凡天劇画会

凡天太郎についてのわかりやすいテキストが必要だなと感じたのでnoteはじめました!4/23~5/27までラピュタ阿佐ヶ谷『凡天太郎映画祭』レイトショー(21:00~)開催中!5/3~8はB1Fザムザ阿佐ヶ谷で凡天太郎出演ロマンポルノ作品を特集上映!

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  • 昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

    これは「伝説の刺青師が残した幻の映画デジタル化プロジェクト/凡天太郎『刺青』ノーカット版4Kリマスター」というクラウドファンディングを実施時に公開したnoteです。https://motion-gallery.net/projects/bonten-irezumi 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か? それをたくさんの人に知っていただくことがプロジェクトの成功につながるだろうと思いプロジェクト終了までnoteで連載しました。

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昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

『混血児リカ』というマンガを知っていますか? 終戦直後の横須賀で占領軍兵士によるレイプによって産まれたリカが、世間からの冷たい視線に苦悩しながらも、裏社会にはびこる悪い男どもを次々と退治するバイオレンス劇画です。 ありま猛先生『連ちゃんパパ』が掲載されている懐の広いWEBマンガサイト「マンガ図書館Z」で全巻無料で読めます。 集英社の芸能情報誌「週刊明星」で1969年9月~1973年11月連載と今から50年近く昔の古い作品ですが、全8巻で合計閲覧数35万くらいあるので意外

    • リカとジュリ ~幻の大韓ピンキーバイオレンス映画を追って TEXT by 植地毅(後編)

      『混血児ジュリ』の謎を巡るレポートの後編をお届けします。 ・出鱈目すぎる海外公開版のデータ YouTubeで配信されている英語版の存在を知り、衝撃を受けて早速その内容の確認ができたまではよかったが、海外版の存在は映画を巡る謎を更に複雑化させただけだった。 まず海外版タイトルの『STRIKE OF THE TORTURE ANGELS』で検索すると、データーベースとしてIMDBがヒットするのだが、これはトラップだ。出所がいい加減な香港/アジア産映画にありがちな事例なのだが、

      • リカとジュリ ~幻の大韓ピンキーバイオレンス映画を追って TEXT by 植地毅(前編)

        ・Introduction 鬼才・凡天太郎原作による劇画『混血児リカ』と、実写映画化した『混血児リカ』(1972年~73年/東宝)。そのド直球すぎる題名と、大変お聞き苦しい台詞が全編に渡って炸裂するがゆえに、原作は雑誌タイプの総集編が発行されたのみで未単行本化。映画は映画で、これまで日本国内では映像ソフト化が見送られ、原作と共に封印作品というポジションに置かれていたが、それはもう過去の話。2012年の凡天劇画会の活動開始以来、凡天太郎の漫画家としての知名度はかつてとは比較に

        • 「混血児リカ」WEB公開終了間近

          2012年4月よりWEBで無料公開を開始した凡天太郎の代表作「混血児リカ」が2022年3月31日で公開終了となります。 いいタイミングなので、この「混血児リカ」WEB公開に至る経緯を書き留めておきます。 凡天太郎「不良少女伝 混血児リカ」(集英社「週刊明星」連載:1969年4月21日号~1973年11月4日号〔全214回〕) 敗戦国として連合国の占領下にあった日本。進駐軍と日本人女性の間に望まれない形で出生した少女リカが、世間から「呪われた子」と蔑まれ成長する過程で独自の

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        昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

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        • 昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?
          14本

        記事

          第13回 刺青師一代

          昭和59(1984)年頃から、凡天太郎は刺青師として築き上げた人脈を活かし『実話ドキュメント』に登場する右翼やヤクザのインタビュアーとコーディネイターを務めるようになります。同誌では小説の執筆を開始。挿絵も本人が手掛けています。 引き続き『実話ドキュメント』篠田邦彦編集長にお話しを伺います…… ――梶原一騎よりも先に「男の星座」というタイトルで柳川次郎を主人公とした小説を書いていたのに驚きました。 単行本化もしてないし、商標登録もしていない。どっちが先に有名になったかと

