夕闇
日記より28-14「キャンプ今昔」3 H夕闇 アジアで初めて開催された東京オリンピックを機として、戦後日本に高度経済成長期が訪れ、東北出身の中卒者は「金の卵」と云(い)われて、引(ひ)っ張(ぱ)り凧(だこ)になった集団就職。その「戦争を知らない子供たち」(北山修・作詞)とも呼ばれた「団塊の世代」(堺屋太一・著)が、後期高齢者となる2025年問題。かれらが今や老人ホームへ。認知症となっても、青春の思い出は蘇(よみがえ)るのだろうか。 その古里に過疎と耕
日記より28-13「キャンプ今昔」2 H夕闇 内(うち)のテントの裏に大きな東屋(あずまや)が有って、夜には明かりが点(つ)いた。苔(こけ)の生(む)した切(き)り妻(づま)屋根の下に、長い木造りの飯台(はんだい)。その両側に据(す)え付(つ)けられたベンチには、二十人や三十人は座れそうだ。昔ここに大勢の若者が集(つど)って、話し合ったり歌ったり、飲んだり喰(く)ったり、したのだろう。隣接した炊事場に(水道や流しの他)煉瓦(れんが)で竃
日記より28-12「キャンプ今昔」1 H夕闇 十一月五日(火曜日)曇り この度(たび)の三連休は今月二日(土曜日)から始まったが、初日は終日の雨。 むすこは仕事が残り、三日間の内の一日は出勤しなければ成(な)らない、と先日(ノー残業デイの帰りに立ち寄
日記より28-11「会津バス・ツアー」 H夕闇 十月二十二日(火曜日)晴れ後に曇り きのうの急激な寒さは、どうだ。北海道での学生時代さながら、ふとんへ潜(もぐ)り込(こ)んで本を開いた。けさも、土手のベンチで息が白かった。それで諦(あきら)め、いよいよ納戸(なんど)から石油ストーブを出して掃除(そうじ)、ファン・ヒーターにも給油した。 やれやれ冬支度(ふゆじたく)が整った、と思いきや、日が差すに従って温(ぬく)まり、窓を開けて快
日記より28-10「病み上がりの行楽」(続き) H夕闇 十月二日(水曜日)晴れ+真夏日 急ぎ朝食。こういう場合い、僕は青天井(あおてんじょう)の下で頬張(ほおば)る握り飯を美味とする。これに朝ご飯の残りで応じるのが、家内の常である。だが、今回は例外だった。地元の主婦らが作るらしい(いなか風の)お握りが行く先の「s町観光物産交流館」で売っていることを、僕らは知っていた。 八時前には最寄(もよ)り駅から乗車。当日の朝ふいに思い立ち、直(
日記より28-9「病み上がりの行楽」 H夕闇 十月二日(水曜日)晴れ+真夏日 裏の土手のベンチで熱いコーヒーを啜(すす)っていると、S川の対岸を妻が朝焼けに向かって歩いて行った。背筋がピンと伸びて、シッカリした足取りだ。疲れは全く見られない。 だが、これは、N公園へ早朝の散歩に行く普段のコースとは違う。いつもなら、Y橋を渡った袂(たもと)を左へ折れてS川沿いに上流へ向かうか、でなければ、旧道を真っ直ぐ進む筈(はず)である。
日記より28-8「黄色の花火」(続き) H夕闇 実は、この花火大会が実施できたのは、かなり奇跡的だった。数日前まで、太平洋から台風七号が(まるで狙(ねら)い澄(す)ますように)真っ直ぐ迫り、この日この町を直撃する予報だったのである。それが直前に急角度で転進し、県境の向こうへ上陸。結局ここの花火には全く支障が無かった。余波の風が少し残って、前発の花火の煙りを吹き散らしてくれるので、後発がヒュルヒュルヒュルーと駆け上って頂点に達する頃合いには、夜空がカラッと
日記より28-7「黄色の花火」 H夕闇 八月二十二日(木曜日)曇り 土手の下に作ったコスモス畑、西の一画が今年は初め不作だった。他の二区画で春先に芽がドンドン二葉を擡(もた)げたのに、ここではチッとも発芽せず、かたばみ等に気圧(けお)されていた。今も猫じゃらしが多く混る。それで(基本的に僕は成り行きに任せ、自然の侭(まま)を眺(なが)めたい方針なのだが、)黄花コスモスの種などを改めて植えてみたのは、初夏の頃である。 それ
