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#歴史
「国籍が修正されました」*ボヘミアの輪舞*最終回〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅨ〜LOLOのチェコ編⑰
~1952年7月23日のエジプト革命から72年後の日の投稿にて~
今年2024年は、ユダヤ系チェコ人カフカの死後百年目を迎える年です。エジプトのチェコ大使館では、外壁にカフカの絵いくつもが飾られました。(2024年3月6日から5月3日)
北京のチェコ大使館では、カフカ死後百年を記念するイベントにイスラエル大使館とオーストリア大使館も協力しました。
チェコ大使館単独でやるよりも、予算や
チェコ(ボヘミア)の赤いトルコ帽子〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅧ〜LOLOのチェコ編⑯
ウィーンの街を初めて歩いていた時、貴族のようなクラシカルな帽子がショーウィンドウに陳列された帽子屋が多いことに、目が留まりました。
ボヘミアの赤いトルコ帽 帽子といえばですが、オスマン帝国トルコとその領土ではおなじみの赤いトルコ帽子の生産地は、AH(オーストリア=ハンガリー帝国)のボヘミア地方でした。
この帽子が生まれたのには、こんないきさつがありました。
1826 年、スルタンのマフ
もうひとつのアレクサンドリア・国際都市ポートサイード〜(広島原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーⅶ〜LOLOのチェコ編⑮
ヘッダー画像は1938年の映画「スエズ」より。宝塚っぽいですが、宝塚ではありません。
時は1860年代。紙芝居のようなテロップが画面に流れます。
「オスマン帝国のプロヴァンス(州)・エジプト」
往年の大スター、タイロン・パワーがフランス人外交官のフェルディナン・ド・レセップス役です。ばりばりの米語を話し、ものの見事にフランス語は口にしないフランス人外交官です。
ナポレオン三世もウジェ
見よ!これぞ万博パビリオン。オーストリア人とハンガリー人建築家が生んだ「伝説のカイロストリート」(シカゴ万博(1892))〜(原爆ドーム)チェコ人建築家ヤン・レッツェルシリーズⅴ〜LOLOのチェコ編⑬
〜最初に
今回の記事後半の「1893年シカゴ万博」における、オーストリア・ハンガリー帝国の建築家の二名、マックス(ミクサ)・ヘルツとエドゥアルト・マタセクの手掛けた「エジプト・カイロストリート」にかなり力を入れて書きました。
よってどうか後半のその部分だけでも、読んで欲しいなあと思います。
エジプト君主もスポンサーも現場には一切口を挟まず、二人の建築家を信じすべて任せました。これこそ、
サラヤ・アブディーン(アブディーン宮殿)ー全ては黒海地方出身美人姉妹から始まる
いつも世界中の素晴らしい音楽や書物、プロ並みの手料理などNOTEでご紹介されている島村徹郎氏が「エジプトの輪舞(ロンド)」を記事に取り上げてくださいました。優しいお方です。そんな慈悲深い島村氏にはオスマン帝国からはベイの称号と、エジプト王国からはパシャ、イギリスからも特別にナイトの称号を差し上げましょう。
さて、トップ画像はMBCエジプトが2014年に製作した「サラヤ・アブディーン(アブディ
エジプトのホテル王だったスイス人実業家
エジプト観光に行くと、数千年前の神殿と墓の説明ばかりですが、実は近代の建物も非常に興味深く、特にチャールズ・ベーラーの名前をぜひ知っておくといいと思います。
スイス実業家チャールズ・ベーラー(1868 - 1937、 Charles Baehler )はエジプトのホテルと不動産チェーンの創設者兼所有者、国の中心部にある最も有名な回廊、建物、ホテルの所有者でした。この人物のおかげでエジプトで
「ネフェルティティの胸像を返して!」 エジプト国王のベルリンとイギリス訪問(1927)
「エジプトの輪舞(ロンド)」で少しだけ触れたのですが、1927年に(ドイツが不当に持ち去った)「ネフェルティティの胸像」の返還を求めて、当時のエジプト国王(ファルークの父親)がベルリンに乗り出しました。
ここまで盛大におもてなしをしておいて返さなかったという、その時のベルリンの写真です。
ネフェルティティの胸像とはツタンカーメンの黄金のマスクとギザのピラミッドと並ぶ古代エジプト三大代表作