JAM365は8.10で完結しました。たくさんの方にご覧いただき、スキをもらうことでここまで続けることが出来ました。フォローしてくださった方にも感謝です^_^ 一年繰り返しのようで、同じ日は一日も無い。この物語たちが、誰かの心のひと休みになれますように。ありがとうございました!
一羽の白い鳩が飛んだのを見て、私は新しい何かを始めようと思った。 一年間、三百六十五日。 いつも毎日の中に、どこか落ち着いて考え事の出来る時間を作ろうと思った。 そのために新しいノートとペンを用意している間はとても楽しかったのだけれど、夜になっていざノートの一ページ目を開くと私は怖くなった。 本当に、これは続けられることなのだろうか。 一週間も続かないうちに、夜の飲み会や、体調不良や、残業の疲れや、そんなハードルに邪魔をされて書けなくなってしまうんじゃないだろうか。
大切な人を失って、何もやる気が起きない彼女を僕は、優しく抱きしめてあげるべきなのだと思う。 頭では分かっているのに、行動に移せないのは僕の本当に悪い癖だ。 「珈琲淹れるけど、飲む?いらないなら、いいけど」 彼女はパジャマでソファに横たわったまま、力無く首を横に振った。 本当は、ミルクとたっぷりの砂糖なんかを入れて、甘めのカフェオレでも作ってあげるべきなのだと思うけれど、結局僕はカップ一杯分の水しか珈琲メーカーに入れなかった。 「死んだ人は、どこに、行くんだと
白玉は怒っていたわけではない。 ただ、世の中であまりにもてはやされている気がしてならないタピオカというものを知りたかったのだ。 白玉はF県の山の中にひっそりと暮らしている。 白玉をこの世に誕生させたおばあさんは、今日も日がな一日元気に畑仕事をしている。 昨晩おばあさんにも皆タピオカっていうやうの何がいいんだと思うと訊ねたが、そもそもタピオカの存在を知らなかったので話にならなかった。 丸くて、柔らかくて、甘い。 同じじゃないか。白玉は色以外にタピオカと自分の
花の色を見て驚いたことがある。 自然界にこんな色があるなんて不思議だと。 その色を携帯電話におさめたけれど、同じ色は再現できなかった。 帰り道の途中。 なんておかしなことに驚いてしまったのだろうと気づくと、僕は恥ずかしくなった。 色は元々自然界にあるものじゃないか、と。 いつの間にか、人間が創り出す色の方が鮮やかだと思い込んでいた。 色の全ては、この世界に存在するだろうに。 自然が色を分けてくれているのだというのに。 人間
雨の朝は何もやる気がない。 とりあえずでカーテンを開けて、薄暗い光を部屋に招き入れた。 私はそのなんともぼんやりとした光を受けて一つ伸びをすると、パジャマの裾を引きずりながら寝ぼけ眼で顔を洗いに行った。 外を流れる雨と同じ水が、蛇口から溢れる。 雑に顔を洗うだけでも、少し目が覚めた。 タオルで水滴を拭きながら、冷蔵庫を開ける。 卵と、牛乳と、ハムと味噌。 一度冷蔵庫を閉めて、棚の中から6枚切りの食パンを出した。 藍色のお皿に、一枚の食パ
百貨店で買い物をして外に出ると、夕立が強く石畳を叩いていた。 僕は傘を持っていなかったので、玄関近くのタクシープールで黄色いタクシーに乗り込んだ。 激しくフロントガラスを叩いては流れる雨に歪んだ町並みの中に、その一台が滑り出すと、運転手はラジオから流れるピアノ・コンチェルトの音を絞って行き先を訪ねた。 「駅裏の方までお願いします」 「はい。203号、実車」 それ以降、運転手は黙った。 僕は、このタクシーは当たりだと思った。 僕の住むマンショ
それは、八月の終わりの週末のことだった。 妻が突然ビヤホールに行きたいと言い出したのだ。 「いや、君。君下戸だろう?ビヤホールなんて行ったってうるさいばかりで楽しめないんじゃないのかい」 食後のお茶を淹れていた妻は、ころんと丸く小さな湯のみに注いだ緑茶を私の手元に滑らせた。 「いいんです。私はビヤホールというもの自体を経験してみたいだけなんですから。ほら、私最近同級生の美千代さんに誘われて俳句教室に通っているでしょう」 変なところで話が途切れたので、続きを
