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第5回 白土三平


岩波書店から発行された加太こうじ『紙芝居昭和史』には

「凡天の石井きよみ時代には白土三平、水木しげるがかれの絵物語の仕事手伝っている」

という一節があるため、白土三平と凡天太郎のつながりを考えるときによく参照されます。

そして凡天太郎は様々な媒体で白土三平が紙芝居をやめた頃に絵物語を手伝ってもらったと語っています。ですが白土が紙芝居をやめたのは昭和32年なので、凡天が絵物語を描いている時期ではありません。この発言も信憑性が低いといっていいでしょう。

長きにわたり白土三平が凡天太郎について語る事はなかったのですが、2016年に次にような発言が「月刊漫画アックス」に掲載されました。

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“俺の友だちでね、元ヤクザがいるんだけど、そいつは自分ちの前にね、仏様の石(墓石?)を置いて、前にお賽銭箱を置いてたんだって。有名な人だよ。それをやってた時期があった。少女マンガ描いてた人でさ、俺は尊敬したね。元ヤクザだから、人を脅して金取ろうと思えばできるんだけど、石井きよみ。アレ、刺青師になったけど、その前マンガ描いてたんだよ。”

 石井きよみ、またの名を凡天太郎。そういえば筆者が凡天にお会いしたとき、白土を長井勝一に紹介したのは「自分だ」と言っていた。

“わはは(笑)よく言うよ。逆だよ!アイツは借金抱えて、川原に捨てられてたんだから。殺されなかっただけマシだけど。アイツ、生きてるの?”

 凡天は残念ながら2008年に亡くなった。晩年は沖縄でタトゥースタジオを営み、多くの弟子も育てた。

“アイツはスタイリストだからね。スーツ着て、電車の中でこう、連結部のところの窓に自分の姿を映してさ、「うーん……よし、行こう」ってね(笑)。そういう感じ。アイツはね、古い世界と新しい世界とが混在してるんだよね。大体、自分ちの前に賽銭箱を置いて、誰かがお金を入れるかなんて普通考えないだろう。「コイツ、もしかしたらバカじゃねえか」と思ったもの(笑)。何銭か入ってましたよ。アレは沖縄の方で、最後くたばったのか。まあ、悪い男じゃないけれども。”

(白土三平インタビュー「月刊漫画アックス」第109号〔特集 追悼水木しげる〕所収、青林工藝舎、2016年)より

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この発言から二人は一時期かなり近い場所にいた印象を受けます。そして凡天太郎が白土を長井に紹介したという発言に対し「逆だよ!」と答えていますが、凡天と長井の関係は白土よりもはるかに古いため、これは白土の記憶違いと思われます。

とにかく当事者たちの発言に整合性を見出すの非常に難しい。

一つ確実に言えることは凡天太郎と白土三平が最も接近したのは、紙芝居~絵物語ではなく日本漫画社の時代という事です。

そして『忍者武芸帖』から『カムイ伝』と長きにわたりタッグを組むことになる長井勝一と白土三平のつながりも日本漫画社から始まります。

昭和32年に巴出版から『こがらし剣士』でデビューした白土三平は同年の秋口に「日本漫画社」を訪れ、この『こがらし剣士』に惚れ込んでいた長井はすぐに白土と契約を結び、二作目となる『甲賀武芸帖』を発表。最終的に全八巻もの当時としては大長編作品となりました。

白土は昭和32年から昭和33年夏までの間に、これを含む19冊もの単行本(1冊平均128ページ)を「日本漫画社」から発表しています。

この出版点数だけでも驚異的ですが、月刊誌で連載もこなし、さらに同時期に「日本漫画社」から発行された他作家の単行本の表紙も数多く手掛けているのです。さらにこの多忙な中で昭和33年の夏頃まで当時の人気作家である牧かずまのアシスタントもしていたと言われています。

そして水木しげるが凡天の絵物語を手伝っているかの検証に入ります……

(つづく)

映画『刺青』について

この凡天太郎が自身の世界観を詰め込んで製作した『刺青』という映画があります。40年間封印されたままとなっているノーカット版(86分)の35mmネガフィルムを4Kリマスター化するクラウドファンディングを6月26日まで開催中です。

ブルーレイをはじめとしたアイテムはすべてリターンを目的として製作する贈呈品ですのでお見逃しなく!


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