地獄を生き抜く挑戦者

昔から、生と死について考える癖がある人。 なかなか万人ウケしない内容だと思うが、共感し…

地獄を生き抜く挑戦者

昔から、生と死について考える癖がある人。 なかなか万人ウケしない内容だと思うが、共感してくれる人がいたら嬉しい。

最近の記事

私が幸せを感じる3つのこと

これまで散々死にたいという内容を投稿してきたが、そんな私でも幸せに感じられる瞬間が3つある。 「思う存分眠ること」 「美味しいご飯を食べること」 「マッサージを受けること」 この3つだ。 この3つのためだけに生きているといっても過言ではない。 すごく眠い時に、そのまますぐに寝れること、これはとてつもない喜びだ。 お腹が空いた時ご飯を食べれることも同様だ。 前回の記事で、私がどれだけ本能に逆らうことを苦痛としているか、読者のみなさんには分かってもらえただろうか。

    • 本能に逆らうのがあまりにも苦しい

      私は、「寝たいときに、無理やり起きないといけない時」 「お腹がすいているのに、ご飯がすぐに食べられない時」 「寒いのに、体を温めることができない環境にいる時」 この3つの時間が死ぬほど苦痛である。 もはや何かの障害ではないかと思うほど、耐えられない。 特に「寝たいのに無理やり起きないといけない時」の絶望感はすごい。 起床時は「(私も含め)この世のすべてが爆発して塵になって良いから、寝させて欲しい」と願うほどだ。 無理やり起きるときは、この世のすべてを呪っているようにも

      • 亡くなった人と体が入れ替われるなら

        半年前、祖母が亡くなった。 もう10年以上も寝たきりだった祖母だ。 私も覚悟はできていた。 全く悲しくなかったかと言えば嘘になるが、「やっとお迎えがきて良かったね」「これでやっと楽になれるね」と素直に思えた。 葬式ならではの独特な雰囲気。 その雰囲気に完全に飲み込まれた。 葬式に参加した後の1ヶ月、私はかなり死の世界に引っ張られた。 葬式や火葬場に行ったことで、「私も早くそちらの世界に行きたい」という願いがさらに強くなってしまった。 祖母にまた会いたいという気持ちから

        • 早く死ぬほど崇高な世界に行ける説

          昔から私は死にたい民だった。 今もうっすら死にたい。 お金があったら死にたいと思わなくなるのかと思って、何年も前に投資をして失敗。最終的に2500万の借金を背負った。さらに死にたくなった(笑) でも、いつか死ねる日を楽しみに、今日を生きる。 時々、自分がまだ生きているのか疑問に思うことがある。 私はもうとっくに自殺していて、まだ生きているという夢を見ているだけではないのか、と。 私はまだ生きているのだろうか。 鬼滅の刃の無限列車編で、炭治郎が夢から覚めるために自分の

        私が幸せを感じる3つのこと

          殺されると歓喜している夢を見た

          旅行に行って、ホテルの客室に殺人鬼が潜んでいるという、嬉しい夢を見た。 私は「やっと死ねるんだ」ととても喜び、「首のここ、切って下さい。一発ですよ。どうぞ」とワクワクしながら殺人鬼に声をかけたが、それがいけなかったのか、殺人鬼が私を殺すまでだいぶモタモタしていた。 だから、夢の中の私はキレた。 「何をためらってんですか。殺して良いって、言っているじゃないですか。殺せないなら期待なんてさせないで下さい。殺す覚悟で、ナイフもってんじゃないんですか???!!!」 殺人鬼を怒

          殺されると歓喜している夢を見た

          生まれ変わったら人間になりたいか

          私は2度となりたくない!! 「徳を積んだら、また人間に生まれ変わることができる」って説あるけど、え?人間に生まれ変わることがご褒美なの?おかしくないか? 相当のんきで、めでたい思考の人間が言い始めた説だろ、これ・・・・。 また人間に生まれ変わるくらいなら徳なんて積みたくないんだが・・・・。 めでたい人間が憎たらしいほど羨ましい。 私もそちら側の人間に確実になれるのなら、生まれ変わっても良いのかもしれない。 私は今まで「みんな、それぞれの地獄を抱えて生きている」と思

          生まれ変わったら人間になりたいか

          家事も仕事もせず、ひたすら眠れる権利がほしい

          残りの寿命全部あげていいから、上記タイトルの権利がほしい。 つまり、死んでも良いから、ひたすら寝させてほしい。 私は眠ることが何よりも好きだ。 最近の私の平均睡眠時間は10時間ほど。 仕事が休みの日は16時間以上は寝ている。 夏よりも冬の方が鬱の症状が強く出るので、睡眠時間も長くなる。 冬はとにかく生き延びることに精一杯。 夏の方がまだ少しは活動できる余裕がある。 意識がある時間がとにかく辛い。 苦しい現実から逃げるように寝ている。 でも、寝ているだけでは現実は何

          家事も仕事もせず、ひたすら眠れる権利がほしい

          生きることは苦行

          「したくないことをしないといけない」 生きていると、そんな体験の方が多い。 結婚したくない 子供を産みたくない そもそも男性と付き合いたくない 家事したくない 働きたくない 上記は私の願いではあったが、世間体やお金のために結婚した。 悪魔みたいな女かもしれないけど、夫の前ではできるだけ可愛い妻を演じている(鬱症状で困らせることは多々あるが) 「生きている限り、したくないことをしないといけないから」 どう頑張っても今の世の中では、私にとって理想の生き方ができないと思

          なぜ生きることに疑問を覚えないのか?

