見出し画像

近づいたのではなく、映像が大きくなった?!「バタ足ノンデュアリティ3」

近づいたのではなく、映像が大きくなった?!「バタ足ノンデュアリティ3」

(中略)五感としての「事実」は、そうではありません。近づいたとき、あなたの中の「映像が変わった」んです。あなたの中に映った車が「大きくなった」んです。これが「事実」です。

金森将「バタ足ノンデュアリティ3」より

遠くにあった車に近づくと、車が大きく見えるよね。

うん。だからこそ、近づいたと思うんだよね。

でもそれは、完全に「思考の次元」なんだ。

え?「思考の次元」??

「体感の次元」では、引用文にあるとおり、自分の中での車の「映像が大きくなっただけ」、なんだよ。

「思考の次元」から「体感の次元」へ。

ノンデュアリティって、言ってみれば、「思考の次元」から「体感の次元」へ、次元を切り替えることなんだ。

思考の次元から、体感の次元ねぇ・・・。

人は、「思考の次元」にいる以上、苦しみから逃れられない。

たとえば、過去を悔やむ、未来を心配する、とかも、思考の次元だよね。

思考の次元だ。

体感の次元だとどうなるの?

言葉にし辛いんだけどさ、言ってみれば、瞬間瞬間をただスキャニングしていくだけなの。スキャニングというと、瞬間瞬間に時間的ハバがあるようで、正確じゃないんだけどさ。

そんなことできるの?

ボクもできなかったんだけど、パソコン作業でフロー状態にはいって、ノンデュアリティに目覚めたあと、フローがとけて、ノンデュアリティもとけたときに、ノンデュアリティのときの感覚を、頭の中に探しに行く内省をしたの。

そしたら、その感覚が見つかったと。

それ以降は、今を「体感の次元」で捉えることが、パソコン作業しなくても、つかめるようになったわけ。

パワーオブナウ。

まあ、言ってみれば、パワーオブナウなんだけどね。

この分野の大御所、エックハルト・トールの処女作の名前と同じ、「パワーオブナウ」と同じだね。(邦題は、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」)

これ、Kindle版買ったんだけど、まだ読んでない。・・・話を戻すと、思考の次元ではなく、体感の次元で、時間を捉えられるようになると、過去や未来を憂うことがなくなる。

いいじゃん。精神的にラクになるよね。

ボクも、思考の次元に戻っちゃうこともあるので、老後とかどうなるんだろうなぁ・・・、とか思い悩むことはあるよ。でも、体感の次元にしてみると、そういった思いは、全く出てこなくなるね。

いいじゃん。

実に心が軽くなったよ。この記事を読んでいるアナタも、ノンデュアリティに、魅力を感じない?

⇧上のリンクを使うと、面倒な検索をしないで済む。リンクを活用しては?「今」の捉え方についての話も当然出てくるよ。実に名著!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?