『波の上を駆ける女』 アレクサンドル・グリーン
1925年、日本で言うと大正時代に書かれた幻想冒険小説だ。
作者のアレクサンドル・グリーンはロシアの貧しい家庭に生まれ、船乗りや鉱夫などの職業を転々とした後、地下抵抗活動に加わって3回も流刑に処せられたという。
その人生自体がひとつの物語になりそうなそんな作家が書いたこの小説はしかし、暗さや苦しさではなく、美しく詩的な幻想とロマンスに満ちた冒険物語だ。
物語は、港町に宿を取り病後の療養をしている「わたし」ことトーマス・ハーヴェイが、ある日港で汽船から降り立つ美しい少女を見かけることから始まる。
少女のことが気になり再会を望むも、彼女がすぐにまた旅立ってしまったことを知るハーヴェイ。しかしそのすぐ後に友人宅でトランプに興じている最中、彼は不思議な体験をする。
カードを引こうとしたある瞬間にすっと意識が遠のき、一瞬のトランス状態の中で謎の女の声が《波の上を駆ける女》と言うのを聞くのだ。
その体験が後を引いて気分が落ち着かなくなった彼は集まりから抜けて一人港まで歩くのだが、そこで停泊していた帆船に、再び《波の上を駆ける女》という言葉を見つける。
幻聴として、そして目の前に現れた船に金の浮かし文字で描かれた名前として出現する《波の上を駆ける女》という言葉。なぜだか理由はないものの直感的に感じる、あの忘れ難い美少女とこの言葉との繋がり。
なんとしてでもこの船に乗らねばと、ハーヴェイは友人のつてを使った上に大金を払ってこの船に客として乗り込む。
《波の上を駆ける女》号の船長ゲスは、気性が激しく信用のおけない人物なのだが、なぜかハーヴェイに最初から敵意を剥き出しにして、出航後も挑発的な態度を取り続ける。そしてそのゲスの個室に、ハーヴェイはあの少女の写真を発見するのだ。
ゲスが少女の写真を持っている理由は後に明らかになるのだが、そこに犯罪と殺人も絡んで。。。
という物語なのだが、犯罪やら殺人やらが登場するのは物語の後半の佳境に入ってからである。
もちろん佳境に入ってからはぐぐっと引き込まれる展開なのだが、そこに行き着くまでの、冒険と幻想が入り混じった路程が面白い。
船に乗り込んだ娼婦に手を上げたゲスを止めに入ったことからハーヴェイはゲスの激しい怒りを買い、夜の海にボートと共に放り出されることになるのだが、ここで突然、船のどこかに密かに隠れていた一人の女性が現れ、一緒にボートに乗ってくる。
謎めいたことを言い残して海の上を立ち去ってしまう(!)女性。
その言葉通り、ハーヴェイは小さな商船に助けられ、ヘル・ヒューという港町に行くのだが、この商船でもまた、一人の魅力的な若い女性と彼は出会う。
この小説、言うならば美しい女性達をめぐるひとつの優美な夢である。
帽子を拾う手が重なり合ったり、顎クイしたり、という少女漫画並みのベタなシーンも登場するのだが、そう思って見ると、これはまさに少女漫画的なストーリーなのだ。
男女をあべこべにしてみると分かりやすい。
一度の出会いで忘れられなくなってしまったけれどその後会えない超絶イケメン、ピンチを救いに現れる謎のイケメン、一番身近にいて気が合う友達で、ちょっとときめきもするけれど既に彼女がいるイケメン。3人のイケメンの間で揺れ動くヒロインが最終的に結ばれるのはどのイケメン・・?というキュンキュンのストーリーだ。
たとえばハーヴェイ、こんな独り言を言ったりしている。
なんだかよく分からないがとにかく幸せそうだ。
ロマンチックなシーンでは、作者のファンタジーが炸裂しているようで微笑ましいのである。
引用を読んで感じられたかもしれないが、ひとつ難があるとしたら、日本語の文章の分かりづらさである。古い訳文によくある直訳的な硬さがあり、何を言っているのかよくわからないところがたまにある。
ただ、私は決してこれが嫌いではなくむしろ好きで、言語と遊ぶのが好きな方ならば、原文ではどんな書き方がされていたのか想像し、しっくりくる訳文を作り直すという楽しみもあるとお伝えしたい。
ベースは妄想炸裂気味なロマンス/ファンタジーなのだが、生き生きと魅力的な登場人物、詩的で美しい情景描写、手に汗握るエピソードで構成された濃厚で読み応えある作品だ。
船が港に入る様子や積荷を運ぶ人夫の動き、絢爛なカーニバルの情景など、読み終わってからも光や音まで経験した記憶のように焼き付いている。
映画化しても豪勢な作品になるに違いない。帆船という道具立てもいいし、目玉女優が3人も使える。
ぜひアリ・アスター監督に撮ってもらいたいものだ。ホラー要素抜きで。