16ビートはやお
自分の人生を振り返って大切なものを考えたり考えなかったりするブログです。
母との思い出の話です。 癌で闘病していた母が自宅で倒れ、旅立つまでの五ヶ月間のお話です。僕の母が生きてきた証として書き残しています。
危険なヤツらの危険なエピソード
SUPER COOLバンド、ZOOZのあれやこれやを綴ります。
人生って何なんでしょうねぇ。分からないけど考えることは楽しかったりしますよねぇ。
[1]傲慢が歩いている 不満があるなら自分で声を出して、行動しなけりゃ変わらない。そんなことはあまりに分かりきっているし、当たり前だと思って人生を過ごしていたのだけど、案外周りはそうでなかったりする。 普段は不満を隠しているくせに、きっかけさえあれば風船に針を突くように不満を垂れ流す。垂れ流すのなら行動に移せばいいのに、そんなこともせず誰かが解決してくれたらいいとふんぞり返ったり、できないと言い訳を並べたりする。 それを傲慢と呼ばずに何を傲慢と呼べばいいのだろうか。老い
[1]耐えられない 誰かに責任を押し付けて手に入れた平穏は本当に素晴らしいものなのか。派手に耳目を集めて批判をくらったり、失敗したり、これみよがしに成功を見せびらかす人よりも、「静かに誰かに責任を押し付けて平穏を獲得している人」に恐怖する毎日を過ごしている。 平たくいえば「どうせ誰かがやってくれるだろう」「私は面倒だからやりたくない」という言葉に終着するのだけど、そうやって静かに責任を押し付けて得られた独善的な平穏の裏では、誰かがもう二度と帰ってこない時間を費やしてあなた
[1]ベルトコンベア 高校の国語の先生が授業中に発した言葉がやけに頭に残っている。「私もとうとう両親を亡くして、まるでベルトコンベアに乗っているかのように、次は自分が死ぬ順番なんだなって思うようになったんです。」 あの当時、先生は40代後半だっただろうか。それよりも随分早く、僕はそのベルトコンベアに乗ってしまった。次はきっと、自分の番だ。身に迫った感覚を説明するにはどうしても「虚しい」というワードが付き纏う。 映画はそんなに見ないのだけれど『ソナチネ』だけは妙に印象に残
[1]いつまでも続かない 命はいつまでも続かない。毎日寝る時「いつまでこの楽しい生活が続くんだろうか」と考えながら眠りについている。「また来週ね」と言って別れても、来週会える保証なんてどこにもない。 いつまでもこの楽しい生活は続かない。いつまでも続かないから瞬間瞬間が美しいのだけれど、頑張ればある程度はこの生活を引き延ばし続けることができるので、なるだけそうなるように日々過ごしている。 終わりをどこか頭の隅に追いやりながら、まるで終わりがこないかのように振る舞っている。
[1]疲れへの恐怖 疲れてしまったあとの体の心配ばかりして、そもそも疲れることを避けている。気がついたら「なるべく疲れないように」配慮して生きている。 いつから疲れることに怯えてしまったのだろう。子どもの頃は体がボロボロになるまで遊び倒していたし、高校生の頃も疲れへの恐怖はほとんどなかった。大学生の頃も朝になるまで、脳が働かなくなるまで遊んでいた。 なぜだろう。よく考えてみると、遊ぶことに飽きてしまったわけでも、疲れること自体に恐怖しているわけでもなかった。多少の体の老
[1]誰かがなんとかしてくれる 会社の話。正直に生きる、というより嘘をつくとか見栄を張るのが疲れたからありのままで生きると決めてから、会社での人間の見え方がまるで変わってしまった。 会社での多くの事柄は建前や見栄を優先して動いている。先行きが変になりそうな瞬間は沢山あるのに、「誰かがなんとかしてくれる」という心持ちで大抵の人は過ごしているものだから、何も解決しないままいつまでも同じことを繰り返して不平や不満を垂れ流し続けている。 この「誰かがなんとかしてくれる」という気
[1]今の生き方 幸せを言い換えるならば「今の自分の生き方に納得できている状態」なんだろうなと思う。「今の」という部分が大事で、過去を積み重ねてきた自分の現在地、今に至るまでのあらゆる選択、それは努力や怠惰、誠実や裏切り、センスや他者の介在を含んだすべての選択の結果、今の自分がどういう状態にあるのか、そしてそれに納得できているのか、総じてまとめて幸せの基準になる気がしている。 極端に考えれば、周りの人がどんな視線や言葉を投げかけたとしても、自分に納得できていれば幸せという
[1]大学院の夢 朝が冷えてくると、大学院の頃の夢を見てしまう。修士論文を書けないまま提出期限が迫ってくる、授業についていけなくなってくる、もう10年近く前の話なのに、いまだにそんな夢を見る。頭では楽しい思い出と処理していても、夢では辛い経験として立ち現れてくる。 たった2年間の経験が、今の僕の価値観や判断の真ん中を形成している。大学院で過ごした時間は「自分の力だけで生きていきたい」と強くもがいていた時期でもあった。そして周りの友人も皆、強く強くもがき、励まし合い、叱咤し