日記より28-6「朝型への誘い」3 H夕闇 七月七日(日曜日)曇り時々晴れ ルソーの全著作を調べたら(文字通り)「自然へ帰れ」との文言は無かったそうだが、多くの思想家が同様の理念を模索して来たように思う。宮沢賢治も多分「お天道(てんと)さん」より早く畑へ出て、土を耕(たがや)し、草取りし乍(なが)ら、人間や文明や芸術に就(つ)いて、自然と問答したのではないか。 人は自分に都合(つごう)の良い植物を依怙(えこ)贔屓(ひいき
日記より28-5「朝型への誘い」2 H夕闇 七月七日(日曜日)曇り時々晴れ * 実は僕も嘗(かつ)て「夜(よ)ピカリ」だった。子供らが寝付いて、家内の喧騒が治まると、やっと落ち着いて書斎へ籠(こも)ったものだ。 書斎などと大仰(おおぎょう)に云(い)ったが、要するに、押し入れである。当初、我が家は二間きりの小さなアパート暮らしだった。家財道具など碌(ろく)に無く、押し入れの上段を一つ空けることなど、造作(ぞうさ)も無か
日記より28-4「朝型への誘い」1 H夕闇 七月七日(日曜日)曇り時々晴れ、最高気温34,8℃ むすこのMが孫のmを連れて、キャンプ帰りに訪れた。結局ふろで汗を流すに留まらず、昼と夕の二食。きのうは音沙汰(おとさた)が無く、けさ遅くなってからの連絡にも関わらず、鰻(うな)丼(どん)や豚(ぶた)汁(じる)の御接待。気紛れな飛び込みにも備えて、週末ごとに用意だけはしておくのが、バーバの心意気である。 エネルギーの有り余る孫娘は、疲れも見せ
日記より28-3「齢と孫子」 (続き) H夕闇 四月十四日(日曜日)晴れ 人にも依(よ)るのだろうし、深い浅いの差(感受性の度合い)も有るかも知(し)れないが、巧(たく)まずして訪れる転機が有り難い。齢(よわい)を重ねることは(「加齢」の語感に反して
日記より28-2「齢と孫子」 H夕闇 四月十四日(日曜日)晴れ この春は、桜(さくら)の並み木道を一人で散歩した他、夫婦でも随分(ずいぶん)あちこち花を愛(め)でて回った。但し花は桜とは限らない。 先ず今月五日に末の娘の案内で横浜の山下公園へ出掛(でか)けた。港のハイ・カラな洋風庭園で、「赤い靴(くつ)履(は)いてた女の子」の像が異国情緒を醸(かも)し出した。今週十日には、長女に誘われて、孫を子供園へ迎えに行った足
日記より28-1「学友」 H夕闇 令和六年四月九日(火曜日)雨 首都圏は緑が少ない、との先入観に反して、車窓から眺(なが)める沿線は桜の花が多く目に付いた。ちょうど新幹線から花見した今月四日(木曜日)東京は桜が満開になったと聞く。花に祝福されるかの如(ごと)く、畏友と再会する旅だった。 数年前の初対面では、我が家で文学や学問に就(つ)いて親しく議論し、大変に愉快だった。やはり庭に福寿草が咲く季節で、やや凩(こがらし
日記より27-21「財布」3 H夕闇 ** 三月二十四日(日曜日)晴れ 一族でA温泉へ梅見に出掛(でか)けた。 長女の桜好きと一対で、婿(むこ)殿は梅が好きらしい。前から誘われていたのだが、天気が悪くて、二度も延期。三度目の本日、偶々(たまたま)むすこ父子が我が家に一泊していて、車二台で三世帯七人の一行と相(あい)なった。幼稚園を卒業したばかりの孫と、いとこで離乳食中の乳児、この二人は入場無料だったが、T自然公園の入場料
日記より27-20「財布」2 H夕闇 三月二十一日(木曜日)曇り(続き) 金銭に代え難い貴重品を危(あやう)く失い掛(か)けたこと、その上その事実を忘れてさえいたことを、僕は改めて思い知らされた。大切な思い出も、時の重みに流れ去る。そうして過去は失われ行く。軈(やが)て僕の人生その物も同様になるだろう。そうした冷たい認識が、暫(しば)し僕を自失させた。 又、依然「そんな筈な