生き方の選択。
ずっと記事を書いていませんでした。書けなかった、が正しいです。なぜなら、育児は私には相当ハードルが高いもので、体力が削がれ、noteを書く暇がなかなか取れなかったからです。
私は、以前の記事にも書きましたが、かつて反出生主義者を自認していた時期があります。
子どもは生まれたいと思って生まれるものではない。しかも、特に親からひどい扱いを受けたとか、幼い頃に性被害に遭ったとかいう逆境体験がない(軽いものはあるけれども、一般的な範囲だろう)にもかかわらず、私は若い頃からメンタルをひどく病んでいた。長じてからは精神障害者保健福祉手帳を取得し、数年前から障害基礎年金を受給している。
私は子どもを産み育てることに感じて葛藤があった。私と似た子どもだったら、生きるのが辛いだろうから。憎まれることを覚悟しなければならないと思ったから。
それでも、子どもを産んで、育てることにした。他ならぬ相手が、私には運良くいたからであった。
現在夫とは離れて暮らしている。それは、核家族では子どもを育てることが不可能なので、私は両親やまだ元気な祖母の助けを借りるために実家にいなければならなくなったためだ。健常者であれば、核家族のワンオペ育児でもなんとか回せるのかも知れない。だが私には無理だった。絶望的に体力がない。しかしながら、私の両親は還暦前で共働きなので、日中は齢80を過ぎた祖母と二人で子どもを見ている。後期も後期の高齢者に乳幼児のお世話をしてもらうことに罪悪感と無力感を持ちながら、できるだけ自分ができる分量を増やそうと奮闘しては寝込むことを繰り返している。申し訳ないと思う。そして、それでも私はまだ恵まれている方だから、弱音を吐いてはならない。もっと、自分がボロボロになってでも、育児を頑張らなければならない。
しかしふとここで立ち止まるのである。私は、誰に対して申し訳なさを感じ、誰と比べて「まだ恵まれているから」頑張らなければならないと思っているのだろう。私がボロボロになることを示すと喜ぶのは、誰なんだろう。
答えはわかっている。それは世間だ。
日本特有の、あの、「他人様」の冷酷な集合体である。
そして多分、この世間は私の中にある「超自我」なのである。
いつだったか、多分まだ学生時代に、ある幼児を抱えた芸能人の女性が「祖母(当人にとっての母親)に我が子を預けて遊びに行った」という記事へのコメント欄がものすごく荒れていたのを見たことがある。「母親失格」「最低な母親だ」と書かれていた。まだ母親になることを考えるはずもない年齢の私は、母親とは自己犠牲を強いられるものなのだと学習してしまった。
日本社会では、母親への負担が大きすぎる。家事育児に対する役割期待が途方もなく大きい。私はもちろん、手伝ってくれる人もいるし、就労できないので専業主婦だから、ワーキングマザーやワンオペの母親に比べればずっと楽だ(申し訳ない。何に対して?世間に対して)。これは私の負担の話ではなく、一般的な母親の負担の話を書いている。
私が申し訳なく思うのも、あの芸能人女性のように「楽をしている」と「叩かれる」んじゃないかと怖いのだ。これは、単なる自己保身の罪悪感なのである。
私が内面化した「世間様」という超自我が、私を責めるのだ。こういう精神構造が私にはどうもあるらしい。
私は、子どもを育てるという選択をした。子どもを持たない(子どもは親の所有物ではないので持たない、と表現することが適切とは思わないが)生き方というのも選択肢としてはあったし、むしろそちらを周囲には勧められた。それでも私は、子どもを産むことにした。
生まれてきた子に対して、「この子を産んでいなければ」などというifを考えることは罪深いことだから、私は決してそれをせず、未来を志向して生きていくつもりだ。100年後には私もこの子すらもいなくなっている。私がたとえば、あの山上徹也容疑者のような大事件を起こさなければ、私のことはだれも覚えていない(我が子が子を授かれば、つまり孫などがいればその限りではないだろうが、私はこの子の好きなようにして欲しいからそのような話もしないつもりでいる)。私が心を尽くさねばならないのは、目の前にいる子に対してだけである。その先の未来は、私にはどうすることもできないのだから。
この社会は、これでいいのか?いまの日本は。
私は、子どもを産むという選択をした。一人の人間の生き方として。そして私は日本という国家に国籍があり、その国土の中で生きている。
いま、世間を騒がせているニュースがある。ロスジェネ世代の無敵の人が放った銃弾は、元首相の命を奪った。しかし彼は、有り体な「ロスジェネ世代の無敵の人」ではなかった。貧困や仕事の理不尽のために怒り、そのために悪魔に魂を売った加藤智大元死刑囚とはまた違う。山上は「統一協会」の名を口にした。その報道を皮切りに、にわかにそのカルト団体と政権との癒着が報じられ始めた。
この国で、真の意味で私たちは生き方を選択できるのだろうか。私はどういう人間で、だから、どうやって生きていこうかと思い描きながら生きられる社会ではない。
教条主義(権威者が述べた事を、その精神を深くも理解せず、杓子定規(しゃくしじょうぎ)に振りまわす態度。独断論。「〜べき」という考え方に特徴づけられる)が溢れ、知らず知らずのうちに心が絡め取られてはいないか。たとえば、前述した「母親とはかくあるべき」といったようなことだ。教条主義はこの国にいま瀰漫していないだろうか。
日本は、戦前ある意味で天皇崇拝の「カルト」だった。とはいえ私は、日本の歴史を全て否定はしないし、天皇家のことも尊敬はしている。しかし戦前戦中の天皇万歳を叫びジハードのごとく特攻する若い兵士と、そしてそれを「華々しく散った」と拍手喝采して悲しみとも違う涙を浮かべる人々の様子は異様ではなかったか。
その後すぐに冷戦に突入した。統一協会は、共産主義に対抗する「国際勝共連合」と表裏一体のカルト宗教団体だ。どちらも文鮮明が創始している。安倍元首相の祖父である岸信介が日本の深部に統一協会を招き入れた張本人だ。A級戦犯でありながらCIAに協力することと引き換えに死刑を免れた。日本を売国する歴史はここから始まった。
戦争が終わって80年近くが経過した。経験者もほとんどは鬼籍に入り、戦争などというものはとうの昔に過ぎ去ったと私たちは思ってはいなかっただろうか。しかし、戦後の政治史を見れば、私たちはいまだ戦後まもなくのレジームを引きずったままだということがわかる。自民党は統一協会と癒着し、あまつさえ最近の安倍晋三氏の代で、その蜜月を一気に押し進めていた。戦争は終わり平和を享受し、テクノロジーが発展した先進国の一因として、安穏と私たちは生きてきた。しかしその裏で、なにが蠢いていたのかということが詳にされつつある。
私たちは、私たち一人ひとりの人生を歩む権利がある。私はこんなことを考えながら今を生きている。
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