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自慢史観でも自虐史観でもない、東京裁判の評価-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」
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自慢史観でも自虐史観でもない、東京裁判の評価-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」
というわけで、今回は東京裁判なんだが・・・。
東京裁判については、日本でも議論があるよね。
諸外国からみたら、どうなのか、という話は一応置いといて、自慢史観(注:ボクの造語)は、どう言ってるの?
わかりやすく言えば、東京裁判は言わば戦勝国の「集団リンチ」みたいなもので、国際法学者のパール判事が言うように「全員無罪」のはずが、戦犯にされちゃった、みたいな感じ?(「集団リンチ」はたぶん小林よしのりが作った表現)
一方の自虐史観は?
わかりやすく言えば、東京裁判で戦犯にされた人は、戦争責任を問われるべき人たちだったのだから、戦犯とされたことに対しては重く受け止めるべきだ、みたいな感じ??
で、自慢史観でもない、自虐史観でもない、この本は、どういう書き方してるの?
やはり、中間的な評価に立っている。
一言でいえば?
たとえば、こういう書き方かな?
実態は政治的セレモニーだった「東京裁判」
「政治的セレモニー」ね。裁判じゃないといいたいのかな?
ちょっとわからんけど、まあ、「集団リンチ」みたいな過激な表現を使ってないところと、裁判の正当性を否定してそうなところは、中間的な評価なのかもしれないよね?
つまり、自慢史観と自虐史観、両方を折衷してるんだね?
うーん、たぶん、そうかな?
具体的にはどう書いてるの?
一応、まとめみたいな箇所はある。ちょっと長いけれど、読んでみてほしい。
以上のように、東京裁判は当時の国際法に基づく公正な「国際法廷」とは言えず、戦後の早い段階から「一方的で不当な勝者の裁き」ではないのか、という声が海外でも国内でも沸き起こりました。
しかし、戦勝国の「人道に対する罪」が裁かれていないから「当時の日本に罪はない」という論理が成立するはずもなく、仮に不公平な裁判であったとしても、日本の戦争指導部が戦前・戦中に行った行動の責任が消えるわけではありませんでした。
うーん、たしかに、中間的な評価だね。
でも、戦争責任を結局認めるような書き方してるから、どちらかというと、自虐史観の人が喜びそうな書き方してるんじゃないの?
うーん、よくわかんないけれど、そういう見方もできるかなぁ??
というわけで、今回は、東京裁判についてお勉強したわけだけど、どうだったんだろうね?
まあ、もはや、「アナタはどう思いますか?」という世界じゃないかなと思うよ。
今回の対話も、意義があったと思いたいよね。
そーだね!(笑)