はちみつ味のお酒を飲みながらチーズを齧る夜。 藍色と水色のグラデーションが窓枠の中を彩るけれどそれは知らない。 さっきブリキの月に流れ星が当たって角が曲がってしまった。 遠雷が鳴る。 口の細い瓶に入ったはちみつ色のお酒はあと半分。 グラスにつぎ足すと残りはあと三分の一。 夜の三分の一のところで、寝床で眠る蜜蜂の羽音が響いたのはきっと寝言であろう。 透明なちょうちょがチーズにとまっていたが、それを知らずにクラッカーに載せて食べた。 甘い甘い溶ける
喫茶店で珈琲を飲んでいると、目の前の男が汗を拭いているのが女物のパンツであることに気づいて、名取は口に含んだ珈琲を思いきり噴き出してしまった。 「ちょっ、名取くん、何してんの?あーもうっ、びちゃびちゃだよ!」 男は焦ったようにそれまで汗を拭いていたパンツで白いワイシャツに付いた黒い染みを拭いた。 「いや、アンタこそ何してんですか!それ、あれでしょ?いや、もしかして…」 丁度良いタイミングで男の後ろにあった古いテレビに、最近頻出しているという下着ドロボウ
南の島の大王が パインを作りたいと騒ぎはじめた 南の島の民たちは 皆のんびりしているのが好きなので 新しいことを始めるのを億劫がったが 大王が言うのだから仕方がないと とりあえず島で一番大きなヤシの木の下に集まった 南の島の民たちは パインを食べたことがない 何やら仙人みたいなじいさまの持っていた文献で 黄色くて甘酸っぱいとの情報を得た 仕方がないので酸っぱい実と甘い水と黄色の花びらを混ぜて 何だかそれっ
首尾は上々である。 我らは今高い崖の上にいる。 ここまで来て飛ばぬという選択肢はないだろう。 景気付けにキウイとグレープフルーツのジュースも飲んだだろう。 最悪落ちてドボンだよ。 下は湖なんだ、大丈夫さ。 怖がるな。上昇気流に乗るだけさ。 身を任せて舞い上がれよ。 要はタイミングだ。 風を読むのを忘れるなよ。 そう言って、彼は先に空へと飛び立ってしまった。 置いてけぼりの僕は、まだ空を見あげてまごつく心と戦っては汗をか
ばあちゃんの家に行くと、挨拶も早々に小皿に載せた梅干しを出してきた。 「え、ばあちゃん。何これ?」 俺はスマートフォンのアプリで読んでいたマンガから目をあげて尋ねた。 ばあちゃんは自分の分の梅干しをちびちびかじりながら、かじるたびに酸っぱそうな顔をしている。 「いいから食え」 俺のばあちゃんはもちろんばあちゃんなのだが、世間一般のイメージでいうところのじいちゃんみたいな頑固さがある。 物も多く言わないし、大抵において説明不足だ。 俺の母親とはそれ
カレーの横に添えてある福神漬けが、まさかこんな事態を引き起こすとは思っていなかった。 東海林は気まずい空気の中で、己の軽薄な思いつきによる愚行を実行したことを激しく後悔していた。 「三木くん、機嫌直してくれない?」 猿のように短い頭を金髪に染めている三木くんは、背中を丸めて不機嫌なオーラを放っている。 二人の間にある、リサイクルショップで買った角の剥げたちゃぶ台の上には、昼飯で食べ終えたばかりのカレー皿が二つ。 このままでは皿に付いたルーが乾いて落ちにくくな
桃の種を植えた人がいて、そこは元々田んぼだったので、その土地は桃田と名付けられた。 高いところで見晴らしが良かったその場所は、高見台という名前が付いた。 昔の人はシンプルだった。 シンプルな方が普遍的に支持されるということを知っていたわけでも無かろうに。 野原の中を野中と名付けるくらいの軽やかさで、この世界にある物をただそこに在るものとしてシンプルに見てみたい。 余計な考えが入り込まぬほど、ただ目の前にある景色をそのものとして見てみたい。
炎天下の中 僕は網に入れられてぶらぶらと運ばれた 八百屋の台で兄弟と別れ 僕は今ひとりだ 地面に近くてアスファルトの照り返しが熱い このままうっかり落とされたら ヒビの入った焼きスイカになってしまいそうだ 汗を拭く買い主の足取りはしっかりしている こんなに大きなスイカは珍しいんだと胸を張ってくれた八百屋のおじさんに恥じないように僕は役目を全うするつもりだ どうせなら棒で叩き割られるのもいい 勢いよく魂が飛び出せることだろう 美