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感じること。感じられないこと。

芸術家として有名である岡本太郎氏の作品を見ても、私にはどうもピンとくるものがなかった。
おそらくは芸術的なセンス。それらを受容するセンサーのようなものが鈍いのか、もしくは働いていないのか。いづれにせよ、映像的な何かを受け取る感覚が鈍いのだ。

それを「ああ、やはりそうかな」と感じたのが岡本太郎氏の著書に、言葉に触れたときだった。
氏の言葉から溢れてくる熱量。伝えようとする心が伝わってくる感覚があった。

視覚的な表現からそれほど感じられない力強い意志のようなものが、氏の使う言葉という表現からは感じることができたのだ。

おそらく個人の信念、信条、感情など様々なものは伝達手段が変わっても、その中身や本質の部分や根底にあるもの、そのエネルギー、生命活動の中心にあるもの変わらないはずだ。

芸術家はそれら、"伝えたいこと" を最も得意とする手法で表現しているとだ思う。

岡本太郎氏が世間に評価されているのは視覚的に訴えかける作品であって、詩人や歌人ではない。
その視覚的な作品を見ても今ひとつピンと来ないのは、やはりそれらを受容する感性だか器官が働いていないのだろう。

でも氏の言葉での表現では感動できた。
心に響くものがあった。

だから私はこういう考えに至っている。
「どうやら私は芸術的な感性は鈍いようだが、文学的な表現では感動することができるようだ。」と。

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