徒然と物を書くことは幸せである。

今日はただ、思っていることを書き連ねたい。単なる連想エッセイと思っていただいてもよい。まずは、私の生まれ故郷の話をしようと思う。
私はのどかな山の麓の小さな集落に生まれた。富山の端、石川県との県境の近くである。今でも齢八十を越した祖母が営む裏の畑から、せいぜい標高200〜300メートルほどの針葉樹で覆われた小山が見える。冬を終えて初々しい新緑が見えると胸のすく思いがする。ウグイスの鳴き声やモズの声がする。秋になると紅葉し、冬になると豪雪地帯の分厚い雪に覆われ、四季を楽しませてくれる里山である。
私は幼少時代にはこの地がさほど好きではなかった。それは、他の場所を知らなかったからである。18歳で大学に行くためによそに出てからは、都会の喧騒にまぎれて暮らすようになり、育った村落のよさも相対的に理解されてきたように思う。
田舎特有のおおらかさが残っており、近所の紐帯もまだはっきりある。祖母は村の「長寿会」という集まりに参加し、伴侶なき後の老婦人たちと集っている。先日は、祖父の法事があったので同じく法事が近い近所の友人と「いかに法事をセッティングするか」という相談をしていた。そういう存在がいてくれることが、孤立化の時代と呼ばれて久しい現代には素朴であたたかい。
北陸の詩人といえば室生犀星である。彼の詩を初めて読んだのは、色気のないことに中学だか高校の国語の問題集であった。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食かたゐとなるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

心がまだ瑞々しい青春時代にこれを読んだから、都会で下宿を始めて、真新しさに慣れた頃には度々思い出すようになった。
そのあと一度精神の調子を崩して一年実家に戻り、また別の都会の街に大学院生として生活を開始し、それから結婚してまた遠くに行き、紆余曲折を経て出産のため、また地元に戻ってきた。
生まれたのは私と同じ女の子だった。同じ場所で、同じ家族構成(すでに曽祖父が他界し、曽祖母、祖父母、両親、そして私)であることから、自然と自分の人生を回想することが増えた。

私にとって実家は、「自分の辛い人生が始まった呪いの場所」である。しかし、同時に「なんだかんだと自分を愛してくれる人たちがいる場所」でもある。この点で、私はアンビバレントな感情を抱いている。
よく、いわゆる「リア充」とか「陽キャ」とされるような人々が、「地元大好き」「親を尊敬している!」「家族大好き!」という風にはなれない。両親や祖父母、曽祖母は私を大切に思ってくれたと思うし、今でもそうだ。亡き曽祖母や祖父を思い出すと泣けてくる。私はひどい人間で素直になれないから、憎まれ口を叩いたこともあった。いま思い出したら、曽祖母は、祖父は、どんなふうに私を愛してくれていたかわかる。
大学以降、私が実家に戻ってくる時はいつも「生きていけない」状態にある時だ。精神状態がすこぶる悪かったり、今だと核家族で乳飲み子を見ることができない情けない状態だったり。だから、家族は「私が一人前の人間になれない、障害者である」ことを突きつけてくる存在になってしまっている。
だからこんなに優しくしてくれる家族に対して、アンビバレントな感情を抱いてしまう。そしてそんな自分を責めてしまうのだ。他方で、このように分析してみれば、自分が家族や実家にいやなイメージを持っていることも、納得できる物だという気もしてくる。
人間とは、理想と現実の間でいつも苦しむものだ。私の理想は、もっと普通の、苦悩せず生きていける人たちのように生きることで、家族をなんの躊躇いもなく大好きだと言えるような人であることだ。
でも実際の私は、家族を大切にしたいという思いと、自分の情けなさから家族のことを疎ましく思う気持ちを抱えている。
このような私のことを包括的に理解することが、いま1番自分を助けることになる。

私は里山を見つめる時、優しさと、切なさに襲われる。胸から込み上げてくる悲しさから逃げるために、早く引っ越したいと思う。

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