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(制服の群れにはぐれた少年少女) #砂糖菓子


料理やお菓子作りが好きな理由として〈レシピはしっかり食材とその分量などを教えてくれる〉という点を挙げることができる。
ただ何も考えずに従えばそれなりのものが完成するとは、私にとってどれだけ安心か。
加減が分からないような、の話を聞いて欲しい。


例えば定期テストの対策では綿密に計画を立て可能な限り机に向かった。よって勉強をしていないなどの(ありがちな)軽口を叩くクラスメイトの前で馬鹿正直に
「○時間ぐらいやってる。」
話すと大騒ぎになり、頭がおかしいと言われ、距離を置かれる。
しかし、教師全員に贔屓される私は明らかに優等生だった。
部活動においても先輩から気に入られ、張り切って歌い過ぎて声帯を壊してしまう。
最早、生真面目どころか恐怖を感じる。
このように引き算が出来なかった。


父には〈頑張り屋さん〉と呼ばれる。
無理しないでね、小柄で細身な私が動く度に心配されていた。本当は面倒臭がりで叶うならダラダラと過ごしたい裏の顔があって、これではダメだから、自分を奮い立たせる。
そうすると、勢いに任せてブレーキを掛けることなく前へと進み、あれをやろう、こうしたら良いかも知れない。
全てが足され夢中になれば徹底的に突き詰めた。
恐らく貪欲なのだろう。


破れたアウター、殴り書き、あちこちに投げられた宝物、倒れた棚と散らばる本の数々、大音量、血塗れな手。中学2年生の某日、気付いたら自室が滅茶苦茶になっており、衝撃を受けた。
全く思い出せない、即ち記憶が飛んだ。
ひどく慌てた母が駆け寄り、こちらの肩を揺さ振って
「桃。ね、病院で診て貰おう。」
涙に声を詰まらせる。

以後、学校へ行くのをやめた。
兎に角〈○○しなくちゃ〉が脳内の多くを占めると、私のように精神を病む可能性がある。
実に息苦しかった。辛うじて今年で17歳だが、溺れながら生きてきて今更、楽に泳げるか?
手を抜いてうまく立ち回る者に憧れる。


塩と砂糖を間違えて、自らの首を絞めた。
反省を踏まえ、大さじ1杯とまではいかなくても小さじ1杯、心の負担を減らす為に捉え方・考え方を変える。生きていく上でのレシピはないけれども時々、味見して調整しつつ、いつか私のさじ加減を見つけよう。