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昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

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これは「伝説の刺青師が残した幻の映画デジタル化プロジェクト/凡天太郎『刺青』ノーカット版4Kリマスター」というクラウドファンディングを実施時に公開したnoteです。https:/…
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昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

昭和の怪物彫師 梵天太郎(凡天太郎)とは何者か?

『混血児リカ』というマンガを知っていますか?

終戦直後の横須賀で占領軍兵士によるレイプによって産まれたリカが、世間からの冷たい視線に苦悩しながらも、裏社会にはびこる悪い男どもを次々と退治するバイオレンス劇画です。

ありま猛先生『連ちゃんパパ』が掲載されている懐の広いWEBマンガサイト「マンガ図書館Z」で全巻無料で読めます。

集英社の芸能情報誌「週刊明星」で1969年9月~1973年11月連載

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第1回「ガロ」編集長 長井勝一

第1回「ガロ」編集長 長井勝一

凡天太郎の画業の始まりは、戦後すぐの街頭紙芝居までさかのぼります。特攻隊から復員した凡天太郎は当時18歳。当時上野と京都にしかなかった美術学校を受験。上野は不合格となり、昭和22年3月に京都絵画専門学校(京都芸大の前身)に入学。洋画・日本画・図案・彫刻の四科のみうち、洋画を専攻。

この絵画学校の学費使い込み分の穴埋めに手掛けた仕事が紙芝居で、当時の大ヒット作『黄金バット』の作者であり紙芝居業界の

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第2回「刺青」との出会い

第2回「刺青」との出会い

凡天太郎が画学生の最終年にあたるこの年、凡天は京都市今熊野にあるお寺の離れに下宿していました。その当時の事が自著『肌絵』に書かれています。

「私が刺青の美に魅せられるようになったのは、昭和25年ごろからである。朝鮮戦争の勃発で世の中は騒然としていたが、私は肌の下に埋められた青と朱の絵の不思議なまでの魅力に我を忘れていった。当時、私は京都芸大油絵科に籍を置く、21歳の画学生だったが、生きた人間をカ

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第3回 紙芝居の衰退、長井勝一との再会

第3回 紙芝居の衰退、長井勝一との再会

卒業後の進路として、本命は画家志望でしたが挫折し、刺青に魅了されながらもその閉鎖性に疑問を持っていたため彫師にはならず、翌年より就いた職とは、東京神田にある私立の女学校S学園の美術教師でした。

そこで事もあろうに生徒だった園長の娘を妊娠させた事で退職に追い込まれます。これが凡天太郎最初の結婚です。(学生時代に一度結婚しているという記事も存在しますが、凡天太郎夫人である田中多美子さんの証言を優先し

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第4回 少女マンガ家 石井きよみ

第4回 少女マンガ家 石井きよみ

長井勝一の創設した貸本屋向けの流通をメインの販路とした出版社「日本漫画社」から発行された凡天太郎の単行本で存在が確認できているものは、

 はちまんじろう『悲しきさくら貝』
 はちまんじろう『なみだの星空』
 はちまんじろう『続 なみだの星空』
 石井きよみ『小雨ふる街』
 石井きよみ『母のロケット』
 石井きよみ『なみだの校庭』
 石井きよみ『涙の十字架』
 石井きよみ『星ひめさま』(今回のヘッ

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第5回 白土三平

第5回 白土三平

岩波書店から発行された加太こうじ『紙芝居昭和史』には

「凡天の石井きよみ時代には白土三平、水木しげるがかれの絵物語の仕事手伝っている」

という一節があるため、白土三平と凡天太郎のつながりを考えるときによく参照されます。

そして凡天太郎は様々な媒体で白土三平が紙芝居をやめた頃に絵物語を手伝ってもらったと語っています。ですが白土が紙芝居をやめたのは昭和32年なので、凡天が絵物語を描いている時期で

