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徒然と物を書くことは幸せである。
今日はただ、思っていることを書き連ねたい。単なる連想エッセイと思っていただいてもよい。まずは、私の生まれ故郷の話をしようと思う。
私はのどかな山の麓の小さな集落に生まれた。富山の端、石川県との県境の近くである。今でも齢八十を越した祖母が営む裏の畑から、せいぜい標高200〜300メートルほどの針葉樹で覆われた小山が見える。冬を終えて初々しい新緑が見えると胸のすく思いがする。ウグイスの鳴き声やモズの声
なんともならない体(脳、あるいは心)
私は精神障害を持つ。
精神障害、身体障害、知的障害。大きく3つの障害区分があるが、それぞれの中にも分類し切れないくらい、多様な障害のあり方がある。同じ精神障害の人同士でも、どのくらい生活に支障があるか、働けるかどうか。症状の強さはどうか。どのくらい服薬が必要なのか。コミュニケーションにどのくらい問題があるか。友人がどのくらいいるのか。さまざまなステータス(状態)がある。
同じ障害名が付いていても、
出産したオタク女性としての私
私はこのnoteにおいて、反出生主義だとか、自分の出産の話だとか、ASDの話だとかを書いて来た。もう一つ私のことを自己開示すると、私はライトな(?)オタクである。ライトというか、せまーく深いオタクである。
ASDだからそうなのかなと思うのだが、ある有名作品のマイナーなキャラクターに執心していて、ほかの作品にはあまり興味がなく、同一作品のほかのキャラクターもまぁ分け隔てなく好きだが、そのキャラほどで
今回は単なる愚痴こぼし
5時〜6時にならないと眠くならないので仕方なく起きています。本当は眠るためのお薬があったらいいんだけど、いま妊婦の身ですでに抗不安薬を一錠飲んでいるから、これ以上は増やしたくない。
私はいま苦悩している。
それは、この子が私の元に生まれてきてどれだけ苦労するだろうか、嫌な思いをするだろうかということ。だったら産むなよと言われそうだが、驚くべきことにプチ不妊治療(?)をしてまで望んだ子どもだったの
優生思想について考えていること。
2016年7月26日に発生した相模原市の津久井やまゆり園における障害者大量殺傷事件はもうすぐ5年という区切りを迎えようとしている。区切り、といってもそれはあくまで暦の上での区切りであり、おそらく遺族をはじめとする関係者や、障害者福祉に携わる人たちにとっては終わりのないたたかいの途中だろう。
私は事件当時大学院生で、この事件を他人事と思えず戦慄していた。それはなぜかといえば、私自身に精神障害がある
善く生きるための戦い
プロフィールにもある通り、私は精神障害者だ。ASDと不安障害がある。診断名としては「気分障害」とのことだが、自己観察の結果、不安感が強すぎることで抑うつや苛立ちが発生していると思ったので、根本的な問題は不安障害と考えている。じっさい小学生時代に強度の不安からくる場面緘黙症を発症しているので、この自己診断はおそらく間違ってはいないかと思う。
二次障害が顕著に出てきた高校生時代頃から自分の精神構造、つ
最初の挨拶がないと始められない人なので
私のことを紹介します。これをしなければ、これから話して行くことが空中分解するような気がするので、他人に興味がない方でも興味を持てるような書き口にするつもりです。
私はアラサー世代の性別は女性です。でも性自認はザ女性という感じではない。それはおそらく自閉スペクトラム症だからだろう。いわゆる女子トークがあまり得意ではなく、恋愛の話など友達とはしないので、大学時代には気がついたらサークルの人の恋模様が変