3machume19

ASD(自閉スペクトラム症)、不安障害、気分障害を持つ精神障害者。性別は女性。反出生主義に深く共感していたにもかかわらず出産し、子育てをしている。無駄に哲学的に考えてしまう傾向があり、思考を整理するために文章にすることにしている。

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ASD(自閉スペクトラム症)、不安障害、気分障害を持つ精神障害者。性別は女性。反出生主義に深く共感していたにもかかわらず出産し、子育てをしている。無駄に哲学的に考えてしまう傾向があり、思考を整理するために文章にすることにしている。

マガジン

  • どうやって生まれてどうやって生きて、死ぬのか。

    哲学というハッシュタグを使っていますが、別にショーペンハウアーとかニーチェとかの話をするわけではなくて、私個人が考えている人生についての話をします。 私は精神障害(ASDと二次障害の鬱、不安障害)を持ち、日々死について考えています。死にたいというより、いかにましに生きられるかを考えているのです。 同じ考えの人はあまりおられないと思うのですが、似たようなメンタリティの人が、似た人を見つけてホッとすることができるような内容を書いて行けたらいいなと思っています。

  • 読書の記録

    なにか読んだ時に考えたことを書く。

最近の記事

文章を書いて、生きていきたい

久々にnoteに書く。 人間であることから出てくる苦しみに苛まれて、高校時代から長い鬱状態に入った。私は人生のおよそ半分を精神障害とともに生きて生きて、もうアラサー。いや、まだアラサー……現在三十一歳だ。二十九歳までは「まだやれる」という気がしていたが、三十になってから、「光陰矢の如し」という言葉が突き刺さるようになった。少年は老いやすい。学も成り難い。本当のことだと切に思わされる日々だ。毎日体調が思わしくなく、やりたいことを達成できずに過ごしている。十の位の数の変化は大きい

    • 新しい現世の諦め方

      画像は何の関係もありません、ただ私が好きなポケモンを合体させたものです(ポケモンフュージョンで検索)。 久々に書きます。テーマは、「世の中はやはり生きづらいので、現在私がやっている現実逃避」という話です。 これまでも語ってきましたが、私はクリスチャンです。より詳しく言えば、ハリスティアニンです(私の所属する教派: 正教会の言い方だとこうなる)。現在は同じ正教会の仲間であったはずのロシア正教会とウクライナ正教会が、例の戦争のおかげで離反状態にあり、悲しい状況が続いています。ネ

      • この国で精神障害者は、いかに生きているか?

        注 私は精神障害者の当事者です(発達障害と、二次障害があります)。  「しょうがい」の表記は、近年「障がい」「障碍」「しょうがい」等さまざまですが、私は従来より多かった「障害」という表記を用いています。 ここにおける「害」という字を、私は「症状それ自体とそれを緩和できない構造を持つ社会の相互作用が障壁となり、当事者の人生に「害」がもたらされている」という意味合いで用いています。  少し前からTwitterアカウントで「精神障害者政策の現状の不備について、どう思うか」というア

        • 『人間失格』を読んだ。

          ※小説に影響されて文体が引っ張られているかもしれません。 学生時代に読みたかった小説の一つが太宰治の作品群である。大学院に行ったり、留年したりとたっぷりと時間はあったはずなのだが、高校の途中から始まった鬱がひどくなるにつれて、いわば「後天性の文盲」とでも言っていいような状態に陥り、ゆっくりと読書することが不可能になっていたから無理だった。特に太宰治の独特の文体はそのような中で読むのに苦労し、途中で投げ出してしまった。中でも『人間失格』は、奇妙な引力のある作品だった。まず、出

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        • どうやって生まれてどうやって生きて、死ぬのか。
          14本
        • 読書の記録
          1本

        記事

          「善く生きたい」と「反出生」のあいだ

          ※筆者の不勉強のためやり方がわからず、Amazonリンクがうまく貼り付けられていません。原著を確認したい方はタイトルで検索してみてください。 6年前の7月26日、相模原のやまゆり園で、重度障がい者を標的にした残忍な殺傷事件が発生した。犯人となり、現在は死刑判決が確定した植松聖死刑囚。彼の裁判を傍聴した雨宮処凛さんが著した『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』を私はこのお盆に読んだ。 相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」

          「善く生きたい」と「反出生」のあいだ

          徒然と物を書くことは幸せである。

          今日はただ、思っていることを書き連ねたい。単なる連想エッセイと思っていただいてもよい。まずは、私の生まれ故郷の話をしようと思う。 私はのどかな山の麓の小さな集落に生まれた。富山の端、石川県との県境の近くである。今でも齢八十を越した祖母が営む裏の畑から、せいぜい標高200〜300メートルほどの針葉樹で覆われた小山が見える。冬を終えて初々しい新緑が見えると胸のすく思いがする。ウグイスの鳴き声やモズの声がする。秋になると紅葉し、冬になると豪雪地帯の分厚い雪に覆われ、四季を楽しませて

          徒然と物を書くことは幸せである。

          生き方の選択。

          ずっと記事を書いていませんでした。書けなかった、が正しいです。なぜなら、育児は私には相当ハードルが高いもので、体力が削がれ、noteを書く暇がなかなか取れなかったからです。 私は、以前の記事にも書きましたが、かつて反出生主義者を自認していた時期があります。 子どもは生まれたいと思って生まれるものではない。しかも、特に親からひどい扱いを受けたとか、幼い頃に性被害に遭ったとかいう逆境体験がない(軽いものはあるけれども、一般的な範囲だろう)にもかかわらず、私は若い頃からメンタルを

          生き方の選択。

          なんともならない体(脳、あるいは心)

