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義務と権利と期待と我儘
[1]幻想を捨てよう
生きていると色んな人に出会う。我儘を権利と勘違いしている人がいる。お金を払ったんだからもっと良くしてくれたっていいじゃないかとか。期待を義務と履き違えてる人がいる。君はもっとやってくれなきゃいけないとか。
全ては自分の思った通りにならないエゴが生み出した幻想。自分の作りだした「こうあるべきだ」という幻想と、予測のつかない相手の行動との間でズレが生じた時に、義務や権利や期待や我儘といった言葉や態度で不満を表現したりする。
他人は自分ではないから、自分の価値観の尺度ではピタリと収まらない部分だらけだ。そんなことは分かっているはずなのに、自分の尺度でぎゅうぎゅうに押し込めようとする。自分だったらこうする、自分だったら嫌とは思わない、自分だったら諦めない。そんなものは、他人は知らない。そんな幻想はなるべく捨ててしまったほうがいい。
幻想を捨てて社会を見てみると、絶望は依然として絶望のままなのだけれど、前よりは少し輪郭がはっきりとした絶望に見えてくるはずで、より良く生きるための対処法も幾らかは考えやすくなってきたりする。しかし、絶望は絶望のままだ。
[2]人間であること
生きていると色んな人に出会う。先日初めて仙台でライブをした帰り道、嘘がない人はなんて素敵なんだろうと感じていた。バンドでも会社でも、見栄の張り合い、大きく見せ合い、悪気のない虚勢に塗れて、うっかりそういう世界が常のように思えてしまう。そうやって少しでも大きく強くみせて、実態よりも少しでも多く目先の利を得ようとする。自分も嘘のスパイラルから抜け出すことができてまだ、幼稚園児くらいだ。
仙台に呼んでくれたセックスマシーン!!。本当に嘘のない、人間であることを嬉しく感じるような、余りに真っ直ぐで恐ろしいライブをするものだからすっかり心が洗われてしまった。本当に良いライブだった。嘘がなかった。そんなイベントの一部になれたことが嬉しかった。
人間であることの大半は絶望と向き合うことで、最近はかけがえのないものを失い、それ以降は人生の暇つぶし感が極まっていたのだけど、たまにこうやって「人間って良いかもしれない、ほんの少しね」と思う瞬間があるとまだ救われるところがある。人間であることが辛いというよりも、人間の形をした人間のようなものに振り回されるのが辛いのだけれど。
仙台の夜を思い浮かべ、メンバーで笑い合ったり、もはや何を覚えているのか分からない他愛もない話だったり、ライブを見てくれた人を思い返しては、ほんの少しの希望を、なるべく幻想を捨てるようにして掬い上げては日々を生きている。