          第13回 刺青師一代

          第12回 刺青とメディア展開

          凡天太郎(初代 梵天太郎)は伝統を重んじる世界で ・和彫りの世界にタトゥーマシンを持ち込む ・墨と朱以外の色を持ち込み多色彫りを行う ・刺青の下絵を肌に写す転写シートの開発 と次々と技術革命を起こしました。 さらに凡天太郎の刺青について、晩年最もかかわりの深かった雑誌『実話ドキュメント』の篠田邦彦編集長はこう指摘しています。 昭和の時代に伝統芸術といわれるような彫り物の世界で革新を起こして定着させたということは凄い功績なんだよ。いまだに梵天系統の絵柄は嫌いだって人はいる

          第12回 刺青とメディア展開

          第11回 栄光の頂点

          「混血児リカ」は終戦直後の横須賀で占領軍兵士によるレイプによって産まれたリカが、差別に苦悩しながらも、裏社会にはびこる悪い男どもを次々と退治するバイオレンス劇画。リカは特攻くずれとして世間からの冷たい視線にさらされ自暴自棄に明け暮れた凡天太郎の体験が色濃く反映したキャラクターです。 そんな殺伐とした内容にもかかわらず強い女性主人公が男どもを次々と倒していく展開は女性読者の心をつかみ連載期間4年3か月、全214回連載、総ページ数2140にのぼり当時としては大長編になりました。

          第11回 栄光の頂点

          第10回 「混血児リカ」前夜

          凡天太郎の代表作「混血児リカ」が連載したのは劇画雑誌ではなく、集英社が発行していた芸能情報誌『週刊明星』です。「混血児リカ」は3回も実写映画化される大ヒット作となりましたが、突如ヒットした訳ではなく『週刊明星』での連載4作目にあたります。 「仮面の天使」  昭和43(1968)年9月29日号~10月20日号〔全4回〕 「美しき復讐」  昭和43(1968)年10月27日号~昭和44(1969)年3月30日号〔全23回〕 「おんな刺青師ルリ」  昭和44(1969)年4月

          第10回 「混血児リカ」前夜

          第9回 劇画雑誌創刊ラッシュ

          凡天太郎は放浪の刺青修行を終えマンガ家に復帰した昭和41(1966)年から昭和48(1973)年に筆を折るまでの8年間に187作品を発表しています。 ですが『ビッグコミック』(小学館)、『週刊漫画アクション』(双葉社)、『ヤングコミック』(少年画報社)、『プレイコミック』(秋田書店)といった大手出版社による劇画誌とは無縁な存在でした。 凡天の主な活動場所となったのはナンセンス漫画やレジャー情報のおまけ的にマンガが掲載しているような雑誌が劇画ブームに乗じて路線変更したような

          第9回 劇画雑誌創刊ラッシュ

          第8回 放浪の果て

          月刊マンガ誌の連載をすべて打ち切った凡天太郎は、針とギターを持って各地の親分をたずね全国をまわる刺青修行&流し生活をつづけていました。次第に凡天を慕って、若者三十人ほどが集まってきます。千葉の房総でしばらく腰を下ろし、ヤクザの真似事をしますがその生活も窮屈に感じ、再び一人で流しを始め横浜に流れ着いたと、様々な記事で本人が語っています。 「千葉の人脈、末代の総長になるような人たちとの交流を持って、その後マンガ家だよね。うん、ただ、ヤクザは……、逃げた?(笑)下手打ったのか、言

