たったひとりに贈られる言葉たち。
不思議なもので、言葉に落ち込んだ時は
また、言葉を探しにいってしまいたく
なる。
時々、言葉は道具だからと半分うそぶいて
しまいたくなるけれど。
言葉は日常のコミュニケーションのためにも
あるし。
作家のような「世界」を際立たせるために
格闘している人のことばもあると思う。
言葉って、単なる道具じゃないやり方として
贈り物って考えも一方である。
言葉をかけられて、すごくやる気がでたり
うれしくなるのも、こころにちくっと
刺さるのも、それは生身のひとが
発してる生身のことばだからかも
しれない。
いつだったか、甥っ子がまだ
小さかった頃。
夕方にちいさなボールで庭で遊んで
いて、それを片付けないまま、
そのボールがなくなったって大騒ぎ
して泣いていたことがあった。
その夜はとても寒くて、雪が
降っていた。
あ、埋もれているんだなって思って
わたしが庭に珍しくふりつもった
雪のなかからそのぷかぷかの緑色の
ボールをみつけてあげたことがあった。
甥っ子は手袋をしたままそこにいて。
ボールをわたしてあげると
「ありがとう、あるよ」
っておもしろい使い方で
ありがとうを伝えてくれた。
それおかしいよって、言いたくなくて
そうだね、「ありがとう、あるね」って
答えてあげたら、笑っていた。
ボールがみつかったことがうれしかった
のか、言葉が変だって気づいたのか
どっちかわからないけど、笑っていた。
あの時甥っ子の
「ありがとう、あるよ」が
ちょっとうれしくて。
甥っ子は、まだちいさいのにわたしに
言葉を贈ってくれたような気持ちになった。
少し前に、知っていたのに買うことも
できなかった1冊の本がある。
むかし、短歌を詠んでいたことが
あるけれど。
その歌集をすてきなアーティストの方に
作って頂いたのに、うまく流通させる
ことができなかったことが、ちょっと
トラウマになっていて、歌集をみることから
遠のいていた。
でも、この1冊はとてもいいなって思った。
『あなたのための短歌集』。
お客さんから悩みやお題をもらった
歌人の木下龍也さんが、短歌を便箋に
書いて封筒で送るというもの。
これって、まさに言葉の贈り物そのものだ。
たとえば、
このオーダーへの木下さんの返事は、
こんな言葉をもっと学校時代に贈られたかった。
そうすればすこし、ちがうアングルで学校を
感じられたかもしれないって、目にした途端
そう思った。
やさしさに思いがけず指で触れて、
やさしいってこういう感触だったんだって
ことに気づく時に似ている。
そんな短歌にしびれてしまう。
今恋をしてなくてよかった。
それぐらい、こころの肉片に刺さるような
歌だと思う。
さいごに、今聞きたいお題。
あとひとつだけ。
こんなオーダーが、もしわたしに来たら
なにも書けない。
のたうちまわっても書けないのに
木下さんはこんなふうに短歌に託す。
言葉がたったひとりのひとにだけ、そこに
あるはずなのに。
問いかけなかったはずのわたしにまで届いて
いて、これが言葉というものなのだと知った。
言葉には鍵をかけておくことはできない。
鍵付きの鳥かごからいつもどこかに羽ばたき
たいと思っているものなのかもしれない。
卒業式のこんな季節に。
贈り物としての言葉を感じたい夜もあるなって
思った。
そう、ここには「ありがとう、あるよ」が
いっぱいつまっているそんな1冊だと思う。