          私は精神障害を持つ。 精神障害、身体障害、知的障害。大きく3つの障害区分があるが、それぞれの中にも分類し切れないくらい、多様な障害のあり方がある。同じ精神障害の人同士でも、どのくらい生活に支障があるか、働けるかどうか。症状の強さはどうか。どのくらい服薬が必要なのか。コミュニケーションにどのくらい問題があるか。友人がどのくらいいるのか。さまざまなステータス(状態)がある。 同じ障害名が付いていても、分かり合えないことがある。私はASDだが、同じASDの人と残念ながら分かり合えな

          なんともならない体(脳、あるいは心)

          出産したオタク女性としての私

          私はこのnoteにおいて、反出生主義だとか、自分の出産の話だとか、ASDの話だとかを書いて来た。もう一つ私のことを自己開示すると、私はライトな(?)オタクである。ライトというか、せまーく深いオタクである。 ASDだからそうなのかなと思うのだが、ある有名作品のマイナーなキャラクターに執心していて、ほかの作品にはあまり興味がなく、同一作品のほかのキャラクターもまぁ分け隔てなく好きだが、そのキャラほどではない。興味の範囲がめちゃくちゃ狭いのだ。どちらかといえばBLが好きなのでオタク

          出産したオタク女性としての私

          出産を終えました。

          去る年の12月22日、娘が生まれました。 おそらく私の人生において、最初で最後の出産になると思われます。そのときのことを書きたいと思います。 私は非常に痛みに弱く、不安感が強いのも関係していると思いますが、どのくらい弱いかというと、夫との間に性交障害を起こすほどです。どういうことかというと、はやい話が「痛くて(夫のが)入りません」というものです。外から入れるのと、中から出てくる方、どっちも同じ道を通るので絶対痛いに違いありません。しかも、胎児の方が大きいのです。 だから私は無

          出産を終えました。

          ペットロスに苦しむ

          「ペットロス」といえば、犬や猫についてのロスが語られることが多いのだが、私が飼っているのはもっぱらハムスターである。ハムスターは2年ほどで天命を迎えてしまうので、人間の時間に比べてかれらの時間はあまりにも短い。飼い始めてからすぐに大切なねずみちゃんの死を意識せねばならないのはつらいものである。 しかし、私は子どもの頃からハムスターがすごく好きである。なぜこんなに好きなのか分からないくらい、他の生き物に比べても別格に好きなのである。子どもの頃は祖父がねずみを嫌いだったことや勇気

          ペットロスに苦しむ

          今回は単なる愚痴こぼし

          5時〜6時にならないと眠くならないので仕方なく起きています。本当は眠るためのお薬があったらいいんだけど、いま妊婦の身ですでに抗不安薬を一錠飲んでいるから、これ以上は増やしたくない。 私はいま苦悩している。 それは、この子が私の元に生まれてきてどれだけ苦労するだろうか、嫌な思いをするだろうかということ。だったら産むなよと言われそうだが、驚くべきことにプチ不妊治療(?)をしてまで望んだ子どもだったのだ。 私と夫は、私の精神的なことがおそらく原因で「未完成婚」にほとんど近い状態だ

          今回は単なる愚痴こぼし

          優生思想について考えていること。

          2016年7月26日に発生した相模原市の津久井やまゆり園における障害者大量殺傷事件はもうすぐ5年という区切りを迎えようとしている。区切り、といってもそれはあくまで暦の上での区切りであり、おそらく遺族をはじめとする関係者や、障害者福祉に携わる人たちにとっては終わりのないたたかいの途中だろう。 私は事件当時大学院生で、この事件を他人事と思えず戦慄していた。それはなぜかといえば、私自身に精神障害があるからだ。精神障害といっても激しい症状はなく、ASDと生まれつきのセロトニン不足に

          優生思想について考えていること。

          反出生主義とフェミニズム

          Twitterのアカウントをいくつか持っている。そのうちの一つで反出生主義界隈のツイートが流れてくるのをよく見るのだが(これ関連のツイートをする人をフォローしているため)、フェミニストの方のツイートが流れてくることもかなりある。 ツイッターフェミニストの中にも過激な意見を言う人と穏健派の人がいるらしく、私はあまり詳しくないのでうまく区別できていない。だからここに書くことはもしかしたら間違っているかもしれないのでご容赦願いたい。 フェミニストの中には、「子どもを産むことを拒否す

          反出生主義とフェミニズム

          善く生きるための戦い

          プロフィールにもある通り、私は精神障害者だ。ASDと不安障害がある。診断名としては「気分障害」とのことだが、自己観察の結果、不安感が強すぎることで抑うつや苛立ちが発生していると思ったので、根本的な問題は不安障害と考えている。じっさい小学生時代に強度の不安からくる場面緘黙症を発症しているので、この自己診断はおそらく間違ってはいないかと思う。 二次障害が顕著に出てきた高校生時代頃から自分の精神構造、つまり、なぜ自分はいま辛いと思ったのだろう。苦しんでいるのだろう。ということを考察

          善く生きるための戦い

          反出生主義の話。

          注意事項 反出生主義に共感するものの反出生主義ではない、子どもを持つ予定がある人間が書いた記事です。不快になる可能性がある方は読むのをお控えください。 二つ目のnoteの記事に何を書くか迷った末に、結構重いテーマを選択することにした。 私はちゃんと調べてはいないのだがおそらく生まれつきセロトニンが少ないか、受容体が少ないあるいは機能しにくいか、そういう体質だ。それで、幼い頃から常に不安感でいっぱいだった。世界が怖かった。自分がこの世に存在することが怖かった。もっとも恐れてい

          反出生主義の話。