地下鉄で老婆に蹴られたのでヘルプマークをもらった
朝の通勤電車にて、優先席に座っていたら老婆に蹴られました。具合が悪くて座っていた場合でも、席は譲らないといけないのだろうか。
🔸自律神経の不調(過覚醒)
今年の夏ぐらいから急激に体調不良となりました。具体的な症状は以下。
アラフィフなので、まず更年期障害を疑い婦人科を受診しましたが、血液検査では該当しませんでした。漢方も2種もらったけど効いている実感がない。「命の母」とか「救心」も試したけど効果なし。「グリナ」も全く効かなかったよ。
睡眠が取れないと仕事もが辛いので、心療内科で睡眠薬をもらっています。心療内科でも「更年期障害だろう」と言われました。
でも、更年期障害と言うよりはシンプルに自律神経失調症なのだと自分では思っています。
1年ぐらい前から、カウンセラー(公認心理師&臨床心理士の資格所持)の元で、トラウマのカウンセリングを月2回受けています。幼少期、両親から虐待を受けていたので、その治療。
両親のことを考えないようにしようとしていても、つい考えてしまい、ぐるぐると思考が止まらず、苦しくなることが多い。
更年期障害も1,2割ぐらいはあるかもしれないけれど、主な理由は過覚醒だと思っています。
ささいなことですぐ交感神経が優位になるので、満員電車や駅などの人混みを怖く感じます。すれすれで後ろから急に追い越されると恐怖。普通の人間は何とも思わないだろうから、私に恐怖を与えていることなど気づかないでしょう。
なるべく人混みは避けていますが、通勤だけはどうにもならない。
自律神経に強い整体師にお世話になっていますが、トラウマ治療のこともよく理解してくれており、心療内科や婦人科のように「更年期障害だ」と決めつけないので、精神的にも助かっています。嫌なことをぐるぐる考えると、それだけ自律神経に悪影響なのです。
医師は薬を出すのが仕事なので、「更年期障害」と決めた方がラクなのでしょうね。でも、私の身体は私が一番よく理解しているので、不調の主たる理由は過覚醒だと思っています。
🔸電車は立ちたい派
体調は日々ジェットコースターのように上がり下がりします。比較的元気な時は、通勤電車も立ったままで平気なのですが、どうしても座らないとしんどい、という時があります。
私はもともと電車では立ちたい派です。足腰を鍛えたいから。「なんでわざわざ並んでまでエスカレーターに乗るの?階段を歩けばいいじゃん」と思うタイプです。
歩くのも大好きで、会社帰りも元気がある時は40分ぐらいウォーキングします。1日1万歩目標。
趣味がスタンディングのライブハウスでバンドを見ることなので、同年代より足腰強いかも?という自負もあります。
また、HSP気質ということもあり、知らない人と密着して座るのが苦手なのです。半袖の季節は、隣の人のブラウスの袖が私の素肌をふわっとこするだけで耐えられないし、夢中でスマホ連打(ゲーム)している人の肘が無神経に当たると我慢ならないし、においにも多分人より敏感ですぐに気持ちが悪くなります。
だったら車両の端っこに立っていた方が気楽なのです。
通勤は、数本の路線(それぞれ数駅)を乗り継ぐので、むしろ立っていた方が乗り換えもラク。
そんな私が、「1駅2駅の区間でも座りたい」と思うようになってしまった。悲しいけど、今は仕方ありません。
「もう一生分、電車の席は人に譲ってきたと思うので、具合が悪い時は座らせてもらってもバチは当たらないと思います」ぐらいには立って来た。
帰りは時間に余裕があるので、空いている電車が来るまでホームのベンチでやり過ごす、遠回りして始発駅から乗る、など工夫しています。座れても座れなくても、とにかく混雑が体調的にキツイので。
朝も空いている電車で通勤できるように調整するとか、通勤しないとか、選択できたら良いんでしょうけどね。
🔸朝の地下鉄で老婆に蹴られる
その日、過覚醒状態がひどくいつも以上にフラフラだったので、地下鉄丸の内線の東京駅から霞が関駅までの2駅、優先席が空いていたので座りました。
通勤ラッシュの時間帯からは少し外れている。優先席ではない席も空いていたような気がするのですが、ドアから乗ってすぐ見えた空席が優先席だったし、たった2駅だし、この時間帯の乗客はほぼサラリーマンと外国人観光客で、私以外にも社会人たちが優先席に座っていたので。
目を閉じて気力と体力を温存していたら、突然足を蹴られてギョッとして目を開ける。70代ぐらいの小ぎれいな格好をした婆さんが、鬼の形相で私に何かを言っています。
イヤホンで音楽を聞いていたので、何を言っているか不明ですが、私の隣に座っていた30代ぐらいのラフな服装をした屈強そうな男性が即座に立ち上がったので、「席を譲れ」とでも言っていたのだろう。
婆さんはすぐさまその席にどかっと座り(両手に持っていたゴージャスなカバンが私に乱暴に当たる)、引き続き私に何かを言っている。聞こえないけど。
驚愕の次に、理不尽な気持ちが沸いて来たので、
「私は心臓が悪いんです(動悸のことを簡潔に表現)」
「見た目で判断しないで欲しい」
と言うようなことを気が付いたら言っていました。イヤホンから音楽が流れっぱなしなので、自分でも自分の声がよく聞こえませんでしたが。
婆さんのストレスのせいで、急激に動悸が激しくなり気持ち悪くなったので、手首の動悸のツボを押さえ、深呼吸を繰り返しました。動悸がひどい時に、よくやっている行為です。
私の様子を見た婆さんは、苦虫を嚙み潰したような顔で黙りこみ、次の銀座駅で颯爽と降りて行きました。老舗の高級デパートで楽しくお買い物三昧でしょうか。
普段は電車で立っているけれど座らざるを得なくなった私よりも、たった1駅座るためだけに若者(アラフィフ)をいびる婆さんの方が生命力に満ち溢れていることを知りました。
いいよね、年金ちゃんともらえて。
具合が悪くても働かざるを得ない世代をいびって満足ですか?
