ハードボイルド書店員日記【198】
「ひとつ訊いてもいいですか?」
「どうぞ」
「先輩の考える『カッコよさ』って何すか?」
「あれだね。吉川晃司」
「ああイケオジ」
「いや、そういう意味じゃない。そういう意味も含んでるけど」
「生き様とか?」
「そんなの軽々しく語れない。俺は彼の人生のほんの一部にしか触れてないから」
「まあそうっすね」
「きっかけは学生時代、深夜に聴いていたラジオ番組」
「吉川さんの?」
「いや、とある女性声優がパーソナリティで、吉川さんは後半にゲストとして来ただけ」
「声優さんも歌ったり曲作ったりする人多いから、話合いそうっすね」
「やっぱりそういう話題になるわけ。『どんな時に曲が生まれるんですか?』って」
「答えが気になるなあ」
「『締め切りが迫ってきたらやる。テスト勉強と一緒』って」
「……へ?」
「パーソナリティもそんなリアクションだったよ」
「先輩はそれをカッコいいと感じたんですよね?」
「当時、俺も長編小説を書いてたから。新人賞の締め切りに間に合うように、毎日少しずつ」
「創作ってそういうものなんすか?」
「わからない。俺はプロの物書きじゃないから。でもいま自分も毎週ネットに掌編を発表するようになって、彼が言っていたことの切実なリアリティを痛感しているよ」
「先輩の締め切りはいつすか?」
「日曜の朝」
「デッドラインがなかったら放り投げます?」
「そうでもないよ。そもそも好きで始めたことで仕事じゃない。作品を出せなくても問題ないんだ」
「ですよね」
「ただ己も他人と同じひとりの人間だから、交わした約束を尊重したいってだけ」
「自分に対して無責任な人は他人にも無責任っすから」
「たしかに。あと、そうは言ってもやっぱり締め切りがあると筆が進む。水曜ぐらいになると焦るからね。まずい、何も思いつかないぞって」
「水曜すか?」
「週末にゼロから創るのはムリ。仕事で疲弊して頭が回らない」
「あ、そうか」
「もちろん実際はノルマみたいにこなすばかりじゃない。書かずにいられないから書いてるし、読んでくれる誰かの心に少しでも届けって気持ちもある。でもそれを表に出すのも嘘っぽいんだよ」
「わかる気がします」
「実は最近、似たような心情を綴っている作家を見つけた」
「誰すか?」
「上林暁」
「かんばやしあかつき? 知らないっすね」
「昭和を代表する私小説作家のひとりだよ。高知の人」
「太宰治とかと同じ時代すか?」
「うん、被ってるね。たしか懸賞で同点優勝して、賞金をふたりで山分けしたことがあったはず」
「その作家が何と?」
「ちょっと待って。本を取ってくる」
「この『文と本と旅と』っていう随筆集に出てた」
「中公文庫っすね」
「ここ。22ページ」
「ああ、つまり戦争を賛美するような小説を書かなかったのではなく、書けなかったと」
「たぶん戦時中は翼賛的なものを書いていたのに、戦後になったら態度を翻す人が多かったはず。そういう連中と比べてどうよ」
「本当は書けたのにあえて書かないという気骨の持ち主だったかもしれないっすね」
「それをドヤ顔で吹聴するより、書こうとしても書けなかった、従軍作家にもなれなかったと言える方がカッコいいと思わない?」
「思います」
これからも私は「書店員掌編」を書き続ける。他の趣向の作品は、書こうとしても書けなかった。長編作家として新人賞を獲れなかった。だからといって決して後ろ向きではない。理解してもらえたら幸いだ。
上林暁は信用できる。彼の文学を愛する人も。