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ハードボイルド書店員日記【224】

「置いてると思わなかったよ」

一見春が来たようでまだらしい3月。混みそうで混まない午前。昔の職場でお世話になったメンターが来てくれた。都内某所で11坪の小さな本屋を営んでいる。いまでも店長としか呼べない。心の中では永遠にメンターだ。

「お休みですか?」
「休みにした。自営業の権利行使」
「憧れます」
「まさかここで買えるとはね」
カウンターの上へ「唐十郎 襲来!」(河出書房新社)が置かれた。昨年11月に発売された追悼総特集である。しかし入荷したのはつい最近のことだ。

「新しく芸術書の担当になった社員が演劇好きで」
「唐組観てるなんてパンクだねえ」
「いえ劇団四季のミュージカルを。ただ唐さんのことは知っていて、友達に借りて何かの物語を読んだと話してました」
「まあ小説か戯曲だよね」
「覚えてないそうです。ただ」
「ただ?」
「頭がおかしくなりそうだったと」
メンターが声を上げて笑った。

おつりを渡し、カバーを掛ける。他のお客さんは並んでいない。
「亡くなったのいつだっけ?」
「去年の5月です。ちょうど唐組の東京公演初日の前夜に」
「行ったの?」
「仕事の時間と合わなくて。渋谷で働いていた頃は、退勤後によく新宿の花園神社まで」
「紅テントね。ぼくも何度か体験した。不思議だったなあ。中に入った途端、外の世界のすべてが感覚から消えるんだよ。走る自動車や吹き荒れる風の音が耳に入っても聞こえないというか」
「非現実と現実の境なんて意外と曖昧ですよね」
「唐さんの作風もそんな感じだったもんなあ……って、こんなに長々と話してていいのかな」
振り返るのに合わせて顔を上げた。変化なし。本は売れていない。間違いなく現実だ。

「そろそろ行くよ。週末だけど大丈夫?」
「午後になれば混むので」
「そこがウチとの違いだな」
「私はあのお店だから出会えた書籍を何冊も知っています」
「いやいや。狭いし大したモノは置いてないよ」
「この本は?」
「仕入れたよ。でも売れなかった。誰も買わなかったら自分でと思ってたのに、気づかないうちに返品しちゃってた」
「私もたまにやります」
「レアチーズケーキ」
「え?」
「店と同じ通りに昔からある喫茶店のマスターが手作りしてるんだよ。抜群に美味しいけど、めったに売れない。いつも閉店後に自分で食べてるって」
「わかってもらえる日が来ますかね」
「どうだろう。マスターの心情は知らないけど、ぼくは来なくても構わないよ。来たら来たでどうぞご自由にだし」
「唐さんも近い感じだったのでしょうか」
「そう思う?」
「ええ」

記憶の底を浚った。

「よろしければ、その本の62ページを」
唐組のエース・稲荷卓央さんが以下のような文章を書いている。

こんなことを言われたことがあります。「ずっと剛速球を投げられる役者でいろ」と。それは上手くやろうとするなという演技論のことであり、また器用に立ち回るなという役者としてのあり方なのだと思います。この言葉は僕の生き方の大きな柱となっています。

「唐十郎 襲来!」 河出書房新社 62P

本を閉じ、白い歯を見せた。
「いま気づいたよ。そんなつもりはなかったけど、ぼくもずっと剛速球を投げられる本屋でいたいのかもしれない」
上目遣い。頭髪の白さがまた少し増している。ただの事実だ。
「私も一緒です。誰も受け取ってくれないなら、ひとりで壁と向き合い、自分で捕球すればいい」
「そればかりじゃ商売にならんけど」
「それぐらいの覚悟を決めなきゃ応援してもらえません」
「あれみたいだね。『タバコを吸うと健康に悪いよ』と医者に叱られた愛煙家が」
「『健康だからタバコを吸えるんです』」
同じタイミングで口元を緩めた。ちなみに我々はどちらも喫煙者ではない。

芸術書担当へ。「唐十郎 襲来!」を仕入れてくれてありがとう。たとえ今回は売れなくても、こういう本を置くようになったと気づいてもらえれば次へ繋がるはずだ。ずっと剛速球を投げられるようにお互い精進しよう。

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