とまで言えたら良かったです。
言い返せたのは、恐らく婆さんの罵倒が耳に入らなかったから。もし婆さんの攻撃を直に受けていたら、委縮して言い返せなかったかも。音楽が私を守ってくれたのだと思います。
(突然の耳元での知らない人の大声や、大きな音が恐怖なので、1人での外出中は常にイヤホンをしています。)
幼少期、力づくで両親の言いなりとなっていたので、嫌なことをNOと言えない自分がいました。トラウマ治療でも、この辺りのことを扱っています。昔の自分だったら、黙って席を譲ったかもしれません。
なので、正当に言い返した経験は、自分にプラスになったとも言えるのかもしれません。今思い出しただけでも不快で動悸が激しくなりますが。
なお、電車は混雑しておらず、優先席付近に立っている人もいなく、向かいの席の人達もこちらを見ることもありませんでした。都会の通勤電車なんてこんなもの。
私は良い人に見えるようです。言い換えれば、「こいつはサンドバックにしてOKだ」と見られるということです。
アラフィフの私の隣に座っていた屈強そうな30代ぐらいの男性の方が、誰が見ても若い。なぜ私が蹴られたのか。
数か月前のことです。
会社の帰り道、東京駅の山手線ホームで、いつものように空いてる車両が来るまでベンチのホームに座っていました。イヤホンで音楽を聞きながら。
すると、知らない爺さんが近づいて来て話しかけるので、イヤホンを外したら、
「ちょっとさぁ、福島まで電話かけたらさ、すぐに100円玉がなくなっちゃって。もし100円玉持ってたら、何枚かくれない? えへへへ…えへへ…」
と、へらへらしながら金をせびってきたので呆気に取られました。もちろん会ったこともない見知らぬ爺さんです。
爺さんにはきっぱりNOを告げたので、ふらふらと消えていきましたが、同じホームで電車待ちをしている他の人達には話しかけていませんでした。東京駅ですから、他にも大勢の人がいたのに。なぜ私なのだろう?と思ったら悔しくなってきました。
小さい頃から「自分を押し殺して人(親)の機嫌を優先してしまう」癖が付いているため、「私のことは粗末に扱ってくれていいですよ」「思い切りなめてかかって下さいね」と無意識に媚を売っており、承認欲求の強い人間に敏感に嗅ぎ取られているのかもしれない、と分析しています。
仲良しの人達には本音を言えますが(彼らは私に嫌なことをしない)、仕事だったり浅い付き合いの人に対して、無意識に「自分が我慢しなければならない」と、良い顔をしがちな癖を自覚しています。
小さい頃は、どんなに嫌でも親に従わないと生きていけなかった。そんな理不尽な生存戦略が染みついているのです。もう十分過ぎる大人になっているし、私を虐める親はもういないのに。
🔸ヘルプマークをもらう
高齢者、杖を付いている、妊婦さんマークやヘルプマークを付けているなど、見た目でわかりやすくなければ周囲には理解されません。
2度と婆さんに蹴られたくないので(そうそうないとは信じたいが)、どうやって自分のことを守ったら良いのだろう?と考えたあげく、ヘルプマークをもらいました。
調べてたら自己申告でもらえることを初めて知りました。証明書などは不要。
そのため、悪用されるケース(健康なのにただ優先席に座りたい、単にファッションとして付けるなど)も耳にしたことがあり、そういう人間が世の中にいることもよくわかっています。
ただ、自分が弱者の立場になった時に、見た目だけで判断はできないのだなと実感したし、自分を守るために活用する権利があるのでは、と思いました。
ヘルプマークについて東京都の説明にこうあります。「外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々」。
あの婆さんの辞書に「配慮する」という文字はなく、ひたすら自分が配慮される側なのでしょうね。それはそれで闇がありそうですが。
「席を譲れ」という印籠にするつもりはありません。空いている電車の優先席に座っている時に、蹴られて「席を譲れ」と脅されないためのお守りです。
まだ袋から出していないし、最近は体調も上向きなので、使うかどうかわかりません。使うとしても朝の通勤電車だけ。
お守りだからカバンの中にしまっておくだけで、使わなくてもいいかなとも思っています。
理不尽なことから自分を守るためにヘルプマークをもらうことができた
自分がしんどい時は優先席に座ることを許可できた
という認識を強く持つことができただけでも、自分を大切にする練習になったので良かったと思います。親に虐待されて育った子供は、自己犠牲が得意だから。
🔸「存在給」という考え方
「存在給」という言葉をご存じでしょうか?
