南京事件を考える-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」
この記事は、ひとつ前の記事の続きである。それを読んでからこの記事を読むことを推奨しておく。
というわけで、コナンくんみたいに、
「真実はつねにひとつ!」とはいかない
ものであることを前提として、書くことにする。
というわけで、問題の南京事件である。
というわけで、
用語の定義ははっきりした。
これを前提として論を進める。
ロジック的には、あり得ることだなぁと思いつつも、
この「日記」というのが気持ち悪い。
陸軍刑法で罰せられていた、略奪・強姦のことを日記にあえて書くのであろうか?とは思いつつも、
一応、一次史料はあるのね、とは思う。
まあ、これも、
兵士の気持ちとしてはわからないわけでもなく、
実はこれだけではないのだが、これらが虐殺につながるというロジックなのかもしれない。
まあ、
30万人に疑義を与えているのは、自虐史観とは違うような気もする。
南京事件を認めない「自慢史観」(注:ボクの造語)と比べたら、
やはり、中間的な立場といえないか?
まあ、アメリカ・イギリスは敵国だからわかるとして、
ドイツでも繰り返し報道されたというのは、
南京事件の存在を肯定する方向に働くのか?(これってもしかして、ジョン・ラーベのこと?それだったら「戦争論2」で、よしりんが反論してるが)
というか、
日本では一切報道されなかったという書き方は、小林よしのりさんが「戦争論」166頁、167頁で示した、朝日新聞や毎日新聞の、南京での平和な光景を写した写真記事の史料価値を一切否定するものである。
小林よしのりさんは、怒らないのだろうか?
反論が期待されるところではある。
というか、ぜひ反論してください、小林先生!
というか、
「戦争論2」第13章「南京大虐殺の謎」で、とても、説得力のある話をされているので、
読者諸氏のアナタには、読んではいかが?と言いたい。
この記事の文章も長くなったし、相当分量のある章なので、第13章の引用は割愛せざるを得ないのが非常に残念だ。
この小林よしのりさんの主張も一理ある話なので、結局のところ、最初のE.H.カー「歴史とは何か」に戻ると、
「歴史の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実」はない
ということで終わりにしたい。