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徒然なるビート

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自分の人生を振り返って大切なものを考えたり考えなかったりするブログです。
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記事一覧

宇宙を利用する

宇宙を利用する

[1]宇宙に放り出す
 自分が「なんでもできるかもしれない」。そう思っている時はたいてい浮かれているし、自分がどんどん肥大化している。そういうときはちょっと落ち着いて自分に説教しなければいけない。まず宇宙の広大さを思い浮かべて、そこにGoogle Earthのように自分をつまみあげ、宇宙空間に放り出す。そうやって広い広い宇宙に自分を一人、漂わせてみる。前も後ろも上も下も、何をどうやっても自分の力で

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検索履歴の中の母

検索履歴の中の母

[1]検索履歴
 家にあったFire Stickをテレビに差し、ネット動画を見ようとしていた。検索窓をクリックしてみると、過去の検索履歴がずらっと表示された。その履歴の数々を見た瞬間、「あぁ、そっか。これ、お母さんにあげてたFire Stickだった。」と思い出した。遺品整理の時に僕が引き取ったものだった。
 そうだそうだ、母が自宅で闘病していた時に「暇やからスマホで動画ばっかり見てるねん」という

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ねばならない病

ねばならない病

[1]ねばならない病
 死をどうやって受け入れるか。そんなことばかり考えている。実は同じくらい興味のある事柄で、子孫を残すことは正なのか、という悩みをずっと抱えている。
 説明がとても難しいのだけど、子孫を残すこと、それはとても素晴らしいことだと思う。けれども、子孫を残すことそれ自体が権力を持ってしまっているのではないか、とずっと引っかかっていた。あまりにも無条件に、子孫を残すことが良いこととされ

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共感の残酷さ

共感の残酷さ

[1]喪失と繋がり
 「死ぬ」ことの恐怖は、死ぬことそれ自体ではなくて、もう大好きな人たちと繋がることができなくなること、そちらの方が大きいかもしれない。
 大好きな人の喪失か、はたまた自身の喪失か、死んだ後のことについてはどうなるか誰も知らないから、いくら言葉でこねくりまわしたって仕方がないのだけど、大好きな人が亡くなる時、自分自身もこの世界に居る価値を見出せなくなってしまう。まさに、母を亡くし

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優しさの使い方

優しさの使い方

[1]優しさの使い方
 優しさの使い方に気をつけている。大好きな人たちには勿論優しく尽くしたい。そして当然ながら、世の中は大好きな人たちばかりではない。
 僕は、苦手な人たちにも積極的に優しさを使っている。けれどその優しさは、大好きな人たちに向ける優しさとは大きく異なっている。
 大好きな人たちに向ける優しさは、無償の愛に近いのかもしれない。見返りというよりかは、大好きな人たちが健やかに生きてくれ

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テンプレートとお金と音楽

テンプレートとお金と音楽

[1]眠らない話
 東京でのライブから帰る道中、深夜高速。ガストバーナーのギタリスト加納さんと二人で延々と話していました。それは車を運転する加納さんが眠気に襲われないための作業のようなもので、話している内容は眠気さえ立ち退けば本当になんでも良いものでした。
 けれど深夜2時頃でしょうか。その中に、キラリと光る話がありました。音楽とお金とテンプレートの話です。ああ、これは覚えておこうと、眠たさで覆わ

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ニーチェに説教

ニーチェに説教

[1]ニーチェに説教
 生きることは忙しい。輝いて生きる人はより忙しい。これは現代社会では多少は真理めいたものなのかもしれない。そして、誰かが責任を逃れて楽をすれば、シーソーの片側のように別の誰かが忙しくなる。これもまた、真理なのかもしれない。
 僕はそうした「誰かに何かを押し付けて楽を得る人」がすごく苦手で、自分がそうなるのが嫌で、毎日誰かが残した不誠実を片づける日々を送っている。だから、忙しい

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ねがいごと

ねがいごと

[1]欲が深い
 人間は欲深い生き物だ。初詣で長蛇の列に並んでお参りしたものの、自分と、自分に関係のある大切な周りの人たちの幸せを願ってしまい、直後に反省した。人類全体の幸せを願うには、神さまにとって管轄外の宗教が入り混じってしまうから荷が重いし、だからといって自分の幸せだけを願うのは烏滸がましい。
 そんな中途半端な気持ちを抱えて賽銭を入れたものだから、「自分を中心に拡がる幾人か大切な人達の幸せ

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決壊と再生

決壊と再生

[1]決壊
 あまりにも年始の自分とは状況が、心が変わってしまった。「ダムの決壊」のように、堰き止めていたものが一斉に吐き出されるような一年だった。こんな一年になるなんて。
 4月に母が亡くなった。戸籍謄本では、死亡時刻が明記された母に僕だけがぶら下がる形で記載され、公的な孤独が表現されていた。
 心も忙しかったけれど、スケジュールも今年が人生で一番詰め込まれていて、細かいところまでびっちり「やり

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コンプレックスと対話する

コンプレックスと対話する

[1]本当に良いのだろうか
 コンプレックスがなくなったとき、自分が自分でなくなってしまうのかもしれない。そんな恐怖を抱えながらコンプレックスと対話を続けている。
 「コンプレックス」という言葉はなぜか悪い響きを持っているけれど、自分が持っているコンプレックスの組み合わせや濃淡から生まれてきたかけがえのない個性も山ほどあるはずで、何か一つ、コンプレックスの山を崩してしまうと全体のバランスが崩れてし

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量の幸せ、質の幸せ

量の幸せ、質の幸せ

[1]量の幸せ
 量の幸せを追い求めるということは、ある意味お金を追い求めることに似ている。承認欲求も、お金の欲も、物質的な欲も、肉体的な欲も、美しいものへの欲も、追い求めればキリがない。
 キリがないのに、ほとんどの人はその世界が全てだと思っているし、SNSではそういう価値観に基づいた「欲求満たし自慢」みたいなものが溢れきっている。実際それをみて疲れたり、羨ましくなったりする自分もいる。
 欲望

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戸籍と友人

戸籍と友人

[1]戸籍謄本
 2024年4月5日午後0時56分。用事があって取得した戸籍謄本の母の欄には、死亡時刻が記載されていた。その時刻は僕が仕事を切り上げて会社を出ようとしていた時刻だった。母がそんな事態になっているとは知らずに、業務引き継ぎの説明をしていた気がする。そんなことを思い出していた。
 出来事を受け入れているうちに今年が終わってしまう。平安な心に辿り着くためには「死への恐れ」を取り除くことが

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トレンドからの解脱

トレンドからの解脱

[1]トレンドと循環
 朝のニュースを眺めていると、まるでアキレスと亀のように今年はスケルトンが再流行するとか、デニムが流行るとか、多種多様なトレンドがニュースになっている。容姿もファッションも、音楽も漫才も芸能も、人間が可能なパターンには限度があるので、無難なものは大抵数年から数十年単位でぐるぐるとトレンドが循環している。
 その中で自分にピッタリのものが見つかれば、その循環は意味のあるものだと

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驚きが無くなったら石を積め

驚きが無くなったら石を積め

[1]刺激に疲れた
 それなりに生きてきて、すっかり「驚き」が少なくなってしまった。「これは良い」とか「素晴らしい」というものは確固として存在し続けるのだけど、「驚き」はめっきり減ってしまった。
 経験を積めば積むほど、即ち頑張って生きれば生きるほど、「知らないもの」が減ってしまって大体想像がつくようになってしまう。「初めて食べる味」「新鮮な音楽」「聞いたことのない言葉回し」「新しいタイプの漫才」

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