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南京事件を考える-山崎雅弘「5つの戦争から読みとく日本近現代史」

この記事は、ひとつ前の記事の続きである。それを読んでからこの記事を読むことを推奨しておく。

歴史家は必然的に選択的なものであります。歴史の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後傾倒の誤謬であります。しかし、この誤謬はなかなか除き去ることが出来ないものです。

E.H.カー「歴史とは何か」9頁より

というわけで、コナンくんみたいに、

「真実はつねにひとつ!」とはいかない

ものであることを前提として、書くことにする。

というわけで、問題の南京事件である。

より正確に言えば、南京事件と「南京大虐殺」はイコールでなく、前者は後者に加えて、日本軍人が南京とその周辺で行った略奪や強姦も含む、より広い意味を持ちます。

本書177頁より

というわけで、

用語の定義ははっきりした。

これを前提として論を進める。

(中略)日本軍の当初の予定では、上海周辺の戦闘で中国軍に勝つことだけしか考えておらず、(中略)南京への進撃は、予定外の展開でした。そのため、(中略)各部隊は、作戦の継続に必要な食料を現地で「徴発」するよう命じられます。
 食料の徴発とは(中略)「略奪」に他ならず、(中略)女性がいれば、日本兵による強姦の被害者となりました。こうした事実は、この戦いに参加した多くの日本兵の日記などに記録されています。

本書177頁より

ロジック的には、あり得ることだなぁと思いつつも、

この「日記」というのが気持ち悪い。

陸軍刑法で罰せられていた、略奪・強姦のことを日記にあえて書くのであろうか?とは思いつつも、

一応、一次史料はあるのね、とは思う。

物資の略奪をしなければ食べ物を得られず、作戦を続けられないという状況の中、兵士の心はすさみ、(以下略)

本書178頁より

まあ、これも、

兵士の気持ちとしてはわからないわけでもなく、

実はこれだけではないのだが、これらが虐殺につながるというロジックなのかもしれない。

南京とその周辺で日本軍に殺された中国人の数は、(中略)数万人から十数万人にのぼるとされています(中国政府は「三〇万人」という数字を主張してますが、最近では中国の歴史家からも「この数字は誇大ではないか」との意見が出ています)。

本書179頁より

まあ、

30万人に疑義を与えているのは、自虐史観とは違うような気もする。

南京事件を認めない「自慢史観」(注:ボクの造語)と比べたら、

やはり、中間的な立場といえないか?

(中略)事実は、当時多くの日本記者が南京方面に派遣されていたにもかかわらず、日本の新聞では一切報じられず、日本国民は戦争が終わるまで、これらの事実を知らされませんでした。
 しかし、アメリカやイギリス、ドイツなどの新聞やニュース映画では、事件発生直後から日本軍の(中略)蛮行(中略)が繰り返し報道されており、南京での行動は、国際社会における日本の評判を、より一層悪化させる効果をもたらしました。

本書180頁より

まあ、アメリカ・イギリスは敵国だからわかるとして、

ドイツでも繰り返し報道されたというのは、

南京事件の存在を肯定する方向に働くのか?(これってもしかして、ジョン・ラーベのこと?それだったら「戦争論2」で、よしりんが反論してるが)

というか、

日本では一切報道されなかったという書き方は、小林よしのりさんが「戦争論」166頁、167頁で示した、朝日新聞や毎日新聞の、南京での平和な光景を写した写真記事の史料価値を一切否定するものである。

他にもこのような記事は数多くある

「戦争論」167頁より

小林よしのりさんは、怒らないのだろうか?

反論が期待されるところではある。

というか、ぜひ反論してください、小林先生!

というか、

「戦争論2」第13章「南京大虐殺の謎」で、とても、説得力のある話をされているので、

読者諸氏のアナタには、読んではいかが?と言いたい。

この記事の文章も長くなったし、相当分量のある章なので、第13章の引用は割愛せざるを得ないのが非常に残念だ。

この小林よしのりさんの主張も一理ある話なので、結局のところ、最初のE.H.カー「歴史とは何か」に戻ると、

「歴史の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実」はない

ということで終わりにしたい。

いかがだっただろうか?

ぜひこの本に反論してくださいっ!小林先生っ!!(笑)

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