キャンプ今昔3

     日記より28-14「キャンプ今昔」3       H夕闇
 アジアで初めて開催された東京オリンピックを機として、戦後日本に高度経済成長期が訪れ、東北出身の中卒者は就職の際「金の卵」と云(い)われて、引(ひ)っ張(ぱ)り凧(だこ)になった。同じ「戦争を知らない子供たち」(北山修・作詞)とも呼ばれた「団塊の世代」(堺屋太一・著)が、後期高齢者となる2025年問題。かれらが今や老人ホームへ。認知症となっても、青春の思い出は蘇(よみがえ)るのだろうか。
 その古里に過疎と耕作放棄地が拡がって廃(すた)れる一方、都会は過密。公害は、今日の地球温暖化の魁(さきがけ)だった。産業革命以来で最も大量の二酸化炭素を排出する現代、モータリゼーションに走った世代は、決して被害者ではない。元日の震災で喘(あえ)ぐ能登半島へ九月の豪雨で追い打ちを掛(か)けた気候変動、それを齎(もたら)したのは機械文明の利便性を享受した僕らである。孫子の代へ禍根(かこん)を残した罪を肝(きも)に銘(めい)じよう。
 学生運動も僕らの世相だった。右と左の闘争のみならず、左翼が分裂して内ゲバ。過激派がJAL国内線「よど号」をハイ・ジャックして、労働者・農民の国と見込んだ隣国へ脱出。日本人の拉致(らち)に関わったとも聞くが、今どうしているのか。山中で軍事訓練中に仲間割れ、政治思想と戦略で一致団結した筈(はず)の同志が殺し合って「浅間山荘」に立(た)て籠(こも)もったセクトも有った。イデオロギーに依(よ)って罪の無い人民まで無差別に巻き込むテロリズム、もうウンザリして人々の支持は全く離れた。勢い右傾化や目先の損得(そんとく)で煽動(せんどう)するポピュリズムが目立つ。
 T元大統領がアメリカ大統領選で分断を煽(あお)ったとされるが、それより早く連帯の陰に分断は忍び寄って、世界を混迷に陥(おとしい)れつつ有る。「連続企業爆破事件」の一員が、半世紀も逃亡潜伏を続けた後に(今年の正月)死の床から名乗り出たのは、僕らの世代を特に驚かせた。同時代人だったからである。

