最初の挨拶がないと始められない人なので

私のことを紹介します。これをしなければ、これから話して行くことが空中分解するような気がするので、他人に興味がない方でも興味を持てるような書き口にするつもりです。
私はアラサー世代の性別は女性です。でも性自認はザ女性という感じではない。それはおそらく自閉スペクトラム症だからだろう。いわゆる女子トークがあまり得意ではなく、恋愛の話など友達とはしないので、大学時代には気がついたらサークルの人の恋模様が変わっていて、ゴシップも入ってこないので浦島太郎状態になっているような女だ。いちおう、女。
自閉スペクトラム症を持って生まれた場合、うまい療育を受けられなかったら大体、思春期から青年期ごろに「二次障害」を発症する。私の場合、保育園時代から不安障害、高校生からうつ病を患い、これらは今も燻り続けている。こいつのせいで大学受験に本腰を入れられず、適当な大学に進学してしまう。基本的にずっと迷走していた。どの学問がやりたいか、最初は西洋歴史学を選んだ。世界史が好きだったからだ。しかし大学院まで行っておいて、あぁ自分が真に興味を持っているのはこれではない。心理学だとわかった。いつも私は精神のこと、生き方のことを考えていた。あまりに身近すぎて、灯台下暗し。運命の学問に気がつかなかったのだ。
しかし修士課程までどっぷり歴史学で行ってしまい、院生時代に出会った人と結婚した。結婚してすぐに引っ越したので、現在は実家とも出身大学とも遠い地で暮らしている。心理学を大学院生として修めたいとも思うのだが、現在準備の途中で、またそれ以前に自分のメンタルの不調との小競り合いが続いている。

とりとめのない自分語り。自閉者にはありがちなことなのです。お許しを。
書いてみても思うわけだが、まぁ七転八倒するろくでもない人生だったのだということ。他方で世間で言う「理解のある彼くん」と出会えた収穫。と言った感じである。理解のある彼くん現象は、よく知っている。そして、彼をカサンドラ症候群にしないように、何度も話し合い、感謝を伝えるようにしている。だがここで、「なんやこいつも理解のある彼くんがいる女かよ」と、しらけた気持ちになる人はいるだろう。だがその彼くん(夫)がいたとしても、私のなかにある諸問題は解決するわけではなく、自分自身で立ち向かうべきものだと思っている。
このノートには、自分の生きづらさ、苦しさを乗り越えるために考えた種々のこと、そして社会的弱者が絶望しないためには社会がどのように変わることが望ましいのかの考察などを載せていきたいと思っている。
さらにときどき、「私だけだろうか。ASD女性である私の普通と違う感性」といった内容もかけたらいいと思っている。

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