
ギャルゲーはわたしを救ってくれた。
─人は1人では生きていけない。だから人は呼びかける。電話で、言葉で、手紙で、態度で。
わたしのベスト・オブ・ギャルゲ「CROSS†CHANNEL」の名セリフだ。
このゲームを初めてPS2でプレイしたのは中学2年生。あの時のわたしは完全に中二病だったと思う。
このゲームを少し説明すると、元はPCの18禁ゲームだったのを全年齢版としてPS2で発売された。(Switchにも移植されてる)
ストーリーは学園のループもので、舞台となる学園には人と上手く馴染めなかったり、自己愛が強すぎたり、多数派とは言えない人達が通うという設定が他のギャルゲとは一線を画している。
この生きにくさを抱えている登場人物に、
当時のわたしは自分を投影させていたのだ。

ギャルゲ=主人公が男性で女性が登場するゲーム
当時のわたしは、両親の転勤により仙台から瀬戸内海に引っ越してきたばかりだった。
仙台は程よい都会が居心地が良くて、東北の人の県民性も好きだった。人の出入りも多いから、地元の子も転校生に慣れていててウェルカムな空気が嬉しかったのを覚えている。(元は北海道から転校してきた)
瀬戸内は穏やかな気候で、海に小さな島が連なっている景色に癒されたし、初めて讃岐うどんを食べた時にはこしの強さに感動した。
ただ通っていた中学は田舎で転校生が滅多にこない学校だった。
他クラスや、1つ上の学年の男子が教室の窓に群がっていて、皆と違う制服のわたしを品定めされているように感じるのと同時に、
「上の下」「いや、中の下」「下の上じゃね?」そんな会話が聞こえてくる。
わたしも負けじと、「ウルセェよ、 DT」と心の中で呟いていた。
ただ、そんな転校生フィーチャーも良くて2週間くらい。新しい制服が届いた頃にはクラスのみんなに同化したし、特別モテたりもせず。
転校が決まるたびに、これまでの黒歴史をリセットしては「次の学校では人気者になれるかも!?」とワクワクしたけれども、誰もが憧れる特別なあの子は、わたし以外に必ずいた。
苦労したこと。それは瀬戸内海は方言が独特だったこと。
「ぼっけぇ(とても)」「じゃけぇよぉ(だけど)」とクラスから男女関係なく、先生の話し声からも聞こえてくる。
とある日に、「なんしょん?」とクラスの子からメールがきた時には絶句した。
なんしょん、しょん・・・しょ、小便?
いま、しょんべんしてる?
下ネタですか、あら、あんた!!とあんぐり口が開く。
後日、同じクラスの友人に「それは何してるの?という意味じゃけん」と教わった。
その友人は転校してきて一番最初に話しかけてくれた子で、
「はるちゃんて、大人びとるなぁ」とよく言われたのを覚えている。
ただ、わたしも心の中で「わたしは群れたくない」と斜め上から構えていた所があったのも事実で、そんな心の声を同級生たちに見透かされて「大人びてる」と言われたのかもしれない。
この教室をどうやって脱出できるかでぐるぐる思考を巡らせていたのは、方言を理解することから逃げていた。
そんな当時のわたしの心の拠り所が「CROSS†CHANNEL」だった。
学校から帰宅後にこのゲームを夢中になってプレイし続けた。心打たれたセリフがある場面をセーブして、ロードしては何度も脳内り刷り込ませたのだ。
それから、「人は人がいないと生きていけない」このセリフを聞いた時、わたしは涙を流していた。
自分でもびっくりした。どうしてわたし泣いてるの?と。
それまでの孤独が込み上げてきたのだろうか、母からの「ケーキ作ったけどいらんのー!?」との問いかけにもスルーして、静かに涙を流しながらコントローラーのクリックを押し続けていた。母に心配をかけたくなくて、涙を吹くことも、鼻をすすることも出来なかった。
その時に初めて気づいた。わたし、人を求めていることに。
クラスの中心にいる人たちを「騒いでばかみたい」と心の中で呟いていたけど、仲間に入りたかった。
なんだ、本当は寂しいんだよ、強がってるだけじゃん。上部じゃなく本当の友達が欲しいんだよ。
だったら、傍観者で斜め上から悟るだけのわたしは卒業しよう。
「話し方綺麗やね」そんな風にクラスの子に言われるのが、みんなと違うみたいでコンプレックスになっていたからこそ、瀬戸内海の方言を少しずつ理解しよう。
方言を何言ってるかわからないじゃなくて、聞く姿勢から。
わたしはあなたと話したいという、アイコンタクトから。
このように心を入れ替えたわたしは、転校して半年が経った頃には、クラスのみんなと一緒に方言をバリバリ話していたのだった。
◇
「ハルちゃん。昨日の部活、練習試合どうやった?」
「もー、えらかったわぁ」(しんどかった)
こんな会話をするくらいに、瀬戸内海っ子になっていた。
当時通訳してくれた友人は、数少ない今も連絡を取り合う仲だ。
このように「CROSS†CHANNEL」は
人と寄り添うことを大切にしようと教えてくれた。
このゲームがあの時のわたしを救ってくれたから、今のわたしがいるのだ。
たかがゲーム、されどゲーム。だけど、この作品と出会えたことに感謝している。