 火(ひ)熾(お)こしが若い頃と大きく様変わりして、戸惑う姿を孫娘に頼り無く思われてしまった。頗(すこぶ)る残念である。だが、その分パパがハイ・カラに(否(いな)、今風に云(い)えば、スマートに)見えたのなら、それも良しとしよう。まあ、良いか!
 伜(せがれ)が薪(まき)を手に入れて、一夜の宿へ帰宅。僕は一安心した。見上げれば、木々の間に満天の星。広く深い暗闇(くらやみ)に、無数の星々がハッキリ見えた。ここでは(その方面の知識に乏(とぼ)しい僕の視界でも)星座の形にクッキリ浮かび上がった。
 先ず目に飛び込んで来たのが、北斗七星。ひしゃくの飲み口の高さを上へ五倍に延ばすと、そこに北極星。(この程度は、小学校で習った。)その反対側の等距離に、明るい星が三つ並ぶ。何と云う星座か、もう学校で習ったか、と孫に尋ねたかったのだが、やっと戻って来た父親にベッタリくっ付いて、もし呼んでも、夜空が見える広場まで来そうになかった。(翌日キャンプ場から帰って調べたら、オリオン座の三つ星と云うそうだ。僕は入ったことが無いから、高級レストランのことかと思った。)
 それらの星座名は古代ギリシャ・ローマの時代から変わり無いのだろうが、星座その物の形は崩れないのか、もう何千年も経ったのに。星の姿を道標(みちしるべ)として地中海を渡った、と言う船乗りたちが、世紀を越えて神話を語り伝えたのか。碌(ろく)な世界地図や羅針盤(らしんばん)も無く地動説の下で大航海した人々が(今この僕と同様に)見詰(みつ)めただろう天空。僕は改めて不思議の感に打たれた。
 僕の両親が生前に同級生夫婦と富士登山した時、(それは勿論(もちろん)オーバー・ツーリズムなんか皆無だった時期だが、)亡き母が「こんなに星が大きかった。」と両の掌(てのひら)で示したことも、僕は思い出した。
 父親が戻って子守りの責任から解放された僕は、ホッとして焚き火の傍(かたわ)らでウイスキー。(むすこは寒いのに缶(カン)ビール。)僕は本当は「冷えた晩には、やけどしそうな熱燗(あつかん)」と行(い)きたい所(ところ)だったが、文明の利器から遠ざかった野外炊飯では、そう贅沢(ぜいたく)も言えない。少し不便なのが、却(かえ)って野趣(やしゅ)である。
 震災の避難所でも、僕は人間の社会や暮らしの有り方に就(つ)いて、ツクヅク考えさせられたっけ。永い歴史を顧(かえり)みて、僕らは恵まれ過ぎては居(い)ないかと。共時的に地球上の他地域の人々と比べても、同様に言えないかと。尤(もっと)も、世界二位を声高に誇った経済大国も、今では三位四位とジリ貧。較差の連鎖も懸念され、子供食堂が必要とされる。万一そこへ孫たちが通う場合いを想像すると、僕は切ない。
 原始以来の炎で炙(あぶ)ったベーコンの味は、格別だ。金串(かなぐし)に突き刺(さ)したウインナー・ソーセージの皮がパリッと割れ、黒く焦(こ)げて、脂身(あぶらみ)からプクプク泡(あわ)が滾(たぎ)る。そいつを串の侭(まま)ガブッと横様(よこざま)に頬張(ほおば)るのが、キャンブの醍醐味(だいごみ)である。白い息が焚き火でオレンジ色に染まるのも、また良い。
孫娘はマシュマロを焼いて食べた。
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 翌四日(振り替え休日)は、明(あ)け烏(がらす)の鳴き声と林間を舞う野鳥の羽音で、未明に目が覚めた。むすこから借りた冬用の寝袋で助かったが、相当に冷え込んだ。テントの外側は、夜露(よつゆ)に濡(ぬ)れていよう。断った僕の足元へ(僕が寝付いた後に)コッソリ入れて呉(く)れたらしい湯たんぽも、既に冷たい。
 ここがホテルなら、同室者を起こさぬよう、ロビーへ出て、読み掛(か)けの梓(あず)澤(さわ)要(かなめ)「華のかけはし・東福門院徳川和子(まさこ)」を開きたいが、テントでは思うに任せない。僕がゴソゴソ這(は)い出せば、親子を起こしてしまうだろう。未だ薄暗い三角屋根を見上げて、むすこ家族の来し方行く末に思いを巡(めぐ)らした。
 幼少の砌(みぎり)おじから習い覚えた野営キャンプに、長じて妻子を連れ出したが、その伜(せがれ)が今度は僕を誘い、孫も乗せてオート・キャンプ場へ。今は無邪気(むじゃき)な寝顔の少女も、軈(やが)て自身の家庭を持ち、家族連れのテントを張る日が来るだろうか。時と共に形は変わっても、自然志向とシンプル・ライフの精神は受け継がれるだろうか。良い子に育ち、幸せに生きるよう、願わずには居(い)られない。

 薄明に小用へ立ったが、二人は依然(いぜん)として夢の中。親子が起き出す前に、やっと見覚えた食卓と腰掛けを組み立てて置(お)いた。これで孫娘もジージを少しは見直すだろうか。
 東屋(あずまや)のベンチから(歯磨(はみが)きし乍(なが)ら)眺(なが)めると、しとどに濡(ぬ)れた下草や落ち葉、森を這(は)う白い朝(あさ)靄(もや)の中、どのテント・サイトも未だ深く寝入っている。昨夕は薄暗くて、(それに忙しくて、)気付かなかったが、散り残った木の葉が、少し赤く色付いていた。その半(なか)ば疎(まば)らになった樹間から、曙光(しょこう)が一閃(いっせん)。日を受けた黄葉の色が鮮(あざ)やかだ。
 林間の早朝。のどかな牛の声が、どこか遠い牧場(まきば)からテント村まで届いた。
     木の間より鋭い光りや秋キャンプ
            朝餉(あさげ)の煙り未(いま)だ上がらず  夕闇   
(日記より)

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