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立命館を蹴って、東大を目指した話⑬(転換期編 第三章)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑬(転換期編 第三章)


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第三章

7.開戦

  12月になった。依然として、店長のパワハラは続いていた。僕も結構言われていたが、一番被害に遭っていたのはキッチンのKさんだった。Kさんは、この人、今まで怒ったことあるのか?と言いたくなるほど優しい人だった。店長に何を言われても、ペコペコして謝る。たとえ自分が悪くなくても。
   店長からしたら、いいサンドバッグだったのだろう。それは徐々にエスカ

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑫(転換期編 第二章)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑫(転換期編 第二章)

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第二章

5.跋扈
   9月下旬。店長不在の中、営業は行われていたが、ようやく新しい店長が決まった。
   それは料理長だった。
   そして、店長に就任したこの日を境に、本性を現した。以前よりもさらにシフトを削るようになった。僕たちに何の相談もすることもなく、勝手に。しかも、めちゃくちゃ削られている人と、まったく削られていない人がいて、流石にいい気がしなかった。

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑪(転換期編 第一章)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑪(転換期編 第一章)

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第一章

1.不穏

   新しいバイト先。一品の値段は、王将の約3倍。世間一般的に考えると、文句なしの高級中華料理店だ。
「また中華かよ! どんだけ中華好きやねん!」
   そんな声が、どこからか飛んでくる気がする。いや、これも何かの縁なのかもしれない。

   ホールは、男性4人(うち1人は店長)、女性13人。キッチンは7人で、うち1人がアルバイトの女の子。僕と友達

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑩(西成編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑩(西成編)

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キッカケは友達の紹介だった。

1月6日。
いつものように友達と集まって喋っていた。
その時に、僕の将来についての話になった。

A「このままニートはマズいやろ笑」

B「最近、バイトとか探してるん?」

ワイ「……」

A「じゃあ、俺の友達がおる王将で働く?」

ワイ「えぇ......なんかしんどそう」

A「いや、もうとりあえず働いてみよ! 今から店に電話するで!」

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑨(ニート編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑨(ニート編)

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バイト先を探して

就職先を見つけなければいけなかった。
といっても、そんな急に正社員で雇ってくれるところは中々見つからず、とりあえずバイトから始めることにした。
だが、今まで長期間働いたことがなく、バイト慣れしていなかった自分からすると、働くというのはものすごく億劫なことだった《過去にやったバイトはユニバと海の家(どっちも夏の短期だけ)》。

そんな時、高校のころ仲良かった

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑧(二浪目 後編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑧(二浪目 後編)


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初の共通テスト5教科7科目で出願したものの、理科基礎しか受けていない。
当時の自分には、とてもじゃないが全教科受ける気力なんてなかった。

受験校決定

色々考えた結果、第一志望早稲田・第二志望立教の二本勝負でいくことにした。
青学も受けるか悩んだが、ダルかったのでやめた。

立教大学・文学部(合否)

試験当日のことを振り返ろうと思う。

一時限目の科目は英語。
だがここ

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑦(二浪目 前編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑦(二浪目 前編)


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どの予備校に行くか

宅浪は絶対やめとけと色んな人から言われたので、予備校に通うことにした。
河合塾は結構楽しかったし、もう一年通ってもいいという気持ちはあった。
しかし、ここで問題になってくるのが、やはり学費である。
大手予備校の大学受験科は、年間100万近くかかる(医学部予備校は除く)。
もちろん、マイナーな塾になればなるほど学費は安くなるが、東大を目指すことを考えると

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑥(一浪目 後編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑥(一浪目 後編)

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現役の時と同じ会場で受験した。

まったく勉強していなかった去年とはまるで違う緊張感。
数II・Bは解けなさすぎて、逆に時間余った。

センター試験成績開示日本史は、80はとれると思っていたが、残念な結果に。
倫政は、あの時期から勉強した割にはとれたほうだと思う。

国語は、古文でやらかしてしまい、合計で見るとちょうど7割。

英語は、本番でも相変わらず9割の壁を超えられず。

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立命館を蹴って、東大を目指した話⑤(一浪目 中編)

立命館を蹴って、東大を目指した話⑤(一浪目 中編)

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完成シリーズ(後期)の時間割が発表された。

クラスが上がり、早慶合格に向けた授業が組まれた。
当時の第一志望は、早稲田大学政治経済学部だったので、日本史は一問一答式から論述の授業に変えた。
論述なので京大志望ばかりだった(私立第一志望は自分だけ)。

でも、それが逆にいい刺激になった。

京大志望ともなれば、勉強に対して積極的な子が多い。
少人数というのもあったが、必ず誰か

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立命館を蹴って、東大を目指した話④(一浪目 前編)

立命館を蹴って、東大を目指した話④(一浪目 前編)

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入塾するにあたって、2つの目標を掲げた。

①授業中は絶対に寝ない。

高校生のころは授業中寝まくっていたこともあって、最初は辛かった。
特に、河合塾の授業は一コマ90分だったので、高校の50分授業に慣れていた僕からすると、気が遠くなるくらい長く感じた。

②授業は必ず前の席で受ける。

前の席に座っていると、当てられたりする確率が高くなる。
それでも前の席に座ると決めたのは

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立命館を蹴って、東大を目指した話③(高校生時代 後編)

立命館を蹴って、東大を目指した話③(高校生時代 後編)

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1学期をもって、担任を辞任します

ホームルームで配られた紙には、そう記されていた。
彼女が担任を辞めさせられた理由は一つ。
授業アンケートの評価が低かったからだ。
クラスメイトほぼ全員に嫌われていたので、無理もない。
ちなみに、担任の座からは退いたものの、古文の教科担当は彼女のままだった。

そういうことがあり、2学期からは新しい担任が就くことになった。
担任が変わってから

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立命館を蹴って、東大を目指した話②(高校生時代 前編)

立命館を蹴って、東大を目指した話②(高校生時代 前編)

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【高1】

入学したばかりの頃、僕はこんな目標を掲げた。

「中学の同級生と大学で再会する」

見返してやろうという気持ちだった。
別にバカにされたからとかではない。
単純に、「お前、中学の時あんなに成績悪かったのに大学受験頑張ったんやな!」と言われたかっただけなのかもしれない。

僕が入学した高校は、大きく分けて4つのコースが存在する。
以下、簡単に紹介。

詳しい進学実績

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立命館を蹴って、東大を目指した話①(中学生時代)

立命館を蹴って、東大を目指した話①(中学生時代)

来年、東大を受験します。

2020年3月、僕は東大受験宣言をした。

父はよくわからない大学、母は短大卒と、両親ともに決して高学歴といえる大学出身ではなかった。
しかし母は「将来苦労しないように」と、幼い頃から僕に対して異常なくらい勉強熱心だった。
七田式教室・公文・日能研・能開など、色んな塾に通わされた。
公文では毎年受賞するほどの成績を残し、日能研では灘コースに在籍していた時期もあった。

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