ハードボイルド書店員日記【196】
<ヤナギダクニオ>
「すいません、ヤナギダクニオさんの本はありますか?」
物腰の柔らかい女性。同僚がレジを離れ、カウンターの脇へ移る。彼はかなりの読書家だ。慣れた手つきで「柳田国男」と端末のキーを打つ。
「いまこちらに置いているのは角川ソフィア文庫の『新版 遠野物語』だけですね。何かお探しのものはございますか?」
「タイトルはわからないのですが、脳死状態になったお子さんのことを書いた本で」
「脳死ですか? 著者が柳田国男さんで?」
「ええ」
首を傾げた。「柳田國男」と打ち直す。結果はさほど変わらないようだ。
「彼は民俗学の研究者なのでそういう著作は」
「え、本当ですか。でもたしかに」
稲妻が頭を斜めに突き抜けた。
連絡のついた客注品をカウンターへ持ってきた社員にレジを頼む。大股で歩み寄り「他のヤナギダクニオさんだよ」と声を掛けた。
「そうなんですか?」
「ノンフィクション作家の柳田邦男さん」
代わりにPCのキーを叩く。すぐに「犠牲(サクリファイス) わが息子・脳死の11日」(文春文庫)がヒットした。一冊在庫あり。取ってきた。女性は何度も丁寧に頭を下げてくれた。
「先輩ありがとうございます。助かりました」
「もうひとりジャーナリストで柳田邦夫さんという人もいるらしい」
「覚えておきます」
「というか」
商品知識は邪魔にならない。だが思い込みは厳禁。今回だと「民俗学者・柳田国男」を知らない書店員がカタカナかひらがなで検索した方が正解へ早く辿り着けた。それをどう伝えたらいいだろう。
「世阿弥とか読んでたっけ?」
「はい。岩波文庫の『風姿花伝』を」
「『花鏡』は?」
「聞いたことあります。『初心忘るべからず』ですよね」
いつか気づいてくれる。そう信じたい。
<年年歳歳>
「京都に関する本はこの辺りだけかな?」
JTBパブリッシング「るるぶ」と昭文社「まっぷる」の補充分を旅行ガイドの棚へ出す。しれっと新刊が混ざっているケースもあるから油断できない(旧版と入れ替え、新たに棚登録をする必要がある)。白髪のにこやかな紳士が隣でつぶやいた。
「そうですね」
「少し前に大きな書店で黄色い表紙の面白そうな本を見掛けたんだよ」
「黄色い表紙、ですか」
それだけで特定するのは難しい。
「他に特徴がございましたら」
「覚えてないなあ。京都出身の人が書いた日記みたいな感じで」
本日二度目の稲妻が駆け抜けた。
お問い合わせカウンターまで御足労いただき、PCのキーを叩いた。2018年に出版された「京をあつめて」(ミシマ社)の表紙画像を見せる。著者は丹所千佳(たんじょ・ちか)さん。京都生まれの編集者だ。
「ああ、これだ。間違いない。置いてないの?」
「申し訳ございません。お取り寄せは可能です。ただ入るまでに10日から2週間ほどお時間を」
「急いでないから頼もうかな。よく知ってたね」
「たまたま最近読んだので」
「面白かった?」
「面白かったです。行ってみたいお店や胸に響く言葉にいくつも出会えました」
「たとえば?」
記憶の底を掘り起こす。たしか111ページ。こんな文章があった。
「ああ、いいねえ。あれだ。年年歳歳花相似たり……」
「歳歳年年人同じからず。ただ花も毎年同じように咲いていると見えるけど、実は少し違ったりするんですよね」
「わかるよ。だからいまが大切なんだな」
「そう思います」
本をたくさん読んでいる人が、必ずしも書店員に向いているとは限らない。なぜなら仕事の本質はコンビニなどと同じ接客業だから。でも己のために積み重ねた読書体験が、結果的にお客さんのために役立つこともある。もしその事実に幸せや充実を感じられそうなら、ぜひ。