「失われた時を求めて」を巡る冒険⑪
↓を読了しました。
アルベルチーヌと結婚すると宣言し、同居を始めた途端に「もう愛していない」と言い出す。やがて探偵みたいな猜疑心で倍加させた裏切りのイメージに苛まれ、苦しむなかで「愛している」と翻す。
かつてスワンとオデットの関係性が綴られた際も「手に入らないからこそ燃える」という趣旨の描写が何度となく見られました。あとは想像(多分に妄想を含む)の価値。実際に知り合い、話をして距離を縮めることを強く求める反面、いざそうなると期待を裏切られて冷めるみたいな。
わからなくもない。「恋と愛の違い」なんて陳腐な言い回しで表現できる心情とは似て非なる何か。一方で「要はないものねだりでしょ」と切り捨てたくなったのも事実です。
ある種のマゾヒズム。ドストエフスキーや谷崎潤一郎を連想しました。古今東西を問わず、人の心情を緻密に解きほぐす文豪に多く見られる傾向なのでしょうか? いや作家に限らず、才能豊かな人ほどあるいは。
新日本プロレスのトップスターといえば「制御不能のカリスマ」こと内藤哲也選手。あるレスラーがインタビューで「彼は嫉妬が大好き」と評していました。ただ内藤選手は誰かの足を引っ張るのではなく、アイツに負けたくないという向上心へ繋げるタイプ。だからこそいまの地位を築けたのかもしれない。
更なる成長を促すきっかけとして活用できるなら、嫉妬は決して悪いことではない。そんな気がしました。
ただ己自身の問題として考えると、微妙に受け止め方が変わってきます。できれば「そんなものはない」と言い切りたい。残念なことに、そこまで達観していません。
ジェラシーの対象としている物書きがひとりいます。名前は出しません。誰もが知っているであろう人気作家です。
その人がデビューしたのは、ある大手出版社が主催する新人賞。私も応募していました。その人は受賞し、私は二次選考で敗退。それだけのことです。別段めずらしい話でもない。にもかかわらず、自分のなかで不条理な炎が燃え上がり、いまだに著作を一冊も読んでいません。
いつか私も本を出し、対談したら面白いかもしれない。「まったく面識のないあなたにずっと嫉妬していました」と。嫌いではないのです。実力を認めているし、むしろ嫌いたくない。その感情が引けや遅れを余計に意識させるから。
実現する日が来ますように。
なお、全14巻を読むに当たり、ふたつのルールを設けています。
1、1冊読み終えてから次の巻を買う。
2、すべて異なる書店で購入し、各々のブックカバーをかけてもらう。
1巻はリブロ、2巻は神保町ブックセンター、3巻はタロー書房、4巻は大地屋書店、5巻は教文館、6巻は書泉ブックタワー、7巻は丸善、8巻は三省堂書店、9巻はブックファースト、10巻はくまざわ書店、そして11巻は↓で購入しました。
「ジュンク堂書店・大泉学園店」です。
北口改札から直結しているワンフロア店。幅広いジャンルを網羅し、かつ「なぜ、いまこのテーマを?」という小規模な仕掛けがあちこちで見られました。
大泉学園には「くまざわ書店」もあります。こちらは南口。「ゆめりあフェンテ」の4階です。駅の近くに本屋さんがふたつ。素晴らしい。書店員目線で見ても、それこそ相手の店のフェアや選書に触れて前向きな嫉妬に駆られ、頑張れそうな気がします。
「失われた時を求めて」皆さまもぜひ。