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ハードボイルド書店員日記【223】

<悩みは消える>

平日午前中のレジカウンター。店の番線印にスタンプ台の黒インクを付着させ、返品の際に使う伝票へ押していく。3枚がワンセットで100セット。つまり同じ作業を300回繰り返す。「判で押したように」が比喩ではないケースだ。

「なんで先輩がそんなことしてるんですか?」
横では、雑誌担当の契約社員が女性誌へ付録を挟み込んでいる。レジ要員は空いた時間に何をするかも重要だ。
「さっき店長に頼まれた。今日は突休がふたり出てるし、みんな忙しいからな」
「だからって」
脇に置かれたPCの前へ移動した。素早くキーを叩き「悩みは消える! 禅の教えを活かす人生の知恵」(ビジネス社)のデータを呼び出す。
「何ですかこれ?」
「81ページにこんなことが書かれてた」

日常の些細なことであっても、毎日の仕事を、真心を込めて行なうことで、自分を向上させる学びにつなげることが必ずできると、私は思っています(中略)電車を降りて目的地まで歩いて向かうときも、歩幅をもう少し大きくして筋肉を意識して歩けば、下半身の筋力を鍛えられます。

「悩みは消える! 禅の教えを活かす人生の知恵」 著・横田南嶺 聞き手・白駒妃登美 
ビジネス社 81P 

「そんなもんですかね」
「俺の場合、この作業を正しくやり通せば、繁忙期とか他にやることが多くてソワソワしている時に会計やお釣りを間違うケースを減らせると思ってる」
「まあ確かに」
「代わりにやる?」
「やりませんけど」
笑い合った。でもその本、俺も読んでみます。胸に響いた。

<本屋大賞>

「もうちょっと、どうにかしたいなあ」

品出しを含む諸々がひと段落した午後。エントランスの横へ置かれたフェア用の什器を前に、文芸書担当が首を傾げた。4月9日に発表予定の「本屋大賞」へノミネートされた上位10作品がすべて並んでいる。

「何をどうにかしたいんだ?」
新刊台へ積んだビジネス書たちを整えつつ、声を掛けた。私を含め、書店員はパソコンの前に座って売れ数をチェックする時や棚へ本を出す際に独り言を発することが多い。彼女も例外ではなく、いちいち拾っていたらキリがない。ただ今回に関しては、何となくトーンが相談したがっている感じだった。
「いや、こうやって集めるだけじゃ他の店と同じかなって」
「過去の受賞作を併売したら?」
「うーん、それも大きな書店ではめずらしくないですよね」
「だったら、あえて一作だけ推すとか。理由を書いたPOPを添えて」
なるほど、と考え込む。
「いいかもしれませんね。先輩なら何にします?」
「ちょっと待って」

棚から伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」(新潮文庫)を抜き出して戻る。2008年の受賞作だ。のちに映画化している。
「ああ伊坂さん! 獲ってましたね」
「読んだ?」
「たしか単行本で。家の近所の図書館から借りたような」
あ、すいませんと呟く。べつに謝ることではない。
「どこまで覚えてる?」
「『おまえ、オズワルドにされるぞ』ってこの本でしたっけ?」
「そうだ。宅配ドライバーの主人公が首相暗殺の濡れ衣を着せられて」
「ですよね! 思い出してきました。でもどうしてこれを」
記憶を頼りにページを捲る。この辺りに。あった。584ページ。正義の味方を気取り、しつこくマイクを向けてくるワイドショーのリポーターたちへ向けたある人物の発言だ。

おまえたちは今、それだけのことをやっているんだ。俺たちの人生を、勢いだけで潰す気だ。いいか、これがおまえたちの仕事だということは認める。仕事というのはそういうものだ。ただな、自分の仕事が他人の人生を台無しにするかもしれねえんだったら、覚悟はいるんだよ。バスの運転手も、ビルの設計士も、料理人もな、みんな最善の注意を払ってやってんだよ。なぜなら、他人の人生を背負ってるからだ。

「ゴールデンスランバー」 伊坂幸太郎 新潮文庫 584P

黙ってページに見入っている。
「……納得しました」
「もちろん俺たちの仕事も例外じゃない」
「ですね。そもそも接客業だし。あとSNSとかPOPで著者さんや特定の本について発信するのも」
「また読みたくなった?」
「今回は買います!」

従業員に売れても仕方ないと思われるかもしれない。でも販売する側が仕事だからと好きでもない本ばかりを並べたところで、お客さんの心に響くだろうか? 少しずつでも「好き」を落とし込む。その積み重ねで悩みが消え、大きな何かをいつか動かせるはずだ。

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