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ASDの気づき

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#ASD日常

ゆっくりと思考する。

ゆっくりと思考する。

パソコンやスマホのアプリ。これにゲームはつきものだ。
久々にやってみると面白い。熱中する。
でもね。なんだか落ち着かなくなる。

なんだろう。いっときは脳のトレーニングになるというゲームも流行ったが、今じゃあんまり聞かなくなった。

まぁその話は横へ置いておいて。

パズルだろうが何だろうが、ゲームってやつは頭をフル回転させる。全力を要求される。

それがいつしか常態化してしまうと、どうも頭が落ち

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小さい文字

小さい文字

子どものころ、私は小さい字を書いていて、
「もっと枠をいっぱいに使って書きなさい」
と注意されたものだ。

そのころは疑問に感じることも、反発することもなく、
「そうなんだ」「そう書くものなのだ」
そうやって先生や大人たちの言われるがままに、枠いっぱいに大きく文字を書くように心がけた。

「書きにくいな」
正直そうとしか感じなかった。
無理して手を使うものだから指には力が入り、文字を書くのに疲れた

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感じること。感じられないこと。

感じること。感じられないこと。

芸術家として有名である岡本太郎氏の作品を見ても、私にはどうもピンとくるものがなかった。
おそらくは芸術的なセンス。それらを受容するセンサーのようなものが鈍いのか、もしくは働いていないのか。いづれにせよ、映像的な何かを受け取る感覚が鈍いのだ。

それを「ああ、やはりそうかな」と感じたのが岡本太郎氏の著書に、言葉に触れたときだった。
氏の言葉から溢れてくる熱量。伝えようとする心が伝わってくる感覚があっ

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きっちり

きっちり

※tookapicによるPixabayからの画像

季節はうつろい。
時は流れ。
景色はその時々で表情を変えてゆく・・。
そんな風に自然というのは刻々と変化と揺らぎのようなもので定まっていない。

日本人と気質というのかな。時刻表通りに運行される公共機関。ありがたいものではありますが、 "うつろい" や "変化" という、自然の中にある "あいまい" な面からは遠のいてしまっている。そんな気がして

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ジャーナリング(我流)とマインドマップの住み分け

ジャーナリング(我流)とマインドマップの住み分け

※Free-PhotosによるPixabayからの画像

高等な技術というような意味合いではなく、あくまで慣れの話我流ジャーナリングは "話し言葉" で書いていかないと、どうも上手くいかない。"文章" にしてしまうと、頭の中で文章変換作業が入ってしまい、脳内に浮かぶ生の情報ではなくなってしまう。それは方言を標準語に変換したり、"他人に見せる" ような "よそ行き言葉" になってしまうからだ。
友人

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身体からのアラート

身体からのアラート

※Manuel AlvarezによるPixabayからの画像

ASDが体験する日常の変化
「あ、今日は体調が悪いのかな・・?」と感じることの1つに "コントラスト・明度" の感じ方があります。「なんだかいつもより眩しく感じる」「視界が白っぽく感じる」など。

こういう時は自動車メッキ部品の反射光が辛い。ピカピカに磨き上げてある車は窓ガラスなんかも十分に眩しく感じますが、メッキ部品はその比ではあり

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身体に合わせてみる

身体に合わせてみる

※Jill WellingtonによるPixabayからの画像

焦って早足で歩いたり動いたりすると、余計に気持ちが落ち着かなくなる。
焦っているときこそ歩調をゆっくりにしてみたり、ゆったりとした呼吸にしてみる。
気持ちに身体を合わせてしまうとリズムが狂う。

乱れたリズムは心に負担をかける。
心の負担はますますリズムを乱す。

頭が身体のBOSSのように振る舞うと
まるで生き物としてのリズムがお

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混ざると苦手

混ざると苦手

※RitaEによるPixabayからの画像

晩のおかずに数の子松前漬けが出てきた・・。
数の子は好き。松前漬けも美味しい。それぞれを別に食べると問題ないのだが、数の子松前漬けのスタイルになるとダメだ。もの凄く抵抗がある。

「なぜ合わせてしまうのか」

他に脳裏に浮かんだ食べ物が「うなぎの卵焼き」です。
うなぎは特別好きというわけではありませんが、特に嫌いというわけでもない。卵焼きなんてお弁当の

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