          これ、いつも私が考えていること。 ほとんどの人は「生きていること」に疑問を抱かない。 「死ぬ」という選択肢もあるのに、その選択肢があることを意識していない。 そもそも死にたいと思っていない。 かといって、生きたいと思ってもいない・・・。 つまり、自分の生死に対して考えたり、疑問に思うことがないようだ。 毎日奴隷のように働いて、したくない家事も仕方なくして・・・・ でも、それが当たり前になっていて疑問になっていない人達。 私は自分がしたくない事はしたくない!! そ

          なぜ生きることに疑問を覚えないのか?

          私が理想とする世界(好き勝手に妄想)

          ・女と男が存在しない(人というひとつの括りであること) よって、水商売、風俗、AV、性犯罪、浮気、不倫等の汚いものがない。 ・男女という括りがなくなり性行為がないので、人工授精→人工子宮によって子供はつくられる(無性生殖でも良い) →妊娠、出産で女性だけの一方的な体の負担はなくなる ・暴力、詐欺、殺人など人を傷つけるものが存在しない もちろん、戦争、核兵器などもない。裏切り、嘘、愚痴、喧嘩、モラハラ、パワハラ、セクハラ、炎上などもない。 怒る人がいないので、みんな穏やか、

          私が理想とする世界(好き勝手に妄想)

          寿命をあと1年だけ残して、残りの寿命を売れるのであれば、いくらで売るか

          今の体の状態を維持したまま(健康な人なら健康なまま)残り1年だけ寿命を残してあとの寿命を売れるとしたらいくらで売るか? この問いの答えは今のあなたの「生きること(もしくは死ぬこと)に対する価値」が反映するだろう。 私は現在30歳。 残り60年ほど生きるとするのであれば、59年分は売れることになる。 タイトルの質問を夫にしてみたところ、 夫の答えは「いくら積まれても残りの寿命は売れない」というものだった。 生きることに価値を感じていて、死ぬことに価値を感じていない人の

          寿命をあと1年だけ残して、残りの寿命を売れるのであれば、いくらで売るか

          2024年~社会に望むこと~

          統一教会の献金問題、ジャニーさんや松本人志の性加害、自民党の裏金問題など、最近は「過去の悪事を暴く」という傾向が強くなっている。 2024年はこの流れが本格化すると良いなと思っている。 宗教や芸能界、政治界など、甘い蜜だけ吸って、人を騙して傷つけてきた業界がまだまだたくさんあると思う。 もっともっとこの世の悪を暴き、より綺麗で純粋な世界になることを私は望んでいる。 今までの世界は「いじめっ子世に憚る(はばかる)」という諺(ことわざ)もあったように、「悪こそ正義」の部分

          2024年~社会に望むこと~

          赤ちゃんはあちら側の世界に近い人間

          これは私的な考え方だが、 赤ちゃんが自然と周囲の人の視線を集め、人を癒やす効果があるのは、「あちら側の世界に近い存在だから」だと思っている。 「3歳までの子供は神様から借りている存在(だから、小さな子供は大切に扱うように!!)」とする宗教もあるように(キリスト教だったか・・・?)、赤ちゃんは汚い俗世の人間ではない。 赤ちゃんはこの世の汚さも苦しさもまだ知らない。 だから、この世の苦しみを知り、汚く染まってしまった大人達は憧れの気持ちから、無意識に赤ちゃんを見て癒やされ

          赤ちゃんはあちら側の世界に近い人間

          死にたいと言えない環境について

          「死にたい」という言葉を聞いたら、どんな人も困ると思う。 だから、実生活の中ではなかなか「死にたい」とは言えない。 もし「死にたい」と言える人に出会ったとしても、「死んだら楽しいことも経験できなくなるよ」というようなお説教に近い言葉が返ってくることがほとんどだ。 「もう楽しさなんていらないから、これ以上苦しみたくない」と思うことは悪いことなのだろうか。 私の願いは、苦しみのない世界。この苦しみがないのであれば、楽しさや喜びなんて求めない。そもそも必要ないのだ。 これは

          死にたいと言えない環境について

          死ねる場面が訪れたら本当に死ねるか

          ※不謹慎だと思われるような記事になっています。表立って言えないことを表現する場としてnoteを利用していますが、不快になられる方がいたら申し訳ありません。 JALの航空機炎上のニュースが流れたとき、ふと思った。 「私は死ぬという目的を果たすために、機内に残り続けることができるか」ということを。 「私、ずっと死にたかったんです。今日は、この願いを叶えられる奇跡的な機会なんです。私だけ、ここに残して皆さんは逃げてください。お願いですから、どうか死なせてください。」 果たし

          死ねる場面が訪れたら本当に死ねるか

          2023年もなんとか生き延び、2024年へ

          明けましておめでとうございます。 年末は鬱持ちにはかなり辛い時期だった。 「もう年越さずに死んでしまうか?」とかなり迷い、12/30.12/31はギリギリの精神状態だった。 泣いたり、塞ぎ込んだり、24時間寝込んだりして、今回もなんとか年を越すことができた。 年末は自殺者が多くなる傾向がある、というのはかなり分かる。 年末という雰囲気に押され、「今年中に、かたをつけないと(死なないと)」という気持ちになってしまうのだ。 私以外にも、精神状態ギリギリだった人は多いこ

          2023年もなんとか生き延び、2024年へ