年生まれの人気若手役者です。
くらたがDVDで『野田版 鼠小僧』を見た時に子役がうますぎると衝撃を受けて調べたら「清水大希」さん、本名時代の鶴松さんでした。
一般家庭から歌舞伎の世界に足を踏み入れ、故・十八世中村勘三郎さんのもと中村屋の部屋子となり小学5年生で中村鶴松を襲名。研鑽を重ねて来られました。今調べて知りましたが、鶴松として舞台に立ちながら一般入試で早稲田文学部卒なんですね。なんと共通一次の英語全国一位。天は何物も与えるのうらやましいです。
同じく一般家庭出身の方は、坂東玉三郎さん、片岡愛之助さんがいらっしゃいますね。このお二人は部屋子の鶴松さんとは異なり、養子として歌舞伎の家に入られています。
ただでさえ楽な道ではない歌舞伎の世界ですから、一般家庭からそこに入るのがどれだけ大変かはちょっと想像できないですね。
↓下記リンクは早稲田大学4年次のもの。故・勘三郎さんに「おまえはうちの子になるといいね」と言われた話、泣ける。
血筋でも養子でもない人が主役を預かるという奇跡
名作と言われる「野崎村」の主人公お光。後述しますが野崎村は240年前に生まれた演目です。鶴松さんが歌舞伎座公演でこのお光に抜擢されるということは、とてもすごいことです。
歌舞伎の家に生まれた方が子々孫々に芸を伝えていく営為を脈々と続けて来たから、一人の人間が生きるたけをはるかにこえた長い時間にわたり歌舞伎芸術が守られてきました。故・勘三郎さんには二人の実子・勘九郎さんと七之助さんがいて、勘九郎さんには勘太郎さんと長三郎さんの二人の息子さんがいます。彼らは、生まれた時から歌舞伎がそこにあって、2~3歳から舞台に立ち、名前と大役を与えられて育てられていく。
いっぽうで、一般家庭から歌舞伎の世界に入った方は、歌舞伎の家の子よりは後から歌舞伎を始めます。長じて一門に入ってもお弟子さんとして後見を勤めたり脇を固めるのが一般的です。実力があっても、歌舞伎の家に養子に入ったり、大舞台で大役を抜擢されるまでに至ることの方がまれです。
もちろんどちらも厳しい道のりに相違ありません。
しかし、「外から歌舞伎界へ入った」「部屋子」の鶴松さんが「お光として」「歌舞伎座のチラシの一番前に名前が載ること」は、かように奇跡的なことなのです。
幕開き、鶴松さんがのれんから愛らしく顔をのぞかせた瞬間、この感慨がボカーンと襲ってきます。わあああ、鶴松さんのお光だあああああ!!!
「野崎村」ってどんな話?
さて、240年受け継がれる名作「野崎村」とはどんな話なのでしょうか。
「野崎村」は通称で、正式な演目の名称は『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』と言います。大阪で起きた心中事件をもとに書かれた戯曲のひとつで、安永9(1780)年に近松半二によって書かれ大阪竹本座で人形浄瑠璃として初演されたそうです。実際に起きた事件について、事情が知りたいとあれこれと想像するのは昔も今もかわらないのですね。
あらすじは下記のとおり。
先に言ってしまいますが、お光の「ある決心」とは出家のこと。父久作に、「奥へ引っ込んで祝言の身支度をせよ」と言われたお光は、お染と久松のやりとりの一部始終を奥で聞いており、再登場の際は髪を切り尼となった姿で出てきます。
ん?
婚約者がいる男が出稼ぎ先で社長令嬢と恋愛して、いいかげんヤバくなって田舎に引っ込んで所帯を持とうとしたら、妊娠した社長令嬢が追ってきて心中すると騒ぎ、もともとの婚約者の娘は出家するの?
なにその胸糞悪い話!
と思った人、挙手!少なくともわたしはそう思います。
田舎で待つ恋人に「僕は帰れない」と宣言する『木綿のハンカチーフ』(1975年)にも似た感慨が歌われていますが、状況はそれよりずっと悪い。
逆に言えば、この物語を「胸糞」とか言っている現代人に、「よかった!」と泣かせて帰すのが、歌舞伎の魔力なのでしょう。
……と、ここまで書くのに3時間、考えたことをすべてこの場に書いて可視化することは自分のためにとても楽しいのですが、日常生活とのバランスが課題。明日は珍しく早起きの予定があるので、今日はこのへんにします。
続きは明日、「この物語を「胸糞」とか言っている現代人に、「よかった!」と泣かせて帰す歌舞伎の魔力とは何か?」について書きます。
お読みくださってありがとうございました!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?