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生きづらさはADHDの宿命なのか

生きづらさはADHDの宿命なのだろうか。純粋なADHDは少なくて、ASDやLDやそれら全てを併発している場合が多いので余計に生きにくい。ちなみに私は全て併発していて相当生きにくい。

逆に「生きやすい」って何なのかと考えてみたら、コミュニケーションが滑らかで仕事のミスも目立たず、こだわりに捉われず柔軟に考えられることだと思っている。発達障害を持つ人はこれと真逆で、コミュニケーションが上手くいかず、凡ミスしまくりで時間管理が難しく、こだわりに自分自身すら飲み込まれていると私は考える。つまりは生きにくい。

ADHDやASDがあることを知ったのは15歳の時だったんだけれど、根本的な人間性は変わらないし、これだけ早く発覚しても改善することができない。何故ならADHDは病気ではなく障害なので、治すことができないのだ。

世の中にはたくさんのADHDライフハックがあるけど、結局は補助具にすぎず、何度やっても忘れ物はするし、過集中してのめり込んでしまう。ADHDを抑えることも大切だけど、「ADHDである自分を受け入れる」ことも大事なのではないかとおもう。ちなみに様々なライフハックを試した赤裸々体験記事はこちら↓↓

私もライフハックはいくつも試しているけれど、結局忘れ物をしないように大事なものは同じカバンに入れてすぐに使ったら戻すとかその他少々のライフハックくらいで補っていて、劇的に良くなるなんてことはない。無くしやすい宿命なのだから、それを補助する意味合いで障害年金を受け取っているとも思っている。

はっきり言おう。「ADHDでいることは生きづらい」
でもこうとも言おう。「ADHDであることは面白い」

ADHDだから見える世界がある。ひらめきがあるからこうしてnoteを書けているし、衝動的に出かけた場所では新しい出会いに遭遇することができる。喋りすぎてしまうこともあるけれど、人見知りもないから人と仲良くなりやすい。
怒っても次の日にはけろっとしてるから引きずらないし、急な予定変更も刺激的で、良いものに巡り会えるときがある。
あなたが発達障害者なら、同じように苦労した時も楽しかった時もあったでしょう。特に楽しかったことを忘れないで。

胸を張ってADHDと仲良くしていこう。
発達障害は人よりも優れている発達があるのも事実。
そこを磨いて自分の才能を引き出して、伸ばして、自信をつける。
私だってこの記事を書いている今も、ADHDを肯定することで自尊心を高めている。

ADHDを愛し、受け入れ、楽しもう。

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