[1]まるで代弁者のよう 世間体を気にする人が社会では多数派で、そういった人の意見や声がまるで正しいかのように組織が機能していることが多い。あたかも自分は世間では普通でまともな人の代表であるかのように、蚊帳の外から偉そうに批評したり攻撃してくる人が沢山いる。 そういった敵意を向けられたとき、頭では、そういった人の言動や攻撃はどうでもいいことなんて分かっているし、有象無象が束になったってやはり有象無象であることなんて理解の朝飯前だったりする。けれど心ではしっかりそんな敵意に
[1]変わる街 育った街はなんだかところどころ暗い。別所さんの誘いで育った街を歩くことになった。学生時代過ごした街を歩いてみると、朽ちた建物がそのまま放置されている。行政が中途半端に放置した地区がある。コンクリートが割れ、間から雑草が顔を覗かせている。かつてそれなりに活気があったものや場所から人が消え、手入れがされなくなって表面がうす汚れた建物を眺めながら歩いていた。 商店街は僕が学生の頃よりもうっすらと活気が減っていて、人も建物もみんな歳を取っているはずなのに、それでも
[1]適性 「私はこの仕事に適性がないと思います、辞めなければなりません」と言っていたミスを繰り返す中途採用の外国籍の新人さん。「二ヶ月様子を見てみましょう。そこから適性を判断しても良いと思いますよ。」と話しをつけ、彼とどうやって接したら良いのか僕は試行錯誤を繰り返していた。 しばらくして、どうやら彼の自信満々の言動や行動の背景が、心配の裏返しであることが分かってきた。だから自分のミスが人より気になって仕方ない。その自信を崩してしまうことが彼の心配に直結してしまう。だから
[1]本当に寂しい 4月5日に母が亡くなってから毎日、本当に毎日、母のことを考えては目が潤んでしまう。仕事中だって、ライブ後の高揚感の最中だって、一瞬の隙があれば母のことを考えている。そして何度も何度も、母のことを文章にしたためてしまう。 平気で何年も会わない時期があったり、連絡も頻繁には取らなかったし、ベタベタに仲が良かったとは言えないのだけれど、僕は孤独ではなかった。母子家庭でどれだけ貧乏でも、仕事で母がずっと家に居なくとも、どれだけ破天荒でも、僕にとって母は母だった
[1]子どものように遊ぶ権利 「大人になる」ということは「子どもの頃を忘れる」のではなく、「いつまでも子どものように遊ぶ権利を得る」ことなのかもしれない。それは子どもと等しく無責任であれというわけではない。責任を回避せず少年少女のような感性で生きることができたら、それはきっと本当に素敵な大人だと思う。 大人になるにつれ社会性を身につけ始めると、嘘や見栄や遠慮という名前の逃げが視界にちらついては、気がつけば武器のように身に纏い暮らしてしまう。 そういったものを極力排除した
[1]幻想を捨てよう 生きていると色んな人に出会う。我儘を権利と勘違いしている人がいる。お金を払ったんだからもっと良くしてくれたっていいじゃないかとか。期待を義務と履き違えてる人がいる。君はもっとやってくれなきゃいけないとか。 全ては自分の思った通りにならないエゴが生み出した幻想。自分の作りだした「こうあるべきだ」という幻想と、予測のつかない相手の行動との間でズレが生じた時に、義務や権利や期待や我儘といった言葉や態度で不満を表現したりする。 他人は自分ではないから、自分
[1]時間の深さ 時間の「深さ」みたいなものの良さを忘れてしまっている気がする。「無駄を愛せよ」というわけではないのだけど、タイムパフォーマンスが過度に重視されると、物事の深いところにある「エグみ」みたいなものを感じることができないまま、経験を積んだ気になってしまうように感じている。かといってどこぞやの寿司職人のように、十年間親方の手を見て覚えろというわけでもない。全てはきっとバランス。そう、バランス。 夏目漱石のいう「皮層上滑りの開花」の行き着く先は、経験した気になった
[1]自分さえ良ければいいのか ニュースを見ても、街を歩いていても、仕事をしていても、どこにいても「自分さえ良ければいい」という人間の醜さに心をやられてしまっていた。なんでそんなにみんな「自分さえ」良ければいいんだろう。 自分の人生なんだから自分を優先して当たり前なんだけど、他人を犠牲にしてまで自分だけおいしい思いをしようという考えや感覚はどうしても解せない。誰かの優しさが誰かの養分のように使われているこの現状がどうしても許せないのだけど、一方で自分がそんな醜い人間の一端