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36年間生きてきて、何者かになれたのだろうか。
Xの名前の@マークに続く、絶え間なく記し続けては変化してきた何か。
エロゲー好きな歯科衛生士、メイド喫茶で働いてます、婚活惨敗中、ブログで有益な情報を発信中、ゆるく投資して生きています、DINKSだけど幸せに生きていける…etc.
思い出せるのはこれくらい。
あぁ、痛い、痛い、痛すぎる…。この黒歴史を消したい!!
今まで本職以外の何かが欲しかった。プロフィールを読まなくても一瞬で私という人間がわかるような肩書き、自分の人生を彩ってくれるカテゴリが欲しかった。
そう、承認欲求の塊だったのだ。
*
初任給から毎月8千円をシャネル貯金に充てていた。あのバッグを持てたらコンプレックスが解消されて、自分に自信が持てて無敵な私になれる気がしたから。
そして、25歳の時に田舎の寂れた天満屋で晴れてシャネルのチェーンバックを手に入れた。シャネルの鞄が入った大きな紙袋を持ちながら、ガラガラの老朽化が進んだ天満屋を高揚感いっぱいになりながらスキップして歩いた。
だけど、庶民の私はGUの鞄で事が足りていて、シャネルの鞄は出番がなく棚に飾っては毎日眺めるだけだった。(今思えばもっと使えばよかった)
「もし、今何かが起きたら、この鞄をどうやって持って行こう?」そんなバカなことを考えていた。
私が当時50万だった鞄を日常的に使うのは分不相応だったのだ。
この鞄を手に入れたら魔法のように、自分に自信が持てると思っていたし、代わり映えのない日常がきっと素敵な毎日になると信じていたのに、実際は自分に自信を持つ所か、占いにハマるくらいに他力本願に生きていていた。
虚しさを抱えながら空いてる道路を運転して、渋滞にはまってるバイパスでは何処か遠くに行きたいと常に願っていた。
どこか遠いところへ。
明日の仕事に間に合うまでに。いや、夕食の準備に間に合うまでに、
彼が心配しない時間までにだったら、
車で何処まで遠い所に行けるだろう?
結局の所、欲しい物を手にいれても虚無感を抱いていたし、鏡越しに映る
垢抜けてなくて野暮ったい私がシャネルのバッグを持っているのは何処か滑稽だった。
*
現在、結局何者にもなれていない。
というより肩書を探さなくなった。もし肩書きがあるなら、月日が経過して自然に結果として出会えるんだと思う。
今の私は自然体に生きている。自分自身をカテゴライズしないくていいし、他人も振り分けなくていい。
今続いてることは、好きは大げさだけど、苦痛じゃないもの。
歯科衛生士の仕事も、料理や掃除機をかけるのも、最近noteを書くのも嫌いじゃないから続いている。インデックス投資だって最初に積立て設定しただけだから、いつのまにか続いている。ただそれだけ。
そして、10回くらいしか使ってないシャネルのバッグはメルカリで5年前に20万円で売った。
今だと4倍で売れたのになぁ…
あぁ私って本当にバカだよ。でも人生ってきっとそんなもんさ。そして今は楽天で買ったよくわからないノーブランドのバッグがお気に入りで、鏡で見てもこの自分だとしっくりくる。
*
今までSNSで何者かになって素敵な自分を表現したかった。だけど今は反対に自然体な自分の人間味を文章で表現したい。
読み手の人が、 「あ、この文章を書いた向こう側の人は、きっと何かに悩やんだり、苦しんだりしながら、ほんの少しの希望を待って生きてるんだ」と、人の体温と生活感を感じれるような文章。
でもだからといって、決して生々しい表現はしたくはなくて、生々しくて陰湿な人のサガはオブラートにユーモアで包みたいんだ。
私は才能もなければ、頭も足りないから、塩谷舞さんの聡明な女性のように、教養と知性と経験から培った言葉の引き出しから、あらゆる感情を無限に言語化する独創的な文章は書けない。でもだからと言って、女性特有の繊細な部分を表現したセンスの良さを感じられる文章も書けない。
だからこそ私は、今までの人生で勝ち取った戦利品を身につけて取り繕った自分を、せーのって全て脱ぎ捨てて、見栄はゴミ箱に捨てて、そのまま銭湯にでも入ってさ、
真っ裸で、お気に入りの時計や鞄がなくても、胸と尻がなくても、髪に白髪が混じっていても、ピンと背筋を伸ばして堂々と歩く女性。
そこには肩書きもアイテムもないのに、ほんの少しの気品を感じられる、そんな女性を目指したい。
そして銭湯から上がったらさ、毛玉だらけのくたびれたスウェットと、すぐにホコリが付くモコモコの靴下を履くんだ。
その毛玉の多さから漂うその人の哀愁と人間味。これまでの生活を必死に積み重ねてきた証しでもある、無数の毛玉という勲章を身に付けながら帰路につく。
いつだって私は、泥臭くて、 ダサくて、痛くて、垢抜けなくて、野暮ったくて、もがいていて、ここまできたら他者の評価なんて気にしなくていいよねって、そんな等身大の自由な自分と、何者でもない自分を表現する為に文章を綴りたい。
あの頃手に入れたかった、何者だったり肩書だったりを振り返りながらそんな事を考えた。