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第6回 水木しげる

第6回 水木しげる

凡天太郎自身が水木しげると行動を共にしたのは漫画を描くようになってからと発言していることからも、加太こうじ『紙芝居昭和史』(岩波書店)の

「凡天の石井きよみ時代には白土三平、水木しげるがかれの絵物語の仕事手伝っている」

という一節は信憑性に欠けます。

水木が紙芝居の仕事を求めて上京したのは昭和32年です。少なくとも凡天が絵物語を描いている昭和28年には水木はまだ関西在住です。上京した時点で紙

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第7回 凡天太郎、失踪

第7回 凡天太郎、失踪

凡天太郎が少女向け月刊マンガ誌でメジャーデビューを果たしたのは昭和33年1月。戦後のベビーブーム世代をターゲットにした月刊少年少女マンガ雑誌が最盛期を迎えるのがこの時期です。

貸本出版社は雑誌への対抗作として、見世物的ともいえる過激な路線を打ち出すようになるのですが、そこに追い打ちをかけるように悪書追放の動きが高まっていきました。

ここから週刊マンガ誌が主流になっていく昭和37年頃までが月刊マ

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第8回 放浪の果て

第8回 放浪の果て

月刊マンガ誌の連載をすべて打ち切った凡天太郎は、針とギターを持って各地の親分をたずね全国をまわる刺青修行&流し生活をつづけていました。次第に凡天を慕って、若者三十人ほどが集まってきます。千葉の房総でしばらく腰を下ろし、ヤクザの真似事をしますがその生活も窮屈に感じ、再び一人で流しを始め横浜に流れ着いたと、様々な記事で本人が語っています。

「千葉の人脈、末代の総長になるような人たちとの交流を持って、

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第9回 劇画雑誌創刊ラッシュ

第9回 劇画雑誌創刊ラッシュ

凡天太郎は放浪の刺青修行を終えマンガ家に復帰した昭和41(1966)年から昭和48(1973)年に筆を折るまでの8年間に187作品を発表しています。

ですが『ビッグコミック』(小学館)、『週刊漫画アクション』(双葉社)、『ヤングコミック』(少年画報社)、『プレイコミック』(秋田書店)といった大手出版社による劇画誌とは無縁な存在でした。

凡天の主な活動場所となったのはナンセンス漫画やレジャー情報

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第10回 「混血児リカ」前夜

第10回 「混血児リカ」前夜

凡天太郎の代表作「混血児リカ」が連載したのは劇画雑誌ではなく、集英社が発行していた芸能情報誌『週刊明星』です。「混血児リカ」は3回も実写映画化される大ヒット作となりましたが、突如ヒットした訳ではなく『週刊明星』での連載4作目にあたります。

「仮面の天使」
 昭和43(1968)年9月29日号~10月20日号〔全4回〕

「美しき復讐」
 昭和43(1968)年10月27日号~昭和44(1969)

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第11回 栄光の頂点

第11回 栄光の頂点

「混血児リカ」は終戦直後の横須賀で占領軍兵士によるレイプによって産まれたリカが、差別に苦悩しながらも、裏社会にはびこる悪い男どもを次々と退治するバイオレンス劇画。リカは特攻くずれとして世間からの冷たい視線にさらされ自暴自棄に明け暮れた凡天太郎の体験が色濃く反映したキャラクターです。

そんな殺伐とした内容にもかかわらず強い女性主人公が男どもを次々と倒していく展開は女性読者の心をつかみ連載期間4年3

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第12回 刺青とメディア展開

第12回 刺青とメディア展開

凡天太郎(初代 梵天太郎)は伝統を重んじる世界で

・和彫りの世界にタトゥーマシンを持ち込む
・墨と朱以外の色を持ち込み多色彫りを行う
・刺青の下絵を肌に写す転写シートの開発

と次々と技術革命を起こしました。
さらに凡天太郎の刺青について、晩年最もかかわりの深かった雑誌『実話ドキュメント』の篠田邦彦編集長はこう指摘しています。

昭和の時代に伝統芸術といわれるような彫り物の世界で革新を起こして定

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第13回 刺青師一代

第13回 刺青師一代

昭和59(1984)年頃から、凡天太郎は刺青師として築き上げた人脈を活かし『実話ドキュメント』に登場する右翼やヤクザのインタビュアーとコーディネイターを務めるようになります。同誌では小説の執筆を開始。挿絵も本人が手掛けています。

引き続き『実話ドキュメント』篠田邦彦編集長にお話しを伺います……

――梶原一騎よりも先に「男の星座」というタイトルで柳川次郎を主人公とした小説を書いていたのに驚きまし

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