ハードボイルド書店員日記【134】
”Do you need plastic bag?”
連休のど真ん中。朱雀大路。日を追うごとに薄着の観光客が増えていく。見た目がどうであれ、最初は必ず日本語で「レジ袋は要りますか?」と訊ねる。誰に対しても。ここは日本だから。外見で人を決めつけるのは差別と分断の第一歩だから。もし自分が外国へ行った際、中国語や韓国語で話し掛けられたらどう思うか?
すべてのお客さんとフェアに接したい。どれだけ往復させても顎下がスッキリしない髭剃りのようなやり取りは、相手に”English please”と返されてからでも遅くないはずだ。
ちなみに「ご入用ですか?」の方が丁寧なのはわかっている。「ご利用ですか?」と混同する人が多いからやめた。
樫の木みたいな腕をタンクトップから出した長身の若い男性がマンガ数冊をカウンターに置く。肌が浅黒く、瞳は青く、眉毛はナチュラル。角度の付いた鼻の両脇に深い陰影が刻まれている。レジ袋についての質問に怪訝そうな眼差し。英語へ切り替える。ワイヤレスイヤホンを外して「お願いします」と返してきた。
「紛らわしくて申し訳ないです」「いえ」「曲が終わるまでもう少しだったのもすいません」白い歯並みが口元で輝く。ゆでたてのトウモロコシを連想した。「初めて行く都心のショッピングモールで買い物をすると、ほぼいきなり英語です。インバウンドの連中からも間違えられる。全然しゃべれないし海外へ行ったこともないのに」こういう人もいる。少数だろうと多数だろうといるのだ。「大変失礼しました」「いえいえ。最初は日本語で訊いてくれましたよね? 俺がそこで返事をしていればよかっただけですから」
30分後にレジを出た。海が荒れすぎて船酔いしそう。まだ水位が低いうちに棚を整える。あとは声掛けと巡回。万引き防止のためだ。ノンフィクションのコーナーで声を掛けられる。”Excuse me”「はい」と振り返った。彼が満面の笑みを浮かべている。
「どうも」「どうも」「面白そうな本が並んでますね」「ありがとうございます」「特にこの辺りは全部興味深いです。歴史とか哲学とか」自分が担当だ。喉まで出かかったのを飲み込む。「そう言っていただけると嬉しいです」「中でもこれが気になります」伸ばした指の先を追う。背表紙。柏書房「パリのすてきなおじさん」だ。文と絵は金井真紀、案内は広岡裕児。
「いい本ですよ」考えるより先に言葉が口を突いた。「読まれたんですか?」「ええ」「どんな内容でした?」「パリで人生を楽しむ様々なタイプのおじさんを集めた一冊です。自称25歳から92歳。弁護士、画家、ボランティア、かつら屋、シェフ」「聞いてるだけでワクワクします」「私のオススメはマリから出稼ぎに来ているコンシェルジュのシビーさんです。156ページを開いてもらえますか?」こんなことが書かれているはずだ。
「出身地や共同体で人を一般化しちゃダメです。この国の人はこういうタイプ、なんていうのは全部ウソなんだから」
「どこにだっていいやつもいるし、バカもいるでしょう」
「全面的に同意します」笑顔の趣きが少し変わった。「俺も気づかないうちに商業施設の店員さんを一般化していたかもしれません」「私もです。特に忙しい時は経験則でお客様を過去の類型に当てはめ、速やかな解決を図ってしまう。本当はひとりひとり違うのに」ひとりひとり違う。だからこそ平等に、丁寧に接したい。見た目によって態度を変えたくない。頭ではわかっていても難しい。難しいから読書で学び、整えるのだ。
「おっしゃる通りいい本ですね。答えではなく考えるきっかけをくれる」「よかったら」「ひとつ訊いていいですか?」「どうぞ」「本屋の店員さんって、棚に置く本をすべて自分で決められるんですか?」「目利きで勝負する小さな個人経営店なら、あるいは可能かもしれません。しかし当店ぐらいの広さだと全部は」置きたくない本をオススメであるかのようにいい場所に置くこともある。「やはりそうですか」「でもある程度ならできます。制限を掛けられた状況下で、いかに己の好きを落とし込むか。バランスと主体性が問われるのはどの業種も同じかと」何度も頷いてくれた。「判別するコツはありますか?」「平積みや面陳だけではなく、静かな棚差しに目を向けてください」真実はしばしば小さな声で語られる。
「いろいろありがとうございます」頭を下げてくれた。こちらこそと返す。本を持ってレジへ向かう後ろ姿を見送る。頭の中でザ・ブルーハーツの「青空」を口ずさみながら。
”生まれた所や皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう”