ALSを発症しても、指揮者を続けたかったー。一人の男性の葛藤と演奏までの時間。
こんにちは、翼祈(たすき)です。
私が2023年に自社メディアで書いた、国の指定難病のALSの初めての治療薬、「トフェルセン」の記事を書きました。
2024年12月27日、厚生労働省は、アメリカの製薬企業「バイオジェン」が開発したALSの治療薬「トフェルセン」の製造・販売を承認しました。「SOD1」と言われる遺伝子変異がある患者さんが対象で、ALSの人の全体のおよそ2%が該当します。
「トフェルセン」は、遺伝子変異をした「SOD1」が神経に有害なたんぱく質を合成するのを阻止する機能があります。2023年4月にアメリカの食品医薬品局(FDA)は迅速承認し、日本ALS協会も早い段階の実用化を要求してきました。
参考:厚労省、ALS治療薬「トフェルセン」を承認 患者全体の2%が該当 毎日新聞(2024年)
この記事では、恐らく本題で取り上げる人も待っていただろうと想定し、ALSを発症する前指揮者で、発症した後でも演奏会で指揮を執った一人の男性を取り上げます。
娘が投げたボールを、キャッチできなくなった。
じゃんけんは、グーしかできない。
紙の楽譜もめくれない。
2023年夏、アマチュアの神戸市民交響楽団に所属する男性は、ALSと診断を受けました。
35年間、人生の大半を音楽と一緒に歩んできたという男性は、日に日に思う様にならなくなる身体と対峙しながら、現在も指揮者として音楽活動を継続しています。
今回は、ALSを発症しても、指揮者を続ける一人の男性の追った記事を特集します。
ALSを発症しても、指揮官を続けたい。一人の男性が、音楽に助けられ、演奏会で務めた日
最初に男性が身体に違和感を感じたのは4年前で、手に力が入りづらくなっていました。
現在は、足が震えて歩にくくなったり、指や手の筋肉が動かしづらくなったりと、症状が顕著にALSが進行し、「手が開かないので、じゃんけんをする時にはグーだけしかできません」と述べました。
仕事も、通勤が困難になってきたので、仕事先の上司に伝え、在宅勤務に切り替えました。
男性には6歳と3歳の二人の娘さんがいます。元気一杯の二人の娘さんはお父さんが大好きですが、娘さんが投げたボールを、以前の様に男性はキャッチできなくなっています。
毎日大きくなる娘さんの世話ができなくなっていくのが、悲しいと感じています。
「下の娘はまだおむつで、おむつ替えをする時、どうしてもテープを引っ張って破くことが不可能になりました。娘へ、できていたことが少しずつできなくなることを実感する時、絶望の淵に立たされます。
毎日ALSと闘っています。これから娘たちは多感な成長期に入るのに、僕は少しずつ動けなくなる。それを娘たちには見せずには通れない、見せたままで、僕であり続けんだろうなということは心がツラいです」
と心境を吐露しました。
男性が音楽を始めたのは中学校の吹奏楽部で、大学を卒業した後、会社員になってからもアマチュアオーケストラに所属しました。
音楽が自分の人生を、豊かに、彩ってくれたと感じていますが、ALSを発症してからは指揮棒を持つ手も震えてしまいます。
今まで演奏で使っていた紙の楽譜も、めくることが不可能になりました。
男性は2023年12月に開催されたコンサートを終えた後、音楽から離れることも考えましたが、仲間に毎年春に開催される恒例の演奏会で、指揮者をして欲しいと依頼を受けました。
恒例の演奏会は、子どもから大人まで、弦楽器を習っている人たちが集まった発表会を兼ねた演奏会でした。
参考:WEB特集|音楽とともに生きる ALSの男性 指揮台へ NHK(2024年)
そして迎えた演奏会当日。
男性は舞台の袖で、演奏に入る前まで乗っていた車椅子を降りて、ステージへの階段を自分の足で1歩1歩登っていき、指揮台に立つとスーッと背筋を伸ばしました。
メンバーに一瞬、笑顔を見せた後で指揮者として手を振り下ろすと、演奏がスタートしました。演奏曲は、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でした。
「指揮者席は僕にとって、特等席だと言えます。皆さんの音が1番集まる場所なので。奏者と指揮者の間には、目に見えませんが絆があって、お互いにハーモニー、響きを共有しています。指揮者として、音楽をしていて、私は生きているんだなと思います」
と述べました。
日本のALS患者の革新者的な方もいます
武藤将胤(まさたね)さんは、2023年11月、娘さんが誕生し、パパになりました。
身体の自由を奪われても、どうにかして娘さんに想いを言葉で伝えたいー。
武藤さんは、脳科学の研究者で、東京大学特任研究員の男性の協力を仰ぎながら、7年前からAIと脳波をかけ合わせたコミュニケーションの可能性を模索してきました。
娘さんが誕生してから3週間後、脳波を用いて言葉を伝えられるかを確認する実験が実施されました。
脳波を測定するために、耳と頭に小さな10個のセンサーを装着します。
目を瞑りながら、何かを念じる表情を浮かべた武藤さんの頭の中では、右・真ん中・左の3つの方向の中から1つに絞り、意識を集中しています。
意識した方向に対応して、脳波に特有のパターンが出現することを利用し、その時AIが武藤さんの脳波を読み取ります。
その後、約20秒後、予め各々のパターンに紐付けた文章が、過去の武藤さんの声をベースにした人工の音声で読み上げられました。
実験は成功。武藤さんが選択したかった言葉で、娘さんに話しかけることができました。
でも、生まれたばかりの娘さんには、言葉でコミュニケーションをすることは早かった様で、武藤さんの声を聞きながら、寝てしまいました。
それでも、武藤さんはこのAIなどの技術の可能性に強い手応えを見出していました。
「大事な人とコミュニケーションできることが、僕にとっては1番の生きる糧なので、僕は想いを考えて言葉にする力が残されている限り、新しいコミュニケーションのやり方を生み出すチャレンジを継続していきます」
と力強く、宣言しました。
参考:WEB特集|かけがえのない家族であり続けるために ALS患者と家族の記録 NHK(2024年)
普通の病気でも言えますが、治療薬の開発は難しく、多くの人が悩んでいる病気でさえ、ようやく開発されたという感じで、難病はそれ以上に開発のハードルが高い様に感じます。
それでも、2024年に1つ製造・販売が決まったことに関しては、指揮者の男性や武藤さんなど、多くのALSの方の一筋の希望の光になったに違いない、そう思っています。