          第8回 放浪の果て

          第7回 凡天太郎、失踪

          凡天太郎が少女向け月刊マンガ誌でメジャーデビューを果たしたのは昭和33年1月。戦後のベビーブーム世代をターゲットにした月刊少年少女マンガ雑誌が最盛期を迎えるのがこの時期です。 貸本出版社は雑誌への対抗作として、見世物的ともいえる過激な路線を打ち出すようになるのですが、そこに追い打ちをかけるように悪書追放の動きが高まっていきました。 ここから週刊マンガ誌が主流になっていく昭和37年頃までが月刊マンガ誌の最盛期のため、またしても凡天は一番良い時期に一番良い場所で商売をはじめた

          第7回 凡天太郎、失踪

          第6回 水木しげる

          凡天太郎自身が水木しげると行動を共にしたのは漫画を描くようになってからと発言していることからも、加太こうじ『紙芝居昭和史』(岩波書店)の 「凡天の石井きよみ時代には白土三平、水木しげるがかれの絵物語の仕事手伝っている」 という一節は信憑性に欠けます。 水木が紙芝居の仕事を求めて上京したのは昭和32年です。少なくとも凡天が絵物語を描いている昭和28年には水木はまだ関西在住です。上京した時点で紙芝居はすでに下火になっていたことから、凡天や白土の師匠でもある加太こうじの勧めで

          第6回 水木しげる

          第5回 白土三平

          岩波書店から発行された加太こうじ『紙芝居昭和史』には 「凡天の石井きよみ時代には白土三平、水木しげるがかれの絵物語の仕事手伝っている」 という一節があるため、白土三平と凡天太郎のつながりを考えるときによく参照されます。 そして凡天太郎は様々な媒体で白土三平が紙芝居をやめた頃に絵物語を手伝ってもらったと語っています。ですが白土が紙芝居をやめたのは昭和32年なので、凡天が絵物語を描いている時期ではありません。この発言も信憑性が低いといっていいでしょう。 長きにわたり白土三

          第5回 白土三平

          第4回 少女マンガ家 石井きよみ

          長井勝一の創設した貸本屋向けの流通をメインの販路とした出版社「日本漫画社」から発行された凡天太郎の単行本で存在が確認できているものは、  はちまんじろう『悲しきさくら貝』  はちまんじろう『なみだの星空』  はちまんじろう『続 なみだの星空』  石井きよみ『小雨ふる街』  石井きよみ『母のロケット』  石井きよみ『なみだの校庭』  石井きよみ『涙の十字架』  石井きよみ『星ひめさま』(今回のヘッダーに使用した作品) 以上7冊です。 日本で発行されたマンガといっても未だに

          第4回 少女マンガ家 石井きよみ

          第3回 紙芝居の衰退、長井勝一との再会

          卒業後の進路として、本命は画家志望でしたが挫折し、刺青に魅了されながらもその閉鎖性に疑問を持っていたため彫師にはならず、翌年より就いた職とは、東京神田にある私立の女学校S学園の美術教師でした。 そこで事もあろうに生徒だった園長の娘を妊娠させた事で退職に追い込まれます。これが凡天太郎最初の結婚です。(学生時代に一度結婚しているという記事も存在しますが、凡天太郎夫人である田中多美子さんの証言を優先しました) 教師を辞めてから二年ほど、様々な職を転々としたとなっていてはっきりし

          第3回 紙芝居の衰退、長井勝一との再会

          第2回「刺青」との出会い

          凡天太郎が画学生の最終年にあたるこの年、凡天は京都市今熊野にあるお寺の離れに下宿していました。その当時の事が自著『肌絵』に書かれています。 「私が刺青の美に魅せられるようになったのは、昭和25年ごろからである。朝鮮戦争の勃発で世の中は騒然としていたが、私は肌の下に埋められた青と朱の絵の不思議なまでの魅力に我を忘れていった。当時、私は京都芸大油絵科に籍を置く、21歳の画学生だったが、生きた人間をカンバスにする絵画芸術の面白さに夢中になったのだ。この機縁を作ってくれたのは、刺青

          第2回「刺青」との出会い