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愛は嘘から生じない

 なるべく「愛」から遠ざからないようにする大前提は、とにかく自分の口から出る言葉に偽りを混ぜないようにすることでしょう。
 その場合と偽りとは、虚偽、過剰な表現、最初から自分の心にないこと、その場にふさわしいとされている定型的な言動、マナーにのっとった物言いなどのことです。
 〜中略〜
 自分自身の言葉をそういうふうにあらためていくと、まずは自分を信頼できるようになります。自分自身を信頼している人間は本当に少ないものです。また、この自己信頼によって自分が本当は何がしたいのか、何をすべきなのかもこれまでになくはっきりとわかってくるようになります。それにつれて、自分のなすことについての善悪や適否の判断が容易にできるようになるものです。

白取春彦『「愛」するための哲学』107〜109頁

[1]誰かがなんとかしてくれる
 会社の話。正直に生きる、というより嘘をつくとか見栄を張るのが疲れたからありのままで生きると決めてから、会社での人間の見え方がまるで変わってしまった。
 会社での多くの事柄は建前や見栄を優先して動いている。先行きが変になりそうな瞬間は沢山あるのに、「誰かがなんとかしてくれる」という心持ちで大抵の人は過ごしているものだから、何も解決しないままいつまでも同じことを繰り返して不平や不満を垂れ流し続けている。
 この「誰かがなんとかしてくれる」という気持ちが厄介で、僕自身は仕事自体が好きでも嫌いでもないけれど、「不誠実」という他者の気持ちに自分の心を喰われてしまう場面が往々にしてあり、その積み重ねが人間嫌いを加速させていくだけだったりする。
 先日上司が「危機管理能力がある」と僕のことを評していたけれど、実のところは全然そんなことはなくて、誰かがなんとかしてくれるという他人任せの感情を見るのが嫌すぎて、先回りして色々やっているのがそう見せているだけだった。

[2]愛は嘘から生じない
 そんなことは誰だってわかっている。ここでいう愛というのは、異性、同性、親子、友人、親友、知らない人、動物、人間があらゆる何かしらの対象に湧き起こる愛と言い換えても良いかもしれない。
 さっき人間嫌いと宣っていた自分が人間愛のことをあれこれ言うのは滑稽かもしれないけれど、愛と嫌いは表裏一体で、実際は同じことを別の角度から語っているだけだったりする。
 見栄を張って、嘘をついて、虚勢を張って作った人間関係は、所詮ハリボテに集まってきた利害を中心に展開する関係だ。自分か相手が見栄を張れなくなった時、利害が一致しない時、その関係もあっけなく崩壊する。自分自身のことを振り返ってみても、嘘から生じた人間関係はその程度の浅薄なものだったと思う。
 見栄と嘘をついて作った関係は、広くて浅い。その時は浅いとは思っていなかったけれど、嘘をつかないように気をつけるようになってから、その浅さに気づいて悲しくなった。逆に嘘を抜きに作った関係は狭くて深い。
 愛の薄い会社で日々を過ごすもどかしさを感じながら、しばらくはこの愛の浅い平日からは抜け出せそうにないと思う僕だった。

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