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ハードボイルド書店員日記【222】

「このなかに食器を売ってる店、ある?」

マスクの下で欠伸を噛み殺す平日の昼。レジ誤差が続いている、気を引き締めるようにと店長が朝礼で苦言を呈していた。ミスが増えるのは繁忙期だけとは限らない。

時々考える。早くすべてのレジをセルフへ刷新したらどうかと。その暁には図書カードの引き落としを忘れたり、お釣りを渡し間違ったりするケースは消滅するはずだ。仕事を奪われる? 心配無用。品出しや選書、検品、発注及び返品業務など他にやるべきことはいくらでもある。

だが実はそう簡単な話でもない。

「食器、ですか?」
五十代後半か六十代前半ぐらいだろう。歯並びが整った白髪の男性。カウンターの後ろに並んだ青い表紙のファイルから施設のパンフレットを抜き出し、開いて調べた。よく訊かれるATMや某アパレル店、落とし物センターやインフォメーションカウンターの位置などは頭に入っている。
「生活雑貨やキッチン用品を扱うお店でしたら」
「そこにあれ置いてるかな? 何ていうんだろう、インドカレーの店で使う楕円形の大きなお皿」
「ステンレスの?」
「そうそう。窪みがあったりなかったり」
「ターリーですね。ステンレスの食器は販売していたと思いますが」
一応場所を教えた。

「ありがとう。ところであれ、ターリーっていうの?」
「ええ」
「じゃあさ、カレーが入っている小さい器。あれは何て名前か知ってる?」
「たしかカトリです」
「詳しいね」
「最近読んだ本で知りました。お店に在庫ありますけどご覧になりますか?」
「面白そうだね」
ベルを鳴らして応援を呼び、カウンターを抜けた。

「お待たせ致しました」
産業編集センターから出ている「深遠なるインド料理の世界」を手渡した。
「著者の小林真樹さんは、まさにインド食器・調理器具の輸入販売が本業らしいです」
「そうなんだ。いや、少し前に友達が手作りの本格的なカレーを振る舞ってくれてさ。ああいうお皿を誕生日に贈ったら喜ばれるかなって」
「でしたら、著者さんの会社のネット通販を」
「後でちょっと調べてみるよ。にしてもこの本、表紙が素敵だねえ」
「わかります」
「やっぱり向こうの人は手で食べるんだなあ。ぼくには無理だけど」
「その辺のことも書かれていました」

記憶を頼りに63ページを開いた。こんな文章が記されている。

食事は当然手で食べたい。バナナの葉に盛られたビリヤニをスプーンで食べるのは、例えるなら回らない店で板さんに握ってもらった寿司を、プラスチックの使い捨てフォークでブッ刺して食べるほどの違和感を覚える。チキンの肉片を骨からこそぐようにして外しつつ、団子状にした米と共に口中に素早く放り込むなど手以外に不可能な芸当だ。

「深遠なるインド料理の世界」 小林真樹 産業編集センター 63P

「……なるほどね」
ちなみにビリヤニは、日本でいうところの炊き込みご飯に近い料理だ。
「たしかにお寿司のことを言われたら、その通りと頷くしかないなあ」
「とはいえ、日本のお店で食べる分にはスプーンやお箸を使っても」
「そりゃそうだ。むしろ手を使う方が、一緒に行った人をびっくりさせちゃうよ」
あ、わかったわかったぞ。老紳士が右の掌を左の拳でポンと叩く。
「ぼくは寿司屋や蕎麦屋で外国人が妙な食べ方をしていると、どうにも気になって仕方ないんだ。何であんな風にするんだろう、正しい作法を誰かが教えてあげればいいのにって。でもだったらインドカレーの店で働く人たちも、スプーンで食べているぼくらに対して同じ違和感を抱いているのかもしれない」
「たしかに」
「でしょ?」
つまりお互い様。お互い様なんだなあ。何度も何度も頷いた。

「この本、いま何冊あるの?」
「二冊ございます」
「どっちも買うよ。一冊は自分用、もうひとつはプレゼント用で」
「かしこまりました」
再びレジを離れた。残りの平積みがまだ売れていないことを願いつつ。

いろいろ助かったよありがとう。言い残して帰る背中へ頭を下げた。こちらこそありがとうございました。まさかインド料理の本から、ああいう学びを引き出してくれるとは。

書店員にレジ業務は欠かせない。少なくとも自分には。お客さんと接することでしか得られぬものが確実にある。

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