やっと日常的に『私はいない』になれた?!雲黒斎の『うんチャンネル』「改めて『私はいない』について」
やっと日常的に『私はいない』になれた?!雲黒斎の『うんチャンネル』「改めて『私はいない』について」
今日は、今朝観た、上の雲黒斎さんの動画の言葉がキッカケで、目覚めちゃったんだ、って話をするよ。
おおー楽しみ!
確かに感じているけれども、「感じている主体がいない」
ボクは、フロー状態(わかりやすく言えば、没頭する、みたいなことだよ)にあるときは、簡単に、ノンデュアリティ(非二元)になれる。
と、何度も言ってきたよね。
でも、フローから抜けると、かなり気合を入れないと、ノンデュアリティにならなかったの。
それじゃあ、日常的にノンデュアリティになれないじゃん。
しかし、⇧上の雲黒斎さんの動画で、目覚めちゃったんだよね。
どうして?
「(確かに感じているけれども、)『感じている主体がいない』」って言葉にビビッと来たんだよね。
おお、目覚めのキッカケがきたのね。
この言葉がキッカケになって、日常的に、努力しなくても、「私はいない」になることができたんだ。確かに感じているが、「確かにいないなぁ」って腑に落ちたんだよね。
唯識の教え。
仏教では、何度も書いてきたけれども、唯識の教えがある。
ただ、識のみがある、世界=認識って考え方だよね。
僕らは、六処(五感+意)というセンサーで、外の世界を感じ取っている。
そうだね。
でも、センサーで感じ取ってるだけだから、外の世界って、実は、バーチャル・リアリティー(仮想現実)なんだよね。だから、外の世界なんてなくて、世界は自分の中にあるってことなんだ。(「自分の中にある」というのも、実は方便に過ぎない。だって、「私はいない」んだからさー。)
でも、それがわかっていても、ボクらは、バーチャル・リアリティーから離れられないよね。
そうだね。実際に感じちゃってるんだもん。だから、ボクも、日常的には、かなり気合を入れないと、「私はいない」になれなくて、ノンデュアリティになれなかったの。
それが、とうとう目覚めたと。
感覚はあることは、否定しなくていいんだよ。ただ、感覚の主体がないんだよ、ということが、さっきの雲黒斎さんの言葉で、やっと腑に落ちたんだよね。
やっぱり、「バタ足ノンデュアリティ」シリーズでの学びが、やっと結実した感じ?
そうだね。「バタ足ノンデュアリティ」シリーズ読んで、ひたすら、バタ足してたら、今日、こういう形で、結実したということさ。
⇧上のリンクを使わないと、めんどっちい検索をすることに。活用しては?
この「バタ足ノンデュアリティ」シリーズを読んでバタ足してたら、ふとしたキッカケで、目覚めるんだよね。超オススメ!迷ったら1から順に読めばいいよ。
⇧上の3冊は全部、Kindle Unlimited!
⇧精神世界マガジン!