私はつい最近知り、衝撃を受けました。
心理カウンセラー心屋仁之助氏の著書「一生お金に困らない生き方」に詳しいです。タイトルがキャッチーですが、心の在り方の話が勉強になります。
「存在給」とは、何もしない自分(寝たきりでOK)がもらっていいお金のことです。
親に愛されて健全に育った人は、働けず社会の役にも立たず、何の成果も出さず、寝ているだけの状態でも「存在しているだけで自分は価値がある」と思っており、すなわち「存在給」が高いそうです。
「思っている」というのが重要。自分が認める「自分の価値」だから。
一方で、親に虐待されて育った子供は、条件付きで親に愛されて来ました。「良い成績を取らなければ、親の言うことを聞く良い子でなければ、自分は価値がない」と信じています。
そうしないと親の機嫌が悪くなったり怒られるから。小さい子供にとって、親に見捨てられる=命の危機であるので、従うしかありません。
そのため、ありのままの自分に価値があると、潜在意識で思えていないのです。頑張って辛い思いをして親の機嫌を取る自分が、価値がある自分なのです。
大人になっても、「身を粉にして稼がなければ、社会の役に立たなければ、自分には価値がない」と思い込み続けているため、身体を壊してまで頑張ったり、苦しい気持ちを押し込めて嫌な仕事を引き受けて自分いじめをしたり、パワハラをしてくる人を引き寄せたり、生きづらくなります。
「存在給」が圧倒的に低いのです。
「存在給」が低い人ほど、「歩合給」(頑張ってもらえるお金)を上げようとするそうです。
ゆえに、必要なお金をすべて「歩合給」でまかなおうと思うと、死ぬほど働かないといけない、そのため心も体も壊してしまうケースも多い。
私の父親は、仕事が苦でうつ病になり首を吊りました。彼は「存在給」がゼロだったので、「働かない自分は生きる価値なし」と判断したのだろうと、今ではよくわかります。
だから、生きづらさを捨てるために「存在給」を上げようというお話。他人がどう思っていようが、自分で自分に高い「存在給」をあげても良いそうです。
弱くても完璧じゃなくても、時に休んでもいいのだ、まずは自分で自分を労り、認めてあげることが大事なのです。
私も圧倒的に「存在給」が低いと思います。でも、体調不良の自分に鞭打つことなく、優先席に座っても良いと許可し、婆さんに蹴られないためにヘルプマークをもらうことができた(使うか使わないかは別として)。
この事実は、「存在給」を上げる1歩になったと思います。
公式YouTubeでも「存在給」についていくつか動画が上がっています。
「君は具合が悪いのだから、働かなくていいよ」という優しいパートナーの元でのんびり暮らしている人を羨ましく思ったりもします。「存在給」が高いのでしょう。
道端で親切にしたお爺さん(またはお婆さん)が実は大富豪でさ、「遺産はあなたに全部譲る」とか、わが身に起こらねぇかなー!!!とバカなことを思ったりすることもあります。
(大金が欲しいとか働きたくないわけではなく、体調不良の時にしんどい思いをして働きたくないということです。)
でも我々のように生真面目な人間は、それぐらいふざけた心持ちでいる方がちょうど良いのかもしれない。どうせ「誰にも頼れない」と思って1人で頑張り過ぎるからね。
カウンセリングも整体も保険が効かないから高いけど、今の自分に必要なもの。今はまだなんとかデスクワークはできるから良いけど、できなくなったらどうしよう、と思わなくはない。
前は不安だったけど、「今まで真面目に働いて税金を納めて来たので、生活保護の世話になる権利はある」ぐらいの気持ちでいます。
死んだ父親も、まだ健在の母親も、娘が「生活保護の世話になる」なんて聞いたら、「一家の恥さらしが!」と怒り狂いそうな人達です。世間体が死ぬほど大事だから。
私のように幼少期のトラウマを抱えている人達が、みんな回復して本来の正しい自分の姿に戻れたらいいのになぁと願ってやみません。
誰かの参考になりますように。
🔸参考note
婆さんのような承認欲求の強い人種の餌食になりがちだった私。
カウンセリングのこと。
うつ病で自殺した父親のこと。
睡眠薬を初めてもらった話